攻防
新たなる戦いの序曲①
合衆国海軍太平洋艦隊の母港である軍港都市にして、全米有数の観光都市であるサンディエゴにとって、冬とは夏とは違った意味で最高の季節であった。
冬でも平均気温が二〇度前後のこの街は、合衆国でも有数の避寒地でもあった。
年が明け、クリスマスからの休暇も終わった今、街は日常に戻りつつあるが、それでも戦時下らしからぬのどかな空気をどこか引きずっている。
そして、夏とは打って変わった冬の柔らかい日差しが、街に降り注いでいた。
もちろん、サンディエゴ軍港の一角にある、太平洋艦隊司令部庁舎もその例外ではなかったが、その主は自室の窓から降り注ぐ穏やかな陽光を楽しむにはほど遠い心境であった。
太平洋艦隊司令長官、チェスター・W・ニミッツ大将は、長官室から見える軍港の景色を見るでもなく眺めつつ、先月の開戦以来の来し方を回想していた。
現地時間一九四一年一二月八日早朝、彼は空母三隻を主力とする艦隊を率いて、日本海軍の横須賀軍港への空襲を決行した。
大洋を横断しての空母部隊による空襲は、いまだかつて世界のだれもやり遂げたことのない偉業であった。
軍港施設や周辺の飛行場には損害を与えたものの、主目標である日本海軍の空母は一隻も存在しなかった。
所在不明の敵空母による逆襲を懸念したニミッツは、攻撃を切り上げ速やかに離脱した。
一面においてあまりに投機的なこの作戦は、立案段階において、空母の喪失も懸念されていたが、彼は一隻の空母も損なうことなく艦隊を母港に帰投させた。
がしかし、母港に帰還してからニミッツは日本軍の空母の所在を知ることになった。
彼が沈めるはずだった敵空母は、マリアナ沖にいた。
サイパン島を空襲すべく出撃していた空母二隻を主力とするミッチャー少将の艦隊を待ち伏せて、ミッチャー艦隊が擁していた空母を二隻とも沈めたのである。
自身が立案した作戦の失敗を覚った、太平洋艦隊司令長官・リチャードソン大将は即座に辞表を提出。主任参謀以上の幕僚たちもこれに倣った。
サンディエゴに帰還したニミッツを待ち受けていたのは、少将から大将への戦時昇進と、太平洋艦隊司令長官の辞令だった。
この異例の人事の背景には、リチャードソン大将の強い後押しと、曲がりなりにも敵の本国への空襲を成功させるという「成果」を挙げた、フーヴァー政権のニミッツへの評価があったと言われている。
もっとも彼自身は、戦意高揚と戦争の早期終結を狙った奇襲作戦が失敗に終わったため、それを可能な限り糊塗するための「英雄」を政権は欲しており、自分はその役に選ばれたのだと思っていた(もっと言えば、フーヴァーは当初、リチャードソンを留任させるつもりであったのが、先に辞表を出されたのだという噂がまことしやかに囁かれていた)。
いずれにせよ、生臭い政治的思惑が絡んだこの人事をニミッツは全く喜んでいない。
最初は断ったのだが、リチャードソン大将直々に説得され、断り切れなくなったのだ。
祖国を可能な限り良い終戦に導くため、君の力が必要なのだ――リチャードソンに説得されたときの言葉がニミッツの胸に去来したとき、長官室のドアがノックされた。
「会議の準備が整いました。幕僚は全員集まっております」
そう告げに来たのは、参謀長のレイモンド・スプルーアンス少将だ。
今から新司令部発足後初めての作戦会議が始まるのである。
参謀長自ら司令官を呼びに来たのは、二階級特進でいきなり大将になった司令官の顔を立てる、彼なりの気遣いだろう。
スプルーアンスとは、三〇年以上も前に戦艦“ミネソタ”で乗り組んで以来の仲だから、ひととなりは知っている。
スプルーアンスも今回の人事で急遽太平洋艦隊参謀長を拝命したが、その前は太平洋艦隊重巡部隊の司令官で、ハワイ攻略戦を指揮した。
ニミッツが会議室に入ると、全員合わせればハイスクールのクラス一つ分にもなる海軍軍人たちが一斉に起立して敬礼した。
士官以上の司令部要員、それに太平洋艦隊各部隊の提督とその随員たち。
中にはサイパン島空襲部隊の指揮官だったミッチャー少将の姿もある。
彼は二隻の空母を失ったのと引き換えに、上陸部隊と戦艦部隊を無事に退避させたことを評価され、ニミッツの代わりにヨークタウン空母三隻の指揮官に任命されていた。
「皆、着席してくれ」
ニミッツの声で全員着席、スプルーアンスが後を引き取る。
「これより作戦会議を始める。まずは小官から状況説明を行う――」
太平洋の大地図の前に立ったスプルーアンスは、そういうと指示棒でマリアナ諸島の位置を指し示した。
「諸君らも知ってのとおり、今から約一カ月前、我が太平洋艦隊は日本領サイパン島を空襲した。しかし、敵空母部隊の待ち伏せを受け、我が方は“レキシントン”、“サラトガ”の二隻の空母を喪失した。
待ち伏せを受けた原因は現在調査中である。しかし、今のところ情報の漏洩等の痕跡は確認されていない。また、日本空母部隊の殲滅を意図して同時刻に行われた、日本本土のヨコスカ軍港への空襲も空振りに終わった。
二つの作戦の結果、戦艦などの主力艦隊は無傷であるものの、空母戦力については彼我の差は倍以上に拡大した。日本海軍に緒戦で大打撃を与え、戦争を早期に集結せしめるという当初の意図は困難になったと言わざるを得ない。
ちなみに日本海軍のその後の活動であるが、昨年一二月中旬から下旬にかけて我が方のウェーク島を攻略して以来、目立った作戦行動を取っていない。おそらく次なる作戦行動に向けての準備を整えていると思われる。
この会議では以上の状況を踏まえた上での我が艦隊の作戦行動について議論したい。それについて司令部で素案を用意してあるのでそれを元に議論したい――バーク中佐、説明を頼む」
スプルーアンスに代わって前に立ったのは、がっしりとした体つきで、角張った顔の中佐だった。
参謀という言葉から連想されるステレオタイプ的な外見からはほど遠かった。
それもそのはずで、彼はついこの間までスプルーアンス麾下の駆逐艦の艦長をしていたのである。
今はスプルーアンスの推薦で太平洋艦隊主任参謀になっていた。
「小官から今後の太平洋艦隊の作戦方針についてご説明いたします。まず、前提として日本海軍は今後、北太平洋の合衆国領の島嶼を攻略しつつ、ハワイ攻略を目指してくるものと予想されます。我々はハワイとミッドウエーの防備を固め、これらを防壁として時間を稼ぎます。
我が方の新型戦艦と空母が前線に配備されるまで約一年、その間は日本艦隊の迎撃に徹し、消耗を強いる方針を採りたいと考えます。
これについて何かご質問はありますでしょうか?」
早速、ミッチャーが挙手した。
「今回の戦争における我が国の目的は石油の確保だ。具体的にどれくらい保つのかは我々には知らされていないが、あまり余裕がないことは確かだろう。戦力の充実を待つのは止むを得ないが、あまり悠長に構えていると我々の方が先に干上がることになりかねないだろうか?」
その質問を聞くと、バークはちらりとスプルーアンスの方を見た。
彼が一揖するのを確認して答える。
「これはくれぐれもご内密に願いたいのですが、経済当局の試算によれば我々の手持ちの石油と国内生産量を合わせて、最大で二年保つと見込まれているとのことです。
逆に言えば我々は四三年中までは戦うことができます。つまり、四三年からの反攻というのはそのラインを見込んでのものです。
また、現在陸軍ではテキサス油田地帯の占領に全力を挙げています。それが成果を挙げれば、我々の時間的猶予はさらに延びることになります。
我々は短期決戦を目指すあまり、奇策に走り過ぎました。また、ここで焦って攻勢をかけても敵の思う壺です。時間を稼ぎつつ戦力の充実を待って反撃に転ずるという、戦争の常道に戻るのです」
さらに別の提督、スプルーアンスの後任の男だ――が発言した。
「日本人たちは我が国と同等以上の造船能力を有していると聞く。時間が経てば戦力が充実するのは向こうも同じではないか?」
「我々が味方にできるものがもう一つあります――それは日本本土とハワイまでの距離です。その間の海域に潜水艦を配置します。それで進撃してくる日本艦隊を迎撃し、敵の戦力を削ります。
日本海軍の伝統的な対米作戦ドクトリンに『漸減邀撃作戦』というものがあると聞きます。太平洋を進撃してくる我が艦隊を途中に配備した潜水艦や空母で迎撃し、弱らせた上で主力艦隊での決戦に持ち込む――日本海軍が兵力に優る我が海軍に勝つために考え出した方策だと言います。
今度の戦争の場合、日本海軍は我が太平洋艦隊を釘付けにするために、積極的に戦わざるを得ないのです。それを利用し、彼らお得意の漸減邀撃とやらを我々が彼らに行うのです。
彼らは世界最大級の経済大国ですが、島国であり本質的にその国力は脆弱です。石油の確保にさえ成功すれば我々に勝機があるのです」
その後も各部隊の幕僚などから作戦の詳細や実務的な質問が相次いだが、ひとしきりそれが終わると、ニミッツが全員の前で言った。
「諸君、当初の対日作戦“サムライ・ソード”作戦は失敗したと言わざるを得ない。だが我々は、北太平洋全体を必殺の防壁として必ずこの作戦に勝利する。以後、本作戦を『パシフィック・ウォール作戦』と呼称する」
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