パットン将軍の機動軍
合衆国軍の侵攻が始まったとき、南部連合陸軍はある深刻な事態に陥っていた。
それは軍令を担当する参謀本部内での意見対立である。
参謀本部は当初、三度目の南北戦争において、合衆国軍はテキサスを中心とした油田地帯を主目標としてくると想定していた。
しかし、蓋を開けてみれば合衆国軍はヴァージニア、テキサス東部、テキサス西部の三つの方面から侵攻してきた。
参謀本部内には合衆国軍の本命はあくまでもテキサスの油田地帯であり、ヴァージニア方面の敵はあくまで陽動に過ぎないと見る向きもあった。
しかし、これまでの二度の南北戦争がそうであったように合衆国はあくまで南部連合という国家をこの地上から消滅させることを目的としているはず、という意見も根強く、首都リッチモンドのあるヴァージニアへの侵攻こそが敵の本命と見る向きもあった。
さらに悪いことに陸軍省(とその背後にいる政府)が後者の見方に与してしまったため、南部連合陸軍参謀総長、ダニエル・R・クロック大将は、貴重な予備兵力をどの方面に投入すべきか、という重要な判断を下せずにいたのである。
その間に五日の時間が空費された。
そして、そのような上層部の有様を苦々しく見つめている男がいた。
南部連合陸軍の予備兵力の主力である、第一機動軍司令、ジョージ・S・パットンJr.中将である。
パットン中将が率いる南部連合陸軍第一機動軍は、二個機甲師団及び一個機械化歩兵師団を基幹としていた。
南部連合軍に二つしかない機甲師団を集中運用するこの部隊は、南部連合陸軍最強の部隊の一つであると同時に、南部連合陸軍に戦車戦の第一人者であるパットンが手塩にかけて育てた部隊であった。
第二次南北戦争の従軍経験と自主的な一次大戦の研究成果により、次期大戦の主力は兵器が戦車であることを喝破したパットンは、戦車戦力の充実と機甲特化部隊の創設をいち早く唱えた。
一九二〇年代には省みられることはなかったが(そこには第二次南北戦争からの復興に伴う軍事費の財源不足や、二〇年代の世界的な軍縮潮流という事情もある)、三〇年代に入って世界情勢が悪化し、合衆国との三度目の南北戦争の可能性がささやかれ始めると、にわかに脚光を浴びる。
パットンは南部連合陸軍における機甲兵科の事実上の責任者に任命され、以来一〇年近く、祖国の機甲戦力の充実に尽くしてきた。
そして一九三九年に念願の第一機動軍を創設すると、自らその司令官に就任したのである。
第一機動軍は開戦前に南北境界線にも近い、アーカンソー州・リトルロックに進出。
以来出撃命令を待ちわびていたが、いまだにその命令は届いていない。
五日の時間を空しく過ごす間にテキサス州東部の主要都市ダラスが陥落した。
ダラスのあるテキサス東部は南部連合の国土のもっとも薄い部分であり、ここを制圧されると、南部連合は国土を東西に分断されてしまう。
まさに南部連合のアキレス腱とでもいうべき部分であったが、合衆国軍はそのアキレス腱を断ち切ろうとしていた。
テキサス東部を防衛する第二軍のジョーゼフ・スティルウェル中将は、敵に損害を与えつつ秩序だった後退を続けていたが、このままだといつメキシコ湾に追い落とされるか、知れたものではなかった。
このような危機的状況下においても積極的な行動を命じられないのであれば、パットンならずとも軍帽を地面に叩きつけたくなるというものだろう。
アーカンソー州の州都・リトルロック。
第一機動軍はこの街の郊外へと展開していた。
南部連合各地には戦時を想定した陣地が構築されており、ここもその一つだ。
第一機動軍に属する車両の多くは掩蔽壕に入れられるか、敵の空襲を避けるための擬装が施されている。
もっとも今のところ南部連合空軍は制空権の保持に成功しているから、空襲の心配はさほどない。
司令部施設は地下壕にあり、そのうちの一つに設けられた司令部会議室ではパットン中将が幕僚たちを前に演説を繰り広げていた。
「諸君らも承知のことと思うが、我が南部連合が置かれた状況は厳しいと言わざるを得ない。スティルウェル中将の第二軍は最大限善戦しているが、このままでは数日のうちにヒューストンまで撤退せざるを得ない。その先はメキシコ湾だ」
パットンは参謀に任せず自ら地図の前に立ち、説明していた。もっとも第一機動軍では珍しい光景ではない。
「戦争狂」と陰口を叩かれるパットンは、自ら作戦立案の中心を担い、説明も自ら行うことが多かった。
そのため必然的に影が薄くなりがちな、参謀長のドワイト・D・アイゼンハワー少将は、若い幕僚たちから「空き家の電灯」(≒昼行燈)などと呼ばれている。
そのような境遇でアイゼンハワーが(少なくとも表面的には)不満一つ洩らさないのは、パットンと第二次南北戦争以来の親友の間柄にあるというだけでなく、日の当たらぬ部署を歩き、一〇年以上も少佐に滞留していたアイゼンハワーをパットンが第一機動軍の前身部隊へと引っ張り、曲がりなりにも少将まで引っ張り上げたからだと言われている。
「この状況下で我々が果たすべき、役割は何か?」
パットンが幕僚たちを見回したので、その一人が挙手して言った。
士官学校出の若い参謀だった。
「第二軍を援護するためにテキサスへ向かうのですか?しかし、ここからでは距離がありすぎますが……」
「馬鹿者!この俺がそのようなつまらんことを考えると思うのか?」
若手参謀は学校中に恐れられる教師に怒鳴られた生徒のように縮み上がる。
祖父の代からの陸軍士官、正真正銘の南部上流階級出身のパットンではあるが、必要とあらばギャング顔負けの卑語・俗語を使うことを辞さない。
この程度は叱責のうちにも入らない。
そして、一瞬浮かべた怒りの形相をすぐに笑みへと変えた。
これみよがしに金歯をのぞかせながら。
「だが、君の言うことの半分は正しい。今、我々の最重要任務は第二軍の掩護にある。問題はその手段だ……」
パットンはそこで一旦言葉を切った。
幕僚たちは知らず知らずのうちに、劇を見る観客たちのように司令官の次の言葉を待った。
「我々は今夜のうちに国境を越え、オクラホマ方面から敵の領内へと侵入。現在我が方の第二軍へと攻勢をかけている敵軍の背後を衝く」
司令官のセリフを聞いた幕僚たちが返したのは、歓声でも感嘆でも、ましてや拍手でもなかった。
ただ、呆気に取られたように静まり返っている。
その中でもいち早く我に返ったのか、先ほどとは別の参謀がおずおずと挙手した。
「お言葉ですが、それはいささか無茶が過ぎるのではないでしょうか?この戦況下で味方の援護もなしにいきなり敵の領内への侵攻は、リスキイに過ぎます。下手をすれば敵中で孤立し、第一機動軍が壊滅することになりかねません。だいいち、参謀本部の許可が下りるとも思えませんし……」
正々堂々とは程遠いものの、司令官にはっきりと異を唱えた彼を、この場にいた人間の多くが心中で称賛した。が、司令官は部下の反論に機嫌を損ねた様子はない。
むしろ、期待通りの反応が得られたことに気を良くしたようにさらに笑みを大きくした。
もはや無邪気な子どものそれに近い。
「その点に関しては心配無用だ。今敵は勢いに乗っている。そういう時は自分が攻められることは考えないものだ。その油断を衝く。それに敵の侵攻兵力から考えるに恐らく常備師団のほとんどを投入している。領内はかえって手薄なはずだ。それに敵の背後を叩けば長居せずに速やかに退避する。作戦は三日で終了する」
司令官はそう太鼓判を押すが、不安は拭えない。
助けを求めるようにアイゼンハワ―参謀長を見やるが、彼はいつものように軽く微笑みさえ浮かべて、パットンの演説の聞き役を務めている。
幕僚たちの戸惑いを知ってか知らずかパットンの独演会は続く。
「スティルウェル中将の第二軍とはすでに連絡を取っている。我が軍の動きに呼応して第二軍は反撃を行う。我々が動かねば第二軍は優勢な敵軍に無謀な攻勢を行うことになる。第二軍を見殺しにすることはできないのだ」
自身をハンニバルの生まれ変わりと広言する司令官のボルテージはますます上がるばかりだ。
こうなっては彼を止められるものではないと、幕僚たちは承知している。
パットンもかつて、第二次南北戦争終結後の約一〇年間、不遇を過ごした時期があった。
その間、彼は娘の親友と不倫騒動を起こし、軍を不名誉除隊になりかけるなど、明らかに内なる何かを持て余していた。
その内なる何かは、今まさに当人の望む方向に発散されようとしていた。
最後の抵抗を行うかのように、さらに別の参謀が挙手する。
「本作戦は参謀本部の了承を得ているのですか?我々はあくまで予備兵力です。敵領内への侵攻は命ぜられておりません」
常識的な参謀の、常識的な疑問に対し、将軍は胸を張って答えた。
「その点については心配ない。参謀本部が我々をここに配した理由は、必要に応じて味方を援護することを期待されてのことだ。参謀本部は眼前の事態への対処に忙殺されている様子。ならば我々は、当初の命令を最大限柔軟に解釈し、独自の行動を起こすことがむしろ期待されているのだ――」
将軍はそこで間を取ってから、歴史的必然を口にした。
「今夜からの三日間は、歴史に遺る戦いになる。諸君らは歴史を創るのだ」
オクラホマ州兵のリーデマン軍曹が、開戦前に招集されてからすでに一カ月が過ぎていた。
その間のほとんどの期間をこの南北境界線(より正確にはオクラホマ‐アーカンソー州境)沿いにある。
この五人も入ればいっぱいな、小さな監視哨の配置で過ごしている。
州兵というのは、その名の通り各州知事の指揮下にある準軍事組織だが、実質的には予備役にあたる。
であるからには、その隊員には別に本職があるのが、リーデマンはオクラホマの小さな町で理髪師をしていた。
軍人を職業に選ばなかった彼にとって、戦争の勝敗は正直なところ大した問題ではなかった。
ただ、仕事終わりに町に一軒だけある酒場に繰り出して、見知った仲間と決まりきった馬鹿話に興じながら黒ビールを飲む日々が、一日でも早く帰ってきさえすればそれでよかった。
もっとも今のところ味方は優勢らしいし、何より大統領が「この戦争は一年も経たずに終わる」とラジオで演説していたから、その点は全く心配していない(地方のドイツ系合衆国市民が往々にしてそうであるように、彼は素朴な共和党支持者だった)。
このように軍人としてはお世辞にも真面目とはいえないリーデマンであったが、それでも州兵としての経歴の長さ故に軍曹の階級を得ていたし、今この監視哨を守る五人の班の班長でもある。
リーデマンの班を含む三班で一分隊を構成し、その一分隊が三交代でこの監視哨を守っていた。
リーデマンは、いずれも彼の息子たちでも通用しそうな年齢の四人の部下たちの前では、必要最低限の職務熱心さでもって、精いっぱい厳めしく、上官らしい演技をしていたが、それにも限度がある。
南北境界線の監視し、異変があれば上級部隊へ速やかに報告するのが任務ではあったが、戦争が始まって五日も経つというのに平和そのものだった。
それはまことに結構なのだが、今夜のように夜勤に就いていると、どうしても眠気を禁じ得ない。
つい居眠りしそうになっていたリーデマンを救ったのは部下が差し出した一杯の珈琲だった。
「おお、ありがとう」
リーデマンは少年のような顔つきの兵士に本心から礼を言った。
「とんでもありません、軍曹殿」
兵士はわざと軍隊らしく、気をつけをして言った。ふざけているのだ。リーデマンも思わず苦笑する。
「それにしても退屈な夜ですね、軍曹殿。こうも退屈だといっそ敵に攻めてきて欲しくなりますよ」
「なに言ってやがる、敵がきたらお前なんか真っ先にやられっちまうぞ」
「そんなことはありませんよ。このガーランドで敵をバッタバッタとなぎ倒して、軍曹殿を守って差し上げますよ」
「こいつ」
さすがに不謹慎な物言いに若い兵士の頭を小突こうとしたその時、何かが聞こえた。
「どうかされましたか?軍曹殿」
兵士が不思議そうな顔(といっても表情はよく見えないが)をして尋ねた。
「しっ!何か聞こえなかったか?あの音は確か……」
言いかけたその時、監視用の窓から外を覗いていた別の兵士が悲鳴のように叫んだ。
「発砲炎!」
空気を切り裂くような不気味な音がした、その一瞬後にすさまじい衝撃が監視哨にいた兵士たちを襲った。
一応コンクリート製ではあるが、安普請の監視哨も激しく揺れ、対衝撃用の姿勢を取る間もなく倒れ込んだ兵士たちの上に、土埃が降り注ぐ。
さらに続けざまに二回、三回、もはや数えきれないほどの衝撃で起き上がることもできない。
このままじゃやられる!
飛来してきた南部連合陸軍のMT-3”ジャクソン”戦車の三インチ(≒七六ミリ)榴弾砲が監視哨を直撃したのは、リーデマンがそう思ったのとほぼ当時だった。
ささやかな監視哨を守っていた五人は何が起きたのか理解する間もなく、文字通り肉体ごと消失した。
南部連合軍第一機動軍は現地時間、一九四一年一二月一二日深夜、オクラホマ方面から合衆国領内へと侵攻した。
第一機動軍がその戦力から一個機甲師団を割いて、ミズーリ方面を攻撃させ、陽動を仕掛けていたのもあり、合衆国軍は混乱した。
正面の南部連合軍第二軍の反撃加え、突如後方連絡線を攻撃されたことに動揺した、合衆国軍第二軍司令官のオマール・ブラッドレー中将は、翌日には撤退を命じた。
しかし、背後に合衆国軍第一機動軍の攻撃を受けつつ、正面の南部連合軍第二軍の反撃を凌ぎながら行う撤退は、合衆国軍第二軍に多大な犠牲を強いた。
数日後、合衆国軍第二軍は、完全に自国領内へと撤退したが、最終的に開戦時の三割の兵力を失っていた。
なお、第一機動軍は侵攻開始から三日が経過する前に南部連合領内へと逃げ去っていた。
ここに速やかに南部連合の国土を東西に寸断し、戦争の早期決着を図るという合衆国軍の構想は頓挫した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます