交渉打切り

「……国務長官としてこのようなことを申し上げるのは大変心苦しいのですが、もはや外交による事態解決は絶望的と申し上げるしかありません」


 スティムソン国務長官は、奇妙に平板な声と張り付いたような無表情で説明を締めくくった。

 それは合衆国の外交担当閣僚としての敗北感に耐えるための態度に相違なかった。

 

 ホワイトハウスの大統領執務室では石油交渉に関連したブリーフィングが開かれていた。

 参加しているのは、大統領以外では国務長官と陸海軍長官の閣僚たち、それに陸軍参謀総長と海軍作戦部長だった。

 この面々を見るだけで今日の会合の方向性は容易に理解できるだろう。

 もはや合衆国は外交による事態の解決を放棄しようとしていた。

 最前まで行われていた国務長官による説明はつまり、合衆国が外交的に最善を尽くしたことと、その上で別の手段を取るのやむなきに至ったという彼らなりの「ストーリー」を確認するための儀式に過ぎない。

 

 スティムソンは、目を閉じて頬杖をつきながら話を聞いている大統領をちらと見た。

 六七歳という年齢を感じさせない若々しさと力強さを誇っていた大統領の外見もこかなり老けたように見える。

 

 その胸中には自分と同じく、この七カ月の苦闘の日々が去来しているのかもしれない――とスティムソンは思った。

 

 開始当初、予想通り平行線を辿っていた石油交渉は、仲介国の日本が合衆国への石油融通を申し出たことを契機に一時は妥結するかと思われた。

 しかし、南部が合衆国への国家承認と不可侵条約締結を要求してきたことで、再び暗礁に乗り上げた。

 

 それに対する怒りはもちろんある。

 しかし、一方で理解できるという気持ちもある。

 日本が提案したスキームは、「日本が合衆国に提供した分の石油を南部が、日本に輸出すること」。

 つまり間接的に南部が合衆国へと石油を渡すことでもある。

 第一次南北戦争以来、常に合衆国の脅威にさらされてきた南部人にとっては受け容れがたいものがあったのだろう。

 カウリー大統領の意思というより、国内の強硬派を抑えるためにやむを得なかったのだろう。現に南部は交渉が進むにつれて、段階的に譲歩を示してきた。

 

 が、今度は合衆国内から、それも与党である共和党主流派から反対の声が上がった。

 それも無理からぬことではあると思う。

 合衆国、特に共和党にとって「星条旗の失われた星」を取り戻すことは至上命題であり、表立ってその看板を下ろすことはできないのだった。

 結局、共和党内の反対派の説得は不調に終わり、大統領は民主党と手を組んでまで石油協定を議会で通過させることまで考えたというが、与党主流派を敵に回すことは政権を決定的に弱体化させることになりかねず、それも断念されたと聞く。

 

 そうして、合衆国も南部も日本も手詰まりになった挙句、一〇月頭を最後に交渉は行われなくなり、すでに一カ月以上が経過しているのだった。

 三ヶ国とも代表団は引き上げていないが、交渉は事実上決裂していると言っていい。

 

 眠っているようにさえ見えた大統領が息をひとつ吐き、目を開けた。


「ハリー、ご苦労だった。席に戻ってくれ」

 

 自分より七歳年上の国務長官を労うと、一同を見回してから言った。


「諸君、残念ながら平和裏に解決することはもはや難しいようだ。そして、我々に残された時間は少ない。いかなる障害があろうとも、またいかなる犠牲を払おうとも、我々は合衆国の未来を守るために、最後の手段にとらなければならない……」

 

 人に聞かせるためだけでなく、それ以上に自分に言い聞かせるように言った言葉をそこで切った。そして何かを吹っ切るように「ダグ」と陸軍参謀総長の名を呼んだ。

 

 ダグラス・マッカーサー参謀総長は頷くと立ち上がり、手早く壁に北米大陸の大きな地図を掲げた。

 その動作は六一歳の年齢を感じさせないほど若々しく、きびきびとしていた(もっとも彼は今この場にいる中ではいちばん若かったのだが)。そして、指示棒で地図を指しながら説明を始めた。


「現在、我が陸軍部隊が演習名目で南北境界線付近に集結しつつあります。最終的に『オペレーション・アメリカンパトロール《OAP》』には機械化歩兵師団三〇個、戦車師団一二個、合衆国陸軍の常備兵力の九割近くが投入される予定ですが、一二月頭にはいつでも作戦を発動できるようになるでしょう」

 

 そこで一旦、言葉を止め一同を見回す。そうした何気ない所作の一つ一つが、熟練の舞台役者のように芝居がかっていた。

 

 スコットランド貴族の血統を汲み、父は一六歳で南北戦争に参加した生粋の軍人、その二代目にあたるダグラスは、幼い頃から兵営の中で育った。

 

 兵士を率い、鼓舞する父の背中を見ているうちに、いつしか彼自身もそうした所作を身に着けていった。

 その意味でダグラスは生粋の軍人であるとともに役者であり、彼がひとたび人前で話し始めると、どこであっても彼主演の舞台と化した。

 そうなれば大統領さえもよくて脇役、もしくは観客に過ぎない。兵士には人気があったが、皆がそれを好意的に見ているわけではなかった。


 主演ダグラス・マッカーサーの舞台は続く。


「ウエスト・バージニア、ケンタッキー、オクラホマの三方面から進撃しますが、本命はオクラホマからヒューストンを目指す第二軍。ヒューストンまで陥落させればテキサスの油田地帯を孤立させることができます。そうなれば、州兵でも占領が可能でしょう。また、ヒューストンに達した第二軍はそのまま東進し、第一・第三軍と合わせて二正面から南部を圧迫。降伏に追い込みます」

 

 本質的には単純であるが、雄大とするしかない構想であった。

 この手の大戦略を練らせたら合衆国陸軍で右に出る者はいないといわれるマッカーサーの面目躍如というべき作戦であった。

 それがややオーバーとさえ思えるジェスチャーと、芝居がかった動作を交えて説明されると、それだけで成功を約束されているような気にさえなってくる。


「ダグ、君の構想では合衆国はもぬけの殻となる。北方の守りは心配ないのかね?」

 

 大統領が尋ねた。

 本気で心配しているわけではなく、念押しや確認といった口ぶりだ。

 

 マッカーサーが澄ました顔で応える。


「ご心配ありません、大統領。英領カナダに配備されている英軍は国境を守るための最低限の兵力しか持ちません。また、カナダ自治領軍は領域内の警備と英駐留軍の補助が任務であり、やはり積極的な軍事行動を起こす能力は持ちません。現在、大統領のご裁可を得て、州兵の動員を進めておりますが、合衆国内に残留する兵力と合わせれば防衛には十分過ぎると言うべきでしょう」

 

 合衆国の北方に広がる広大な領域、「英領カナダ」では幾度となく独立運動が起きていたが、対合衆国戦略上の重要性から、イギリス政府はいまだに独立を認めていなかった。

 ただし、自治権は段階的に拡大されており、現在では軍事・外交面以外での自治を認められている。

 

 それ故、正式には「カナダ自治領」と呼ばれている。

 自治領には首相以下の政府と議会があった。

 「カナダ自治領軍」も存在しており、英軍の指揮下で平時は領内の治安維持や国境警備などに従事していた。

 

 だが、その戦力は軽武装の警備軍といったものであり、マッカーサーの言うようにカナダ駐留の英軍と合わせても攻勢的な任務に耐え得るものではなかった。

 

「ところで」と、大統領の質問に答えたマッカーサーは話題を転じた。


「東海岸を進軍する第一軍の補給路は敵艦隊の攻撃を受ける危険性が大です。改めて申し上げるまでもありませんが、海軍にはくれぐれも援護をお願いしたいですな」

 

 急に話の矛先をこちらに向けてきた陸軍参謀総長に対して、海軍のトーマス・C・ハート作戦部長はにこやかに応じた。


「もちろんだよ、ダグ。祖国のために陸海軍が協力するのは当たり前のことだ。南部人の艦隊は我が大西洋艦隊が必ず駆逐するだろう」


「それを聞いて安心した。合衆国始まって以来の戦争を前に陸海軍が同じ旗の下にあることを確認出来て喜ばしい限りだ。我が将兵は海軍を信頼して戦うだろう」

 

 そう言い合う陸海軍の制服組のトップ二人は、互いに笑みさえ浮かべているが、それが内心の反映であるとは少なくともこの部屋にいる人間は一人も思ってはいない。


「ダグ、陸軍の作戦はよくわかった。トム、次は太平洋方面の作戦について説明してくれないか?」


 今度はハート作戦部長が説明に立った。

 大判の太平洋全図を壁にかける。

 やはり説明役を部下に任せないのはマッカーサーに張り合ったのかもしれない。 

 駆逐艦や魚雷艇、潜水艦などの小艦艇の指揮官として多くを過ごしたという軍歴を象徴するように、刃物で刻まれたように皺は深く、精悍な顔立ちをしている。

 少なくともその外見は、マッカーサーとは違う意味で一般大衆が思い描く軍人像を体現している(ちなみに潜水艦を専門としている点は帝国海軍の嶋田GF長官と共通していた)。


「我が海軍の『オペレーション・サムライソード《OSS》』は開戦後半年から一年以内に日本に対し勝利することを目標とし、すでに一部の部隊は作戦行動を開始しております」

 

 六四歳の合衆国海軍最長老の老提督は、潮で錆びたような声で明瞭に断言した。


「そのために開戦と同時にヨコスカ、サイパンという日本海軍の二大拠点に奇襲をかけます」

 

 そう言って、横須賀とサイパン島を指し示す。


「横須賀には日本海軍の空母部隊の母港であり、そこに空母三隻を投入した空襲をかけることで、彼らの空母を港で壊滅させます。また、横須賀への空襲と同時刻に戦艦と空母を中心とした艦隊による攻撃をかけた後、海兵隊第一師団が上陸し同島を占領します。海軍の情報収集によれば同島に配備されているのは特別陸戦隊―我々の海兵隊のようなものですが―の一個旅団相当の部隊であることが判明しておりますので、奇襲であることも勘案すれば、海兵隊だけでの占領も可能と判断しております。島を占領後は速やかに陸軍一個師団と航空部隊を展開。我が方の拠点とします……」

 

 計算せれた部隊演技のようなマッカーサーのプレゼンと比べ、ハートのそれは飾り気がなく、実直とさえ思えるものだったが、それが却って説得力を増しているようでもあった。


「サイパンを起点に中部太平洋を進撃。日本軍が体勢を立て直す前にオガサワラ諸島にあるイオージマを占領。イオージマには日本海軍の飛行場がありますので、速やかに爆撃機の部隊を展開させることが可能です。イオージマからは、エド、ヨコハマといった日本東部の商工業の集積地を空襲することが可能です。同盟国への義理で参戦した日本は、自国の東半分を戦火にさらしてまで戦争を継続することは難しいでしょう。スズキ戦時内閣も国民の支持を失い退陣を余儀なくされるかもしれません。この時点で講和を申し込めば我が国有利な条件での講和を結ぶことができれば、事実上我が国の勝利です」

 

 ハートは数カ月前にリチャードソン太平洋艦隊司令官から提案されたものを基にした作戦を説明した。

 それは、どちらかといえば堅実な用兵家として見られているハートが採用するにしては意外なほど、大胆で挑戦的なプランであった。


「よろしいか、作戦部長」



 マッカーサーが挙手して発言の許可を求める。


「なにか?」


「この作戦は日本軍の動きを都合よく想定し過ぎているように思える。海軍の奇襲が成功すると見込む根拠はどこにあるのか?」


「次の戦争は、日本にとっては同盟の義務を果たすためのものだ。つまり、我々が南部と開戦した場合、日本が合衆国に宣戦布告するという流れになる。また、合衆国が積極的に第二戦線を構築するような真似はしないと考える。彼らは自分たちが攻める側で、合衆国は受け身に立つ側と考える。その裏を掻くのだ。南部と開戦した後、間髪入れずに日本に宣戦を布告。それとほぼ同時に奇襲を実行すれば彼らの不意を衝くことができる。海軍では日本海軍が宣戦布告後にウェーク島やミッドウエー島などの北太平洋の合衆国領への攻撃をかけてくるものと想定している。現に日本は先日、国内にいる海軍のスパイを一斉に検挙している。これは彼らが積極的な作戦行動を考えている証左ではないか?」


「本当に日本が空襲だけで講和に乗り出すと?現にイギリス人は本土の空襲に耐えながら戦争を続けているが?」


「合衆国優位に戦局が推移すれば、フィリピンを有するスペインを味方につける道筋が見えてくる。フィリピンが我が方につけば、日本の海上郵送路は遮断され、貿易国家たる彼の国は存亡の危機に立たされるだろう。我々が奇襲にこだわるのは、政治的意味もあるのだ。我々があざやかに勝利すればするほど、スペインが我が方につく可能性は高まる」

 

 マッカーサーは鼻を鳴らしただけで、それ以上なにも言おうとしなかった。

 あるいは、自分の立案した作戦より、明らかに世論に受けそうな作戦を海軍が立案したことを内心で悔しがっているのかもしれなかった。


「それはそうと……」


 今度はハートがマッカーサーに話しかけた。


「陸軍が太平洋に回せる師団は一個師団とのことだが、増やすことはできないのだろうか?我が海軍にあるのは海兵隊の二個師団に過ぎない。しかもそのうちの一つはいまだ編成途上なのだ。実質二個師団というのは、開戦劈頭にサイパンを占領し維持することを考えたとき、心許ないと言わざるを得ない」


「無論、我が陸軍としても海軍に協力する意思がある。しかし、陸軍が対峙するのは南部なのだ。二度の南北戦争でも屈服させることができなかった難敵だ。それとの戦いには、一個師団でも多くの兵力が必要なのだ。予備役の動員が進んだ後ならともかく、太平洋に貴重な一個師団を回すというのは、むしろ陸軍の協力の意思だと理解してもらえないだろうか?」


「先ほど貴官は、大西洋艦隊の対南部戦への投入を念押しし、私はそれを承諾した。海軍に水上艦隊の半分を差し出させておいて、陸軍は一個師団というのはバランスを欠くのではないか?陸海軍の協力が口先だけではないことを実践して欲しい」

 

 合衆国陸海軍の制服組トップ二人が、いままさに大統領の面前で繰り広げている応酬は、両軍が抱えているわだかまり、より率直に表現すれば対立―を象徴するかのような出来事だった。

 

 第一次南北戦争以降、合衆国の軍事力は陸軍中心に発展し、その様相は「陸主海従」と呼ばれてきた。

 しかし特に第一次大戦以降の日本の台頭は、合衆国に海軍の増強とその政治的地位の上昇をもたらした。

 結果、合衆国は世界の五大陸軍国(ドイツ、フランス、ソ連、合衆国、南部連合)と三大海軍国(日本、イギリス、合衆国)の両方に名を連ねる唯一の国となった。


 むろん、陸海軍対立は大なりどこの国にもあったが、日本が海軍優位であり、南部連合が陸軍優位であるようにどちらかの優位性が確立されていた方が、話はまだ簡単だったかもしれない。

 とすると、合衆国の国力が世界でも指折りの陸軍と海軍を同時に保有することを許容していることが、皮肉にも陸海軍の対立を助長している側面さえあるのかもしれなかった。


 合衆国の陸海軍対立を象徴する例として、以下のようなものがある。

 海軍が「海軍の中の陸軍」として海兵隊を保有しているように、陸軍も独自の輸送船部隊「陸軍船舶部隊(ASF)」を持っていた(さらに驚くべきことにこの部隊には航空支援用に商船改造の小型空母さえ配備されていた)。

 

 歴代の政権はこの状態を改善すべく腐心してきたが、そうした努力を他所に合衆国陸海軍の数十年来の対立は緩和されるどころか、むしろ今回の事態をきっかけにさらに深まっているようでさえあった。

 

 それはともかくとして、当代の大統領は彼の目の前で繰り広げられつつある、対立の一戦局を収集しなければならなかった。フーバーが咳払いを一つして、威厳を持って言った。


「双方の言い分はよく分かった。陸軍は太平洋方面への投入兵力についてもう一度再検討を加えるように、たとえ戦争が始まってからでも一兵でも多く回せる兵力があるかないか検討せよ。海軍は可及的速やかに、海兵隊第二師団の編成を完結させること。両人ともそれで異存ないな?」

 

 大統領の鶴の一声に陸海軍の最高位の軍人二人は、新米将校のごとき、律儀な敬礼をした。


「国務省は一九四一年一一月二五日をもって、交渉の打ち切りを日本と南部に通告すること。同日をもって、OAP・OSSともに発動とする。対日宣戦布告は遺漏なきようにせよ。以上だ」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る