太平洋を越えて

 キューバはカリブ海とメキシコ湾をつなぐ要衝に浮かぶ島で、面積は北海道と九州を合わせた広さに相当する。

 

 一四九二年、クリストファー・コロンブスらの一行が到達し、ヨーロッパ人がその第一歩を記した。

 だがそれは、島の先住民たちにとっては災厄に他ならなかった。

 その後に始まったスペイン人の征服に伴う虐殺や奴隷労働、飢餓、さらには彼らの持ち込んだ病原菌などによって、先住民は全滅に近い打撃を受けた。

 そのため、五〇〇万人程度の人口の大部分は、ヨーロッパ系の白人移民の子孫、もしくはかつての黒人奴隷の子孫たちによって占められている。

 

 スペインによる支配は四〇〇年近く続いたが、一八九八年の「キューバ戦争」がその転機となった。

 この時期はちょうど、第一次南北戦争後の復興と国内改革が一段落した時期にあたり、南部連合は建国後初めて積極的な海外進出を行う余裕ができていた。

 

 南部連合が目を向けたのはフロリダの沖合に浮かぶキューバであった。

 以前から背後の安全を確保すべく、キューバを勢力下に置くべきとの議論が南部連合国内にあり、貿易などによるキューバへの経済的進出も盛んであった。

 

 これらのことは、キューバの宗主国スペインと南部連合の緊張を高めた。

 キューバでは南部人とスペイン人、それに独立派の現地住民らが絡み合った衝突が頻発し、騒擾にひとしい空気に包まれていた。

 そんな中、一八九八年二月、ハバナ港に停泊していた南部連合海軍の装甲巡洋艦「モントゴメリー」が爆沈した(モントゴメリー号事件)。

 

 これは機関部の蒸気爆発による事故とも言われているが、南部連合側はこれをスペインによる攻撃と断定。

 南部連合議会はキューバへの派兵を決議した。

 

 キューバを主戦場にした一〇カ月にわたる戦闘の末、南部連合軍は全島を制圧。  

 同年一二月に結ばれたパリ条約によって戦争は終結した。

 同条約によって南部連合はキューバとプエルトリコを獲得。

 前者を自治領、後者を準州とした。

 

 以来、今日まで四〇年にわたって南部連合による支配が続いている。

 キューバについてはスペイン時代からあった独立運動に押され、南部連合政府は段階的な自治権拡大を余儀なくされている。

 現在ではキューバは保護国であり、一九四四年には完全独立が予定されるまでになっていた。



「艦長、本艦への補給作業は一五〇〇には完了見込みです」


「ああ、ご苦労。最後まで遺漏なきように頼む」

 

 駆逐艦“有明”艦長・田中一郎中佐は主計将校の報告に鷹揚に頷いて、補給品のリストを受け取った。

 回れ右して去っていく補給将校を目の端にとらえながら、田中は補給品のリストに目を通した。

 大した長さではない。

 今回の航海で武器の使用はなかったので、弾薬の補給はなく、燃料と食料くらいのものだった。


 すぐにリストを見終わった田中は窓外に広がる軍港の気色に目を移した。

 雲一つない晴れ渡った空。その下に立ち並ぶドッグや燃料タンク、司令部、通信所などの地上施設。

 

 二十年弱の軍歴の多くを洋上の駆逐艦で過ごしてきた田中にとっては、どれもなじみの風景というべきだったが、ここは彼の祖国ではなかった。

 いや、それどころかこの“有明”乗員の、おそらく全員にとって未知の国・キューバのほぼ東端に位置するグアンタナモ湾だった。


 田中の指揮する駆逐艦“有明”は僚艦六隻とともに日本から太平洋を越えて、この南部連合海軍・グアンタナモ軍港に入港したのだった。

 むろん、軽巡を旗艦とする大護衛船団を仕立て上げたのだからただの親善航海ではない。

 彼らは南部連合海軍が日本から購入した新造の翔鶴空母一隻と、日英南三国同盟に基づき英南共同警備区域であるパナマ運河地区の守備に加わる海軍特別陸戦隊一個旅団を護衛し、日本から一カ月強の航海をしてきたのである。

 

 それにしても――と田中は思う。

 海軍も人使いが荒い。

 田中と彼の艦は欧州での海上護衛任務から、輸送船団を護衛しつつ日本に帰着して一週間でこの任務を命じられた。

 通常は悪くとも二週間の休養が与えられるところを、半分で切り上げられたのは、今回の任務に可能な限りの精鋭を充てたかったからだろう。

 

 海上護衛任務に割り当てられているのは、旧式艦か戦時増産型の艦であるところ、“有明”の属する初春級駆逐艦は旧式艦の中では最新の部類に属する。

 今回の護衛任務に充てられているのは、旧式艦の中でも比較的艦齢が新しい艦、もしくは対空戦に特化した最新の秋月級駆逐艦だけだった。

 

 そして、そのような優良艦を預かっているからには、その艦長たちもいずれも駆逐艦の艦長として水準以上の能力を備えた者たちばかりだった。

 

 細身に眼鏡をかけた、軍服を着ていなければどこかの地方大学の万年講師にしか見えないような、この田中一郎中佐とてその例外ではなかった。

 いや、それどころではない。彼は旧式の神風級駆逐艦の艦長として欧州へ派遣されると、一年弱の間にドイツ軍のUボートを六隻撃沈したという、紛れもない潜水艦狩りの天才だった。

 

 その腕を見込んだ海上護衛司令部から“有明”を与えられた後は半年でさらに二隻撃沈、一隻拿捕の戦果を挙げている。

 ちなみに、拿捕した一隻からはドイツ軍自慢の「エニグマ暗号機」と乱数表の押収に成功している。(ただし、この「戦果」はドイツ軍に暗号機が敵の手に渡ったことを知られないために公にはされておらず、田中やその部下たちが叙勲などの栄誉に与ることはなかった)。

 

 つまり、今回彼らが護衛してきた「荷物」は、帝国海軍にとって考え得る限りの最高の艦と艦長を集めてまで運ばなければならないものだった。

 翔鶴級空母は空母戦力で合衆国に大きく劣る南部連合海軍にとって、救世主となり得る存在だった。

 陸戦隊一個旅団は日本と南部連合の連絡路であるパナマ運河を守るためのものだった。

 合衆国との海戦がもはや秒読み段階と言われる今、開戦前に何としてでも運んでおかねばならない荷物だった。


 懸念されていた合衆国の妨害もなく、行きは無事に来られた。

 しかし、帰りはどうなるか分からない。

 三日後に俺たちは日本に向けて出発する。

 日本に帰り着くのは一二月下旬。

 その頃には、いや復路の途中で確実に戦争が始まるだろう。

 行きは良い良い、帰りは怖い、か――田中は彼にとって習い性のようになっている自嘲的な笑みを浮かべて、心の中でそう呟いた。

 大西洋や地中海よりはるかに広い太平洋を戦時下に横断しなければならない。

 いったい何隻の潜水艦、何機の航空機に出くわすか――。

 

 田中が心中で独白していた時、ちょうど“有明”の副長が報告をすべく艦橋に入ってきたが、彼には彼の艦長が、ひどく楽し気にほほ笑んでいるように見えた。

 彼が田中に仕えている時間はまだ一年に満たないが、その経験によると艦長がそのような笑みを浮かべた後は、必ず不幸な潜水艦が出る、と。


 


 北米大陸と南米大陸をつなぐ、砂時計のつなぎ目のような細い陸地、それがパナマである。

 ここに運河開削を最初に試みたのは、スエズ運河を建設したフランス人、フェルディナン・ド・レセップスであるが、その野心は密林と険しい地形、それに風土病の前に敗れ去った。

 

 結局、二〇世紀初頭に入り、経済の発展に伴ってアジア・太平洋地域へのより簡便な交通路の確保に迫られた南部連合と、地中海とインド洋をつなぐスエズ運河に加えて太平洋と大西洋の両大洋をつなぐ通路を手中に収めるという野望に駆られたイギリスの共同国家プロジェクトとして、一九一四年に完成した。

 パナマはコロンビアの一州であるが、運河とその周辺は「パナマ運河地帯」として英南の共同管理の下にある。

 

 パナマでは伝統的にコロンビアからの独立運動があり、政情が不安定ため、イギリス軍と南部連合軍が駐留し、治安維持と守備にあたっているが、米英対立の激化につれて守備隊は段階的に増強され、一九四一年一一月現在、その規模は両国あわせて一個師団に相当する。

 そして、今回そこに新たに一個旅団(師団の半分程度の規模)が加わることになった。大日本帝国海軍特別陸戦隊第二旅団である。

 

 パナマ運河は先次大戦の際に日本から欧州の戦場へ兵と武器弾薬、その他様々な物資運ぶための重要な輸送路の一つとなった。

 日米戦が勃発した場合には日本と南部連合のほとんど唯一の連絡路となるだろう。

 であるならば、合衆国がこのきわめて狭い地域に兵力を差し向けることはまず確実であると、日英南の政府と軍首脳部は見ていた。

 日本が合衆国を刺激することを承知の上で、ここに貴重な陸戦隊の一個旅団(特別陸戦隊で編成が完結しているのは第一・第二の二個旅団しかなかった)を差し向けたのにはそのような理由がある。

 

 だが、国家の思惑と個人の感情はまた別問題であった。

 帝国海軍特別陸戦隊第二旅団第一連隊第一大隊第三中隊長・土井次郎大尉の機嫌は、太平洋行の輸送船に乗せられてからというもの、控えめに評して最悪だった。

 部下の手前、あからさまにそれを態度に示すことはなかった。ただでさえ無口な彼がさらに口数が少なくなっていた。

 レスラーのような体格をした彼がそのような態度でいると、下手に口を開くより迫力がある。

 

 幸い、そんな土井のことを彼の下に仕える部下たちは「威厳」と受け取ってくれたらしい。

 だがそれは、一種の誤解であった。

 彼はただ、海を渡る間中、船酔いに悩まされていただけだったのである。

 そして、そのことを正しく認識していたのは、土井中隊の先任伍長だけだった。

 彼は土井が少尉として初めて小隊を任されたときに、小隊先任伍長として手取り足取り軍のイロハを教えてくれた人物だった。

 

 土井が三九歳という年齢のわりに階級が低いのは、彼が一〇年も前に家庭の事情で自ら予備役編入を願い出たためだ。

 大分にある実家の豆腐屋を継いでいた兄が急死したのだ。

 これからというところで軍歴を捨てるのは惜しかったが、親代わりに自分を育ててくれた兄が必死に守っていた家業を見捨てることはできなかった。

 

 兄夫婦で手が足りるくらいの小さな豆腐屋で、兄の未亡人と二人の甥・姪たち、妻と子どもたち三人、それに自分自身を食わせていくのは並大抵の苦労ではなかった。

 それでも少しずつ売り上げを伸ばして、去年から人を雇うまでになった。その矢先、情勢の緊迫化を受けて一〇年も軍を離れている上に、一家の大黒柱である土井も招集されることになったのである。

 

 自分の人生が自分の力の及ばぬところで左右されているのはまったく気に入らないが、こうして軍服を着ていると思う。

 「やはり俺にはこれの方が合っている」と。

 忌々しい船に乗るのももう終わり。

 地面の上に立てばこっちのものだ。

 

 土井の眼前では兵たちが行進の訓練をしていた。

 特別陸戦隊で平時から充足状態に置かれているのは第一旅団だけで、第二旅団は定数の半数程度の人員を抱えているに過ぎない。

 そのようなわけで、海軍は対米戦が現実味を帯び始めてから慌てて予備役の動員と徴兵でどうにかこうにか定数を満たして、ここパナマに送り込んできた。

 現状は到底満足できる水準ではないが、そのような状態にある部隊、しかも上陸してから数日しか経っていないことを勘案すれば、まずまずと評するべきなのかもしれない。


「なにか気になるところがおありですか?」

 

先任伍長が気遣わしげに問いかけた。

大正軍縮後に常設部隊としての陸戦隊が設立された頃から陸戦隊一筋の先任伍長はまさに生き字引のような存在で、陸戦隊のことならすべてを知り尽くしているといっても過言ではない。


 土井の下にいる小隊長たちも、中隊本部の幕僚たちも意欲はあっても経験の浅い若手か、一般の大学で予備士官育成課程を受講しただけで軍歴がなきに等しい予備将校たちという現状にあっては、欠かすことのできない副官役である。

 すでに髪に白いものが目立つようになっているが、赤銅色に焼けたその肉体は若者のように壮健である。

 要するに典型的な日本の下士官であった。


「うん、いや確かにまだ十分ではないが……我が部隊の現状を鑑みれば焦りは禁物というべきなのだろうな」


「ご安心ください。合衆国軍がいつ来襲するとも知れないのですから、それまでに必ず実戦に耐えうるまでに鍛え上げてみせますよ。兵たちを熱帯ボケさせるわけにもいけませんしね」

 

 土井が甘いことを言えば、先任伍長があえて厳しいことを言う。

 阿吽の呼吸だった。

 憎まれ役は兵・下士官のまとめ役である自分がなればいい。

 最終的に兵たちを死地に赴かせることもあり得る指揮官は、憎まれてはならなかった。

 だが一方であまりに上官の意見を否定しているようにとられると、その権威を傷つけることになりかねない。その匙加減が難しい。

 

 土井は兵たちの訓練を見ながらふと、大分に残してきた家族のことを思った。

 豆腐屋は自分が招集された時に休業にしてある。

 俺の給料を送るから困窮することはないだろう。

 土井は一家でいちばん年下の彼の次男のことを思った。

 来年の春に小学校に上がる。

 入学式には行ってやれないが、授業参観と運動会には行ってやらなきゃな――。

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