連合艦隊合同作戦会議②

 昭和一六年現在、帝国海軍連合艦隊司令部は呉鎮守府別館内に置かれていた。

 GF司令部がかつてのように洋上の軍艦に置かれなくなったのには、いくつかの理由があったが、その最たるものはGFの想定作戦領域が飛躍的に拡大したことにあった。

 

 前大戦の結果、新領土として南洋諸島を獲得したことや、仮想敵国として合衆国の存在感が大きくなるにつれ、GFが戦うべき戦場は太平洋全域に広がった(さらに再びドイツと戦うことになった場合、大西洋や地中海に艦隊を派遣する可能性もあった)。

 そのような広大な戦場を舞台にした作戦指揮を洋上の艦から執るのは、いくら何でも不合理であったし、下僚も含めれば一〇〇人近い人数に膨れ上がっていたGF司令部は物理的にも軍艦の中には収容できなくなっていた。

 

 以上のような背景から、今次大戦への参戦を機にGF司令部は呉鎮守府内に移されることになった(GF司令部の移転と前後して、海軍呉通信所は大幅な増築がなされ、世界最大規模の通信施設の一つとなっていた)。

 それにともないGF司令長官に求められる役割もかつてのように「陣頭に立って、刻一刻と変化する海戦を指揮すること」から、「参謀たちを指揮して臨機応変に課題を処理すること」になりつつある。

 それはつまり、「武人的」役割から「行政官的」役割への変化とも表現し得た。

 現在、GF司令長官の座にある嶋田繁太郎大将はその意味では、適材であると言われている。

 その軍歴は現場と軍令部門での経験をバランスよく積んでおり、人事を司る軍令部総務部長の職もそつなく勤め上げた。ま

 まさに新時代のGF長官に打ってつけの人物であると言えた。

 

 他方、嶋田の本来の専門は潜水艦であり、水上艦隊指揮の経験は乏しかった。

 それに会議においても自ら発言することは少なく、部下の発言を聞いていることが多い。

 そして、最後に参謀長に意見を求められて、参謀たちの意見を追認するのが大抵だった。さらに付け加えると、海軍内での彼のあだ名は「昼行燈」であった。

 

 同期でもある山本軍令部総長が良くも悪くも個性的な人物であるのと比べると、いかにも地味で目立たない人物であり、そんな嶋田に対して平時はともかく、戦時における指導力を疑問視する声は海軍内に少なからずあった。

 

 連合艦隊合同作戦会議は、そんな嶋田にとって初めての試金石となる機会であった。


 


 呉鎮守府別館の大会議室にはGF長官と参謀長以下の幕僚たち、麾下の五つの艦隊の長官と作戦参謀、そして軍令部代表として伊藤整一次長と黒島亀人第一部第一課長が集まっていた。

 

 議事進行役を務める千早GF参謀長が開会を告げた。


「皆様のお手元にあります資料が、GF司令部が対米戦を想定して策定した作戦計画であります。これにつきまして、まず概要を作戦参謀よりご説明申し上げます」

 

 鄭参謀が説明した内容は、真藤が呉の料亭で説明した内容を前提にしていた。

 説明しながら鄭は、真藤と会った日の夜から今日までの一週間にわたる日々に思いを馳せた。

 

 真藤と会った翌朝に、千早参謀長と一緒に合衆国軍による奇襲の可能性を説明し、今からでも作戦計画を変更すべきと進言した。

 嶋田は二人の口から「理論的には正しいが突拍子もない」進言を、目を閉じて腕を組みながら黙って聞いた後、「作戦案の変更を許可する」とだけ言った。

 

 変更作業の中心を担った鄭は、一週間にわたるスパルタ人のごとき日々を過ごすことになった。

 それまでのものを白紙に戻して、実質的に一から新しい作戦案を策定した。

 そして、どうにかこうにか、サイパンを第一艦隊、横須賀を一航艦に守らせて、敵の奇襲を逆用する作戦案をまとめ上げたのが、昨日の早朝。

 我ながら奇跡のようなものだったと思う。

 

 もっともその代償として彼は、一連の作業が終わった後、一週間ぶりに帰宅するなり、家族ともろくに話さずに(最後の気力を振り絞って寝室に行くと)着の身着のままでベッドに倒れ込こんだ。

 いや、より正確には気絶したと表現すべきかもしれないが、とにかくそれから夜まで眠った。

 あれほど眠ったのは若い頃、まだ少尉だった頃以来だ。

 

 鄭をして眠り姫のごとき睡眠を貪らせしめた作戦案の概要を聞いたGF所属の艦隊司令官と作戦参謀たちは、一様に困惑した様子だった。

 例外は一航艦の二人―山口多聞中将と真藤威利中佐だけだ。


「その・・・理論的に正しいのはよく分かるが、やはりあまりに突拍子もないという印象がぬぐえない。GF司令部がそのように判断する根拠を聞かせてもらえないだろうか?」

 

 おずおずと発言したのは第三艦隊の近藤信竹中将だ。

 軍人というより「名門学校の校長」とでもいわれた方がしっくりくるような風貌だ。

 教育畑での経験が長く、温厚篤実な人柄で知られていた。

 東宮侍従を務めたこともあり、今上陛下が皇太子時代に行った欧州歴訪にも随行した関係で、英海軍にも知己がいた。

 その人柄と経験を買われて、南方占領地の軍政や英軍との折衝にも携わる第三艦隊の長官を任されている。


「正直に申し上げますと、現在のところGFでは合衆国海軍が奇襲を企てていることを肯定する明確な証拠を掴んではおりません。しかしながら、論理的に十分あり得る可能性であり、かつ現実化した場合の結果があまりに重大になり得るため、それに対応した作戦案となっております」

 

 鄭の返答に対し、さらに質問が飛ぶ。


「理屈は分かるがね。しかし、仮に米海軍が奇襲、あるいは他の積極的な行動に出なかった場合、我々は先制攻撃の好機を失うのではないか?相手に態勢を整える暇を与え、守りを固められることになりかねん」

 

 質問者は第四艦隊司令長官の三川軍一中将。

 第四艦隊はトラック泊地を母港としており、南洋諸島の守備を担当する。


「先ほども申し上げましたとおり、本計画では米軍の来寇を本年一二月から来年一月と想定しております。この期間内に攻撃がなかった場合、中部太平洋を東進する計画に切り替える予定です。そもそも米軍が積極的な攻勢に出ないということは、我々が戦争の主導権を握る好機であり、むしろ好都合であると考えます」

 

 鄭はあえて楽観的に答えた。

 

 その後もいくつもの質問が飛んだが、鄭はそれらを危なげなくさばいた。さすがに三八歳の若さでGFの作戦参謀に抜擢されただけのことはあった。

 鄭の質疑応答で、居並ぶ艦隊司令官と作戦参謀たちの懸念がひとまず払拭され、話が実務的な検討に移ろうとした時、軍令部次長の伊藤中将が発言の機会を求めた。


「ああ、話の腰を折るようで申し訳ない。軍令部からぜひお伝えしておきたいことがあるのだが、発言をしてよろしいだろうか、参謀長?」

 

 海軍指折りの人格者と称えられる伊藤だけに、階級が下の千早に対しても言葉遣いが丁寧である。

「ええ、もちろん」

「本来、このような重大な事項はもっと早くに伝えるべきだったのだが、政府の内諾が下りたのが昨日のことだったので、ご容赦願いたい……日米が開戦した場合、我が軍はフィリピン占領作戦を発動することになった」

 

 軍令部次長の言葉に室内にいたほぼ全員が、虚を突かれたように静まり返った。その空気を敢えて無視するかのように、伊藤は続けた。


「元々、この件は軍と政府のごく一部の中だけで検討されていたのだ。知っていたのは陸海軍、政府のすべてを合わせても一〇人にも満たない」

 

 鄭は嶋田の顔をちらりと見た。

 いつもの茫洋とした表情は少しも変わりがないように見える。

 が、さすがにこのような重大事を、GF長官が知らなかったということはあり得ない。

 

 伊藤はさらに続ける。


「皆も知っての通り、フィリピンは我が国の海上交易路―特に中東や南方資源地帯との連絡路をちょうど扼する位置にある。日米開戦後にスペインが万一にも合衆国側についた場合、この道が遮断されることになる。その危険性を事前に排除するのが、本作戦の意図だ」

 

 スペイン領フィリピン――それは一六世紀末以来、ゆっくりと、しかし着実に黄昏ゆくかつての植民地帝国に残された、残り少ない海外植民地の一つだった(スペインに残された目ぼしい海外領土は、後は太平洋に浮かぶグアム島くらいのものだった)。

 そこで産出される金や銅、鉄鉱石などの鉱物資源は、観光業と農業を除いてこれといった産業がないスペインの経済の屋台骨とでもいうべき存在だった。

 

 その宗主国たるスペインは、今次大戦には参戦していないが、枢軸国寄りの立場を示していない。

 当然、ドイツの敵国たる日本との関係は良くはないのだが、決定的に対立しているわけでもない。

 ドイツの友好国である合衆国との関係は比較的良好だが、同盟などの明確な態度を示しているわけでもなかった。


  スペインの独裁者フランコは、そういう曖昧な立場にあえて身を置くことで、自国を守っていたが、その「蝙蝠的外交」は太平洋で日米の緊張が高まっている今の情勢下においては、日米双方にとっての不安要素でしかなかった。


「フィリピン攻略の必要性は分かりますが、道義的な問題というものがあるでしょう?下手をすれば我が国は国際世論の非難を浴びかねません」

 

 千早が兼念を示した。

「その点については心配ない。これも極秘のこと故他言無用に願いたいが、現在スペイン本国政府とフィリピン植民地政府の双方に外交ルートにて働きかけがなされている。実力行使はあくまでそれがうまくいかなかった場合のことだ。それに万一の場合も宣戦布告は間違いなくなされる」

 

 伊藤はそう言ったが、その外交努力が無駄に終わるであろうことは、この部屋にいる全員が承知していた。


「フィリピンを攻略するとして、その支援にはどの艦隊を充てるのだ?スペイン東洋艦隊は侮れんぞ」

 

 第一艦隊長官の南雲中将が言った。

 スペイン東洋艦隊には、現在四隻の戦艦が配備されている。

 そのうち二隻は、スペインが一次大戦の前後に建造したエスパーニャ級で、三〇・五㎝砲八門を有している。

 後の二隻はスペインが合衆国より購入したカリホルニア級戦艦とニューメキシコ級戦艦が各一隻。

 ともに軍縮条約以前に建造された旧式艦だが、前者は一四in(≒三五・六㎝)砲一二門、後者は同じく一四in砲一〇門を有している。

 帝国海軍では扶桑級や伊勢級がほぼ同等の戦力であった。


「第三艦隊がほぼ同等の戦力を有します。スペイン海軍の練度から考えて、十分に勝てるでしょう。なにより、これなら作戦案の修正は最小限で済みます」

 

 GFの砲術参謀が言った。

 全員がそれに肯く。

 だが、伊藤がそれに異を唱えた。


「いや、ここは第一艦隊をお願いしたい。第三艦隊でも確かに勝利は可能でしょう。しかし、ここは圧倒的に優位な戦力を投入して、迅速かつ確実を期していただきたい」


「しかし、それでは横須賀とサイパンの防衛はどうするのだ?太平洋艦隊主力が相手となれば、第一艦隊か一航艦でなければ心もとない」

 

 近藤が疑問を呈する。

 それに対して鄭が何か言おうとした時、低く太い声が響き渡った。


「一航艦はサイパンに差し向ける。ただし、軍令部の責任において横須賀防衛は万全を尽くしてもらいたい」

 

 会議が始まってからほとんど発言していなかった、嶋田GF長官だった。

 全員の注目が集まる。


「山口、それでよいな?」


「はっ」


 一航艦の山口多聞中将が頭を下げた。


「伊藤君、重ねて言うが、我々は事前に警告し対策も取った。しかし、敢えてその戦力を差し向けるのだから、その責任は軍令部に取ってもらいたい。そう、山本に伝えるのだ」

 

 伊藤は一礼して言った。


「はっ、小官は山本総長より本会議での全権を任されております。この席上での小官の言は山本総長の言とお考えいただいて構いません」

 

 それを聞くと、嶋田はゆっくりと頷き、ニヤリと笑って言った。


「これは貸しだ。山本にそう伝えてくれ」

 

 その時鄭は、自分が仕えるべき司令官長官の肚の内を完全に理解したと、突如確信した。

 嶋田長官だけが、横須賀・サイパン同時攻撃の可能性と、フィリピン攻略作戦の存在を同時に知る立場に、図らずもなった。

 それを最大限に活かす方法を考えたのだ。フィリピン攻略には第一艦隊を差し出して軍令部に恩を売る。

 

 一航艦がなければ横須賀は江戸湾周辺に配備されている基地航空隊で守るしかないが、その指揮系統をたぐっていくと軍令部にたどり着く。

 つまり、責任は軍令部に帰結する。

 

 真藤の予想が的中して横須賀とサイパンがともに奇襲を受けた場合、サイパンは一航艦の全力を投入すれば十分に守り切れるだろう。

 横須賀の方は事前に警戒をしていれば、少なくとも完全な奇襲を受けることだけはない。

 軍港にいくらか被害は出るだろうが、艦隊はそこにいないから最悪の事態だけは避けられる。

 

 さらに仮に米軍が奇襲をしてこなかった場合は、フィリピンを押さえて海上輸送路の安全を確保した状態で、当初の作戦計画どおり攻勢に出ればよい。

 

 どう転んでもGFに損はない。

 ばかりか、うまくすれば格段に発言力は上がる。

 いやはやまったく、昼行燈どころか、古狸だ。

 

 鄭はいつになく頼もしく見える上官から視線を外し、同じ会議に出席している同期へと目を移した。

 あからさまに憮然とした顔――参謀なんて仕事に就いたのに、相変らず分かりやすい奴だ――その耳元には山口中将がなにか囁きかけているように見える。

 

 あなたも苦労しますね――鄭は彼の同期の上官となった男へ心の中で語りかけつつ思った。

 今日、いや明日からまた作戦案の修正だ。

 その前に、直属の上官たるGF参謀長は、俺に命じるだろう。

 彼にとっては愛すべき(かどうかは知らないが)教え子、自分にとっては(これも今一つ自信はないが)愛すべき同期をどうにかして宥めろと――。

 


 


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