連合艦隊合同作戦会議①
昭和一六(一九四一)年九月、一日の中に夏と秋が同居する日の夜、帝国海軍第一航空艦隊司令部附副官・柴田敦夫予備中尉は、呉の高級料亭の一室にいた。
一口に「副官」といっても二種類に大別される。
一つは世間一般に連想されるような、高級将校の秘書役を務める人々。
そしてもう一つは、部隊の司令部に配置され、参謀たちの職務を補助する役割を担う尉官クラスの下級将校(もちろん、これらの任務は必ずしも明確に分別できるわけではなく、両方の性格を兼ね備えている場合も珍しくない)。
柴田は後者に属しており、一航艦司令部の一〇人以上の参謀たち、彼らの下で情報の整理や種々の事務などを担う二〇人弱の青年将校たちの一人であった(司令部にはさらに数名の下士官も配置されている)。
柴田が今いる料亭は、「最高級」というほどではないが、少なくとも中尉の俸給で来られるような場所ではない。
今日、柴田はその店に自分の財布ではなく、海軍の経費で訪れている。も
ちろん公務であるが、そういう店で相伴に与れるのを喜ぶべき状況ではあった。
しかしながら、気分はお世辞にも良いものではなかった。
その原因は、今彼のすぐ横で(なにが楽しいのか知らないが)上機嫌で、機関銃のように喋り続けている男。
彼が仕えるべき上官(の一人)だった。
一般国民には伏せられているが、政府と軍は対米開戦をほとんど確実なものとして認識していた。
GF《連合艦隊》はその来るべき戦争に備えて麾下の艦隊司令長官と作戦参謀を呉に招集。
GF司令部と合同の作戦会議を開催する予定であった。
真藤はもちろん出席するが、彼は柴田を連れて一週間以上も早く前乗りしていた。
理由は柴田もよく知らない。
ただある日、真藤は山口長官、草鹿参謀長と三人で二時間も話し込んでいた。
“翔鶴”の長官公室を妙に機嫌の良さそうな顔で出てきたと思ったら、今度は一時間近く通信室に籠っていた。
その翌日に柴田は呉への随行を命じられたのである。
思えばこの童顔の小男の部下になったのがケチのつき始めだった。
いや、それを言うなら海軍予備士官課程を受講したときか。
いやいや、そもそもの原因は俺の実家が三人の息子を自力で大学に行かせるほど豊かでなかったことか――。
彼はその端正な顔に皮肉な笑みを浮かべたくなった。
柴田は江戸の平凡な中小企業の勤め人の父と専業主婦の母との間に三人兄弟の長男として生まれた。
京大に進んだ柴田を筆頭に三人の息子たちは皆優秀だったが、彼らの父には息子全員を大学にやれるほどの資力はなかった。
京大への進学が決まっていた柴田が、弟たちのことも考えて選んだのは、各大学にある陸海軍の予備士官課程の受講であった。
予備士官課程を修了すると大学卒業後に陸海軍少尉として任官し、二年間の軍務に就く義務が生ずるが、在学中の学費が全額貸与されるという特典があった。
また、戦争でもない限りは予備将校として年四回の訓練に招集される以外は、民間人として暮らせる。
「能力はあるが金はない」若者たちと、戦時に優秀な将校を確保したい軍の利害の一致から生まれた制度だった。
大学時代に国際政治学者としての道を歩むことを決心していた柴田はイギリスに留学。
故に予備士官としての任官が延期された。
二年の軍役のうち最初の一年を海軍通信学校で過ごせたのは幸運だったが、今次大戦の勃発が彼の幸運に終止符を打った。
不足していた前線部隊の通信士として空母“飛龍”に配属され、真藤隊の隊長機付となった。
以来、柴田が積極的に望んだことなど一度もなかったが、欧州戦線に一航艦と、真藤との腐れ縁が続いている。
襖の向こうから仲居の「お連れ様がお着きでございます」という声が聞こえた。
途端に真藤は喋るのをピタリと止め、三つ指をついて二人の海軍将校たちを出迎えた。
「気色の悪い真似はよせ」
部屋に入ってきた海軍の第二種軍装に身を包んだ将官が本気で気持ち悪がっているともとれる表情で真藤に言った。
顔を上げた真藤は悪戯を自慢する悪童のようにニヤリと笑っていた。
「いやー、教官。今日はぜひお願いしたい儀があって、こうしてご足労願いましたので、ほんの誠意ですよ」
「ふん、貴様のような学生を二年も指導させた挙句に仲人までやってやったのに、年賀状以外はろくろく挨拶にも来ん奴が誠意か。自覚しとるか真藤学生。貴様がそういう態度を取れば取るほど誠意とやらはどんどん遠ざかって行くぞ」
真藤は額をピシャリと叩いて悪びれもせずに言う。
「教官は小官なんぞと違って、お忙しい身ですから遠慮申し上げた次第でして。まっ、とにかく一献、一献」
上座に腰を落ち着けた将官――GF参謀長・千早貞俊少将に真藤が酒を注ごうとすると、咳払いが聞こえた。
わざとらしく「今初めて気づいた」という体で振り返った真藤の視線の先には同じく二種軍装姿の海軍中佐がいた。
「これは、これはGF作戦参謀殿、とんだ失礼をいたしました!」
相変らず空々しい。
「貴様、一航艦の作戦参謀にまでなってその調子なのか?君も大変だな、中尉」
優し気で純朴そうな顔をした中佐に柴田は「ええ、まあ」と曖昧に応えた。
内心どう思っていようと初対面の少将と中佐に率直な態度など取れるはずもない。
「まっ、とにかく今日の役者はそろいました。こちらは小官の優秀なる副官・柴田敦夫中尉です」
真藤が二人に柴田を紹介する。
少将の方は言わずと知れたGF参謀長。
中佐の方は鄭博文。
台湾の旧領主・鄭侯爵家の長男で今はGF作戦参謀の要職にある。
二人は真藤にとって、兵学校時代の教官と同期に当たる。
「ささ、まずは一杯」
真藤が千早と鄭、そして柴田にも酒を注いで回り、一斉に飲み干す。
さらに二杯目を注ごうとする真藤を千早が制して言った。
「真藤、GFを挙げた作戦会議を前にしたこの手荒く忙しい時期に、わざわざ呼び出したのは同期会の真似事をするためじゃあるまい?」
真藤がまたニヤリと笑って、柴田に目配せした。
柴田が立ち上がり、次の間との間の襖を開ける。
次の間には畳の上に大判の太平洋全図が広げられていた。
四人はそれを囲んで座った。
真藤は銚子と猪口を持ってきている。
「千早少将、次の戦争、GFはどうやって戦うつもりです?」
「鄭、説明してやれ」
「はっ、しかし」
「構わん、どうせ会議で説明することだ」
「はっ、では」
鄭は一呼吸置くと、指示棒を使って話し始めた。
「仮に近いうちに(GFでは本年中、もしくは来年の前半とみているが)日南と合衆国が開戦した場合、我が国の最大の役割は南部連合を援護すべく可能な限り多くの合衆国の戦力を太平洋方面に誘出し、拘束することだ。戦争が合衆国の南部連合侵攻で始まった場合、我が国は三国同盟に従って合衆国に宣戦を布告。中部太平洋の米領・ウェーク島とミッドウエー諸島を攻撃。迎撃に出てきた太平洋艦隊を撃破。ハワイを狙う(日米が開戦した場合、合衆国がハワイ中立化条約を破棄して、ハワイを占領するには確実だ)構えを見せて、艦隊を釘付けにする。戦力の充実を待ってハワイに攻撃を仕掛けるが、本当に攻略する必要はない。要は連中の艦隊を太平洋から離れられなくすればいい。そうやって合衆国と南部連合の戦に決着が着くまで持久戦でいく――細かいところは色々あるが、概略はこうだ」
「まあ、そんなところだろうな。常識的に言えば」
真藤は膳から持ってきた酒を飲みながら言った。
いくら気心の知れたかつての恩師と同期とはいえ、GF参謀長と作戦参謀を前にしてこのような態度を取るのは、海軍広しといえども真藤くらいのものだろう。
「なにか疑問点があるのか?真藤」
千早が問う。
その瞳には隠し切れない興味の光がある。
変わり者だが決して頭は悪くない生徒の回答を待つ教師のような。
「何と言いますかね、GFの作戦案が成り立つには二つの前提が必要ですよね?合衆国にとって太平洋は第二戦線である、故に『積極的な攻勢には出ない』という前提と、日本は同盟に基づいて宣戦布告をする側、故に『先制攻撃をする側』であるという前提が」
「違うと言いたいのか?」
「その前提の元に戦うには、無視できない危険があると言いたいのですよ」
「と言うと?」
千早の眼の色はもはや興味と言うより好奇心に近い。
真藤は思いつた悪戯を、得々と説明する子どものような顔で言った。
「つまりですね、合衆国が開戦劈頭から積極的な攻勢に打って出る場合のことを考えるべきだと思うのですよ。我々が『戦争は自分たちの先制攻撃から始まる』と思い込んでいる隙をついて先に仕掛けてくる可能性をね」
「奇襲というわけか?どこに?」と鄭が尋ねる。
「サイパン、もしくは横須賀。あるいはその両方。たぶん両方の可能性がいちばん高い」
「それはあり得んだろう。いくら何でも冒険的に過ぎる。そのような投機的な作戦を合衆国海軍が採るだろうか?」
鄭が困惑の表情で言った。
「あー、動機と可能性、どっちを先に説明するかな。うん、よし、動機にしよう」
真藤は独り合点してさらに続けた。
「まずは動機だ。言うまでもなく、合衆国とって日本と南部連合を同時に敵に回すのはうまくない。東海岸は確実に戦場になるし、石油が途中で足りなくなるかもしれん。だから敵をなるべく早く片付けて、国民の支持があるうちに戦争を終わらせる必要がある」
真藤はそこでさらに酒を注いで一息に飲んだ。
「だから第二戦線の日本なんぞさっさと片づけたい。そのためには緒戦で大打撃を与えて戦争を続ける力と意思を早期に失わせる必要がある。それに大きな勝利は国民の戦争に対する支持を強固にする。まさに一石二鳥というわけですな。横須賀(より正確にはそこにいる一航艦ですな)を叩けば連中が劣勢に立っている空母戦力を壊滅させることができるし、GFを半壊にできる。サイパンは中部太平洋の要衝だし、小笠原、日本本土へと攻め上るときの足掛かりにもなる」
真藤は銚子に残っている酒を、直接口をつけて一気に飲み干した。
「次に可能性です。まず横須賀。ここは本土にある主要な軍港で唯一外洋に直接面している、つまりいちばん攻撃されやすい。そもそもの日本の長い海岸線を完璧に防御することは現実的には不可能です。必ずどこかに隙ができる。たとえば冬の濃霧が出る時季に、北回りから露米(ロシア領アメリカ)と千島列島をかすめるように侵入されると哨戒網をすり抜けることは決して難しくないでしょう」
真藤は指示棒を使ってサンディエゴからアメリカ西海岸を北上して、アレウト列島から千島列島をなぞるように進み、そこから南下して日本本土に至る道筋を描いて見せた。千早はいつの間にか持ってきた酒を飲みながら聞いている。
「本土に近づけば航空哨戒に引っかかる可能性が出てきますが、戦争が始まってから、足の長い陸攻は欧州と南方に回されて、本土の部隊はその穴埋めに艦攻を使っている始末です。それにしたって、予算の制約から訓練も兼ねて日に一、二回。本土近海を申し訳程度に飛ぶだけですからね。すり抜けるのは難しい話じゃない。だいいち、本土を奇襲される可能性を真面目に考えている奴なんざ何人もおらんでしょう?」
千早と鄭は唸った。全て可能性の話ではあるが、筋は通っている。
真藤の「独演会」はさらに続いた。
「次にサイパン。ここは四方が海ですからね、横須賀以上に守りにくい。それに『中部太平洋の要衝』なんて言われる割には守りが薄い」
日本は第一次世界大戦の講和条約であるベルサイユ条約によって、ドイツ領南洋諸島のうち、赤道以北の領域を割譲された。
即ち、北マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島であるが、サイパン島はその中の北マリアナ諸島に位置する。
日本にとってサイパンを始めとする北マリアナ諸島重要なのは、南洋統治の中心地という政治的・経済的意味だけではなく、ハワイを睨むことができる軍事的要地という点においてだった(日米開戦の暁には合衆国がまずハワイを占領することは、日本の軍関係者の間ではある種の「常識」として語られていた)。
しかし、その割にサイパンの防備は盤石とは言えなかった。
昭和一六年現在、同地には海軍の飛行場と一個連隊相当の陸戦隊が置かれているに過ぎなかった。
こうした状況の背景としては、日本が一九二〇年代から三〇年代にかけて列強各国と結んだ、一連の海軍軍縮条約の中で、太平洋の島々の要塞化や一定以上の兵力配置が禁じられたことが大きかった。
それらの条約は一九三〇年代半ばには失効したが、その後も大神と室積の二大海軍工廠建設の予算が優先されるなどしたため、サイパンは要塞化や兵力増強などの措置は取られていない。
「サイパンを始めとするマリアナ諸島が敵の手に落ちれば、小笠原は目と鼻の先。小笠原まで占領されれば、本土の空襲さえ可能になる。まあ、我が軍も色々と抵抗するでしょうから実際はそこまで簡単には進まないとしても、本土にある最大の軍港の一つが奇襲され、数万の同胞が住む領土を開戦劈頭に占領されるということ事体、政治的衝撃が大きい。下手すりゃ、いや確実に、鈴木内閣は吹っ飛びます」
真藤はそこまで話すと、初めて大きく息を吐いた。柴田が気を利かせて用意しておいたコップの水を差しだすと一息に飲み干した。
「ここまで話したことは小官が独りで考えた理論的可能性に過ぎません。しかし、無視するにはあまりに重大な可能性であると考えます。来るべき対米戦でいきなり不利な状態で戦いたくなければ、今の話を嶋田GF長官に進言して、作戦方針を変更してください」
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