民意を無視することは許されるや
「またか……」
民主共和党下院院内総務、コートニー・ブレアは好きでもない料理を毎晩のように夕食に出された亭主のような気分で、そのふくよかな顔をしかめてつぶやいた。
「仕方あるまい、我が国は言論の自由を保障している」
ひとり挟んでブレアの隣に座っている、同じく民主共和党の上院院内総務のダミアン・G・サマーフィールドは、新聞に目を落としながら澄ました顔で応えた。
ブレアはこの世のすべてを悟りきったようなその横顔が、今日はひどく腹立たしく思えた。
一瞬、殴り飛ばしたい衝動に駆られる。
その気配を察してか、二人の間に座ったブレアの秘書が身を竦めた。
別にこの二人の仲が悪いわけでも、ブレアがサマーフィールドを嫌っているわけでもない。
ブレアを襲った一瞬の衝動は、今の彼の心象風景の一つの発露に過ぎなかった。
現在の南部連合の与党である民主共和党、その上下両院のそれぞれの会派を束ねる二人の要人は、これから大統領を訪ねるところである。
サマーフィールドの車に相乗りしてホワイトハウスに向かおうとしたところ、デモ隊に遭遇したのだった。
デモ隊が叫んでいるスローガンはこの数カ月、聞き飽きるほどに聞き慣れたものだ。「北部への石油輸出反対!」、「北部人に石油を渡すな!」……。
今年四月の三国石油交渉の開始以来、リッチモンドをはじめ、南部連合各地で見られるようになった光景。
北部への石油輸出に反対するデモ隊だった。
リッチモンドのメインストリートである「イースト・ブロード・ストリート」。
街をほぼ南北に貫くその通りを、このデモ隊は北へと行進していた(警官隊が遠巻きに「警護」しているが、実態は万一の暴徒化に備えた監視だ)。
おかげで通りを挟んで東側にあるホワイトハウスに行く道を塞がれてしまったのである。
それにしても、なかなか途切れない。
こころなしか最近はデモ隊が大規模になっているような気がしてくる。
体躯に似合わず小心なところのあるブレアはそんな風に思って、うそ寒いものを覚えた。
ただでさえ、今日大統領に会う用件は心楽しいもではないのだ。
そこまで考えて、ブレアはサマーフィールドの様子を見た。
まるで確固たる意志に基づくかのように新聞から目を離さず、こちらを見ようとしない。
なんだ――こいつも案外俺と変わらんのかもしれんな。
日本、北部、南部連合による石油交渉が始まって四カ月。
交渉が始まって以来、南部連合の世論は北部への石油輸出への賛否で二分されていた。
反対運動を主導しているのは野党・民主党とそのシンパのメディアだったが、与党の民主共和党内部でも反対論は強くあった。
無理もないことではあった。
北部が南部連合にとって宿命的な敵国というだけではない。
ここ、ヴァージニア州にも大きな戦禍をもたらした第二次南北戦争からまだ四半世紀も過ぎていない。
あの戦争に最前線の兵士として従軍し、血と泥と硝煙の中でもっとも苦労した男たちは今四〇代から五〇代。
社会の中心にいるのだ。
今日、サマーフィールドとブレアは大統領とその側近たちと議会対策について協議するためにホワイトハウスに赴くのだった。
反対側から別のデモ隊が近づいて来た。
彼らが掲げているプラカードを見ると「石油を輸出しろ!」、「戦争を回避せよ!」などと書かれている。
石油輸出賛成派のデモ隊だ。
二つのデモ隊がすれ違おうとしている。警備の警官隊が二つの隊列の間に割って入る。
一触即発だ。
北部と対峙する以前にこの国の国論は二分されている。
まさかこれも―北部人の計算じゃあるまいな。
ブレアは小さく肩をすくめた。
南部連合大統領、スコット・カウリーは大統領執務室で民主共和党上下両院院内総務の到着を待っていた。
グレイアム・ペレット大統領首席補佐官、ニコラス・E・ウイリアムズ国務長官も同席している。
政権発足から五カ月。
二人とも少なくとも振る舞いは変わりないように見える。
しかし、ペレットは赤ん坊のようだった肌の張りが失われてきたように見えるし、ウイリアムズも老け込んだように見える。
無理もないことであった。
石油交渉開始以来、ペレットは議会や石油企業との折衝に奔走していたし、ウイリアムズも交渉全権である駐日大使と連絡を取りながら、厳しい交渉の指揮を執っている。
もっとも――カウリーは思った。
その辺については自分も二人とさして変わりはないだろうな。
北部人たちは手強い交渉相手だった。
連中の方が切羽詰まっているはずなのに全く急いで交渉をまとめようという素振りがない。
むしろ、戦争をしたくない南部連合と日本の足下を見て、交渉を引き延ばしつつ譲歩を引き出そうとしている。
日本に送り込んだケネス・アクソン外交担当補佐官によれば日本政府は和戦両様だ。
対外情報局(FIA)の報告では北部が着々と戦争準備を進めている。
もちろん、南部連合も戦争になった場合の備えはおさおさ怠りない(カウリーも陸海軍の高官たちと何度も協議を重ねている)。
つまり、現在の構図は南部連合、合衆国、日本の三国とも交渉妥結を最良としながらも、本音ではその可能性をさほど高いとは考えていないのだった。
だが、その交渉にも希望の光が見えてきた。
日本政府が年間六〇億ガロン(約二二七〇万キロリットル)もの石油融通を表明したのだ。
これは北部の希望量の半分弱に相当する。
北部が領内で産出する原油とあわせれば、十分ではないにせよ経済が破壊的なダメージを蒙ることは避けられるはずだ。
両院内総務たちの到着は遅れていた。
また大規模なデモが起きているらしいから、それの影響かもしれない。
とカウリーが考えたとき、彼の秘書官が訪問客の到着を告げた。
「それで、北部への石油輸出は議会で承認されるのですか?率直なところをお訊きしたい」
挨拶もそこそこに会議はカウリーのこの人らしい率直な質問から始まった。
それに対してサマーフィールドが応えた。
「大統領閣下、議会は政府の石油交渉妥結に向けた努力を承知しております。特に日本からの石油融通、それによって少なくない数の議員が輸出賛成に転じました」
サマーフィールドの後にブレアが続けた。
「しかし、それでもなお、議会の情勢は楽観できるものとは申し上げられません。民主党はもちろん、民主共和党の中にもどうしても北部への石油輸出を承知しない議員が無視できない数存在するのです。特に下院民主党の強硬派の中には、石油輸出を利敵行為として大統領を訴追しようとする動きさえあります」
ウイリアムズが鼻で笑うようにして言った。
「訴追?何を馬鹿な。北部と国を挙げて対峙せねばならんこの時に大統領を訴追するなど、北部人たちに付け入る隙を与えるだけだぞ、それこそ利敵行為ではないか?」
ウイリアムズは目に憐れみとさえとれる色を浮かべていた。この貴族的な人物にとってそれは、軽蔑の態度に他ならない。
それにしても、国務長官が少なくとも形としては大統領を庇ったことに、この部屋にいる人々は当人を除いて全員、大なり小なり驚きを覚えた。
ついこの間まで、大統領の座を争った政敵同士というだけではない。
典型的な南部のエリート階層出身の国務長官と、庶民からの叩き上げの大統領ではそもそも馬が合わないという専らの評判であったのだ。
この男、ただの貴族的なエリートというだけではないらしい。
少なくともある種の公平さは持ち合わせている。
一瞬胸を去来したそんな思いはおくびにも出さず、ブレアが補足した。
「ああ、それはもっとも強硬的な一部の議員が言っているだけで、下院全体から見れば彼らはむしろ煙たがられています。大勢にはならないでしょう。ただ、この問題はそこまでの強硬派を生むような問題であると、改めて知っておいていただきたいのです」
国務長官は矛先を首席補佐官に転じて言った。
「首席補佐官、議会対策はあなたの領分であったはずだが?」
言われた当人が口を開く前にカウリーが言った。
「いや、グレイ(ペレット首席補佐官の愛称)はむしろよくやってくれた。石油交渉が始まった当初は、野党はおろか、与党でさえ反対派の方が多かったのだ。それをグレイと両院内総務がどうにか五分五分にまで持ち込んでくれたのだ」
サマーフィールドが咳払いをして言った。
「その首席補佐官の努力を無にしてはなりません。それに同盟国の厚意も。そのためには強硬派を説得するだけの材料が必要と考えます」
「材料?」とカウリーが訊き返す。
「北部人が我が国からの石油輸入の要求を取り下げればそれでめでたし、めでたし。我らが新大陸は欧州の戦乱を他所に平和の日々を過ごせるでしょう。しかし、もしそれでもなお要求を取り下げなかった場合は……」
その後はブレアが続ける。
「我が国からの石油輸出は北部、いえ、合衆国が我が国を承認すること、その上での不可侵条約締結を条件としていただきたいのです」
「諸君らは昼間から寝ているのか?!そんな条件を合衆国が呑むはずがあるまい」
吐き棄てるようにウイリアムズが言った。さらに畳みかけるようにペレットが言う
「それこそ戦争を誘発することになりかねない!」
この二人の意見が一致するのは珍しい。
こりゃ雪でも降るんじゃないか、と大統領は自身の側近と議会の重鎮が言い争いをしている状況では、いささか呑気に過ぎることを考えた。
「石油交渉は何としてもまとめる。日本にも石油を出させた。私の部下たちが血のにじむような思いで出させた石油だ。我々は我々が果たすべき責務を果たす。貴君らも職務を果たしたまえ」
ウイリアムズはいつもの(一部の人々にはひどく癪に障る)取り澄ました態度で言った。
「一部の人々」に含まれるらしい、下院院内総務はすかさず言い返した。
「義務を果たそうとするからこそ、このような提案をしているのです。この国の少なくとも半数は北部への石油輸出に反対している。賛成している連中も積極的に賛成しているわけではない。なぜか?」
そこでブレアは一息つき、出されていた珈琲を一息で飲み干した。
常人の一・五倍はありそうな体積を持つ彼が、身振り手振りを交えてする演説は迫力があり、理屈を超えた説得力、いや、圧があった。
彼が議会で名を挙げることができた理由の一つだ。
「恐怖です。当然ですな。我々は二度も北部人たちと戦争をして、なんとか独立を保っているに過ぎません。二度目はまだ覚えている人間が多い。北部人に石油を渡す?それで平和になる?結構なことだ。だが我々の石油を使って、北部人たちが攻めてこない保証などない。我々の石油で、二度目の南北戦争を戦った人々の妻や息子や娘たちが殺されない保証などないのです。少なくとも有権者はそのように考えている。それを大衆の馬鹿な妄想だと切って捨てられますか?国務長官。我々が行使している権力は、彼らに与えられたものに過ぎないのに?」
ブレアお得意の神通力が効かない種類の人間らしい国務長官が、なお反論しようとするのを大統領が制した。
「両院内総務、あなた方の言い分はよく分かりました。国務長官、
国務長官は何かを言いかけたが途中でやめ、代わりに「責任は取っていただきますぞ」とだけ言った。
「むろんです。どの道、日本が石油の提供を表明したことでボールは合衆国に投げられました。交渉がどのような結末を迎えたとしても彼らの責任です」
合衆国全権代表団は、日本の石油提供の表明を受けて要求量の引き下げを行った。しかし、南部諸州からの石油輸入の要求それ自体は取り下げなかった。
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