リッチモンド・ホワイトハウスの憂鬱

 日本では一般的に「南部連合」と通称されているアメリカ連合国の首都リッチモンドは、チェサピーク湾の湾口部に注ぎ込むジェームズ川を二〇〇キロほど遡ったところに位置する。

 ヴァージニア州に属する、この人口一〇万人ほどの街は第一次南北戦争が始まってほどなくして、アメリカ連合国の首都と定められた。

 

 南北国境からさほど離れていないこの街は、第二次南北戦争では一度は合衆国軍の占領するところとなった。

 国防上問題が大きいようにも思われるが、遷都などはほとんど議論の俎上にも上らなかった。

 南部人たちにとってこの街は、自分たちの独立を守った二度にわたる南北戦争の象徴であり、捨て去ることなど論外なのであった。

 しかし、合衆国のフィラデルフィアと同様に再度の陥落に備えて首都機能の分散は図られている。

 したがって、リッチモンドにある官庁街も世界の列強国のひとつである南部連合のものとしてはつつましく思えるような大きさであった。

 リッチモンドに置かれているのは、大統領官邸、国務省、財務省、陸海軍省などでである。

 南部人たちがユニークであったのは、議会はアラバマ州・モントゴメリに、連合最高裁判所はミシシッピ州・ジャクソンに置かれている点で、三権分立を地理的に体現している点であった。

 

 これは「南部連合中興の祖」とでもいうべき第四代大統領のジョナサン・H・リードによる改革の一つで、彼は一つの州に権限を集中させないという意味で、このよう政策を実施した。

 ただし、リードが行った改革は、総体として州権が強かった南部連合の体制を中央集権的に改めたものであった。

 リードの改革というのはつまり、形式的に各州の顔を立てつつ、実体として連合政府の権限を強めるという、「名を捨てて実を取る」とでもいうべきものであった。

 第一次南北戦争後に巨大な合衆国に対峙する必要に迫られた南部連合で中央集権化が進み、連邦政府の威信が傷ついた合衆国で相対的に分権的になったのは、まことに歴史の皮肉と言うしかなかった。

 

 さて、その南部連合の大統領官邸は、第一次南北戦争時代から「リッチモンド・ホワイトハウス」と呼ばれる白亜の館に置かれている(このあたりにアメリカ人の「ホワイトハウス」という名称への思い入れの強さというものに思いを致さずにいられない)。

 それは合衆国のフィラデルフィアにある同名の建物と比べてかなり小ぶりであったが、その中の一室、大統領執務室に一九四一年三月のこの日、四人の男たちが集まっていた。

 二期八年にわたり大統領を務めたブラッドリー・G・マクラ―ゲンが退陣し、同じ民主共和党のスコット・カウリーが新大統領に就任したのがほんの数日前のことであった。

 それにも関わらず今南部連合の権力の中枢であるこの部屋で額を突き合せて、応接セットのテーブルの上に置かれた一枚の書類をにらんでいる男たちに、新政権につきものの高揚感のようなものは全く感じられない。

 

 むしろ、横暴な取引先に無茶な条件を押し付けられようとしている中小企業の幹部のような、憂鬱そのものの顔をしている。


「まったく、やっかいな置き土産を残してくれたものですな、マクラ―ゲン大統領は」

 

 ため息とともに呟いたのは、短躯で小太りな五〇歳くらいの中年男。

 完全なスキンヘッドに赤みがかった顔、その容姿ゆえに“ベイビー”グレイのあだ名があるグレイアム・ペレット大統領首席補佐官である。

 

 テキサス州・ダラスの小さな雑貨屋の息子として生まれた彼は、働きながら夜学に通い、そこの教師の紹介で地元の上院議員の事務所スタッフになったことをきっかけに政界入りした。

 そして州下院議員、連合下院議員を経て上院議員となり、前政権の時代に四〇代の若さで民主共和党上院院内総務にまで登りつめた。


「仕方あるまい、日本大使がこの話を国務省に伝えてきたのが、先月のことだ。ひと月後には退陣する政権に何ができるというのかね?」

 

 ペレットの顔も見ずに応えたのは、国務長官のニコラス・E・ウィリアムズ。

 大規模綿花農場主から資本家に転身して成功した家の出という、典型的な南部エリートらしくイギリス製のスリーピースの高級スーツを着込み、手袋までしている。

 そのいかにも貴族的な風貌からはかつては外交官として中南米の国々に赴任し、合衆国との熾烈な外交戦の最前線に立っていたという、彼の経歴を想像することは難しい(「アメリカの裏庭」と呼ばれる中南米諸国では、合衆国と南部連合にとって地政学的な最重要地域のひとつであるため、両国の国務省は欧州外交と同等以上に中南米外交を重視している)。


「そんなことは分かっているが、文句の一つも言いたくなるだろう、こんなもん」

 

 ペレット主席補佐官が応じた。

 上院議員として同僚だったこともある二人だが、反りが合わないことで当時から有名であった。

 それでなくとも大統領補佐官と閣僚という対立しやすいポストについている。


「まあまあお二人とも、ここで言い合って事態が解決するわけでなし、どうやって対処するかを考えましょう。その方が精神衛生にいいですよ」

 

穏やかな深みのある声で二人をなだめたのは、ケネス・アクソン大統領外交担当補佐官。  

 

 高校在学中に「平家物語」の英訳を読んだことがきっかけで、日本文学研究の道に進み日本の京都帝国大学への留学経験もあるという日本通だった。

 国務省に勤める外交官であると同時に、今でも現役の日本研究者でもある(補佐官に任命される前は国務省アジア局日本担当参事官として日英南三国同盟締結交渉にも携わった)。

 

 中産階級の家のひとり息子として両親の愛情を一身に受けて育ったという彼の成育歴は、その温厚でだれからも好かれる人格として結実した。

 一方で若いころ、日本に外交官として赴任したときに知り合ったひとりの日本人女性と、駆け落ち同然に結婚したというエピソードの持ち主でもある。


「ケリーの言う通りだ。我々が今なすべきは、言い争いではなく問題への対処だ。まずはニック、国務省はこのやっかいな要請に対してどのように対処するつもりなのか、それを聞かせてください」

 

 そう言って賢明な外交担当補佐官の言葉を引き取ったのは、数日前に神と連合国国民に宣誓してこの館の主となった男、スコット・カウリー大統領だった。

 茶色のおさまりの悪そうな巻き毛と口ひげが特徴の外見は、野良着と麦わら帽子を身に着ければ、純朴な農夫にしか見えなかった。


 実際にカウリーはテキサスの小さな農場主の長男であった。

 近隣の中小農場主の間で人望があったことと、

 陸軍の下士官として従軍した第二次南北戦争で武勲を挙げたことで、地元の選挙区の民衆共和党の下院議員候補に推されて当選した。

 下院議員となった後も農場主時代と変わらぬ誠実さで、地元の陳情に耳を傾け、議員としての職務に邁進した。

 その仕事ぶりが前大統領の目に留まり、彼の政権で農務長官や労働長官を歴任し、遂には後継の大統領候補として擁立されるまでになった。

 

 ちなみにカウリーは高校までしか出ておらず、高等教育を受けていない人物が大統領になるのは南部連合の歴史上はじめてのことであった。

 南部連合の政治は主にかつての大規模プランテーションの農場主の流れを汲むエリートが主導してきたが、第二次南北戦争からの復興時代あたりから、新興資本家や中間層出身の政治家が目立つようになってきた。

 いわばカウリー政権の誕生はその流れの最たるものであると言ってよかった。

 そしてそのことは、例えばウィリアムズのような人物にとって必ずしも愉快なものではなかった。


「ニコル、国務省は日本からもたらされたこの提案にどう応じるつもりなんです?」

 

 大統領は国務長官を愛称で呼んだが、言葉遣いは丁寧である。

 それは大統領の大物政治家に対する敬意、あるいは彼自身の誠実で謙虚な人柄の表れではあったが、同時に二人の距離感を示すものでもあった。


「どうもこうもありますまい、会議の開催には応じるしかないでしょう。しかし、我々が北部人に石油を売ってやる義理はありません」

 

 国務長官の物言いからはよく注意して聞けば、侮蔑の色を感じ取れたかもしれない。

 だれに対するものかは別にして。

 先ほどから大の男四人を悩ませている問題、それは「来月から日本の神戸で南部連合、合衆国、日本の三者の代表を集めた会議を開きたいという」という日本政府からの提案であり、その議題は「南部連合産原油の合衆国への移入について」というものであった。

 合衆国からの要請で日本が仲介をしていることは明らかだった。


「たしかに北部人たちに石油を売らねばならぬ道理はない。しかし、それで北部人たちが納得するわけではあるまい」


 ペレット首席補佐官が口をはさむ。


「なにも馬鹿正直に我々の石油をくれてやる必要はないさ。日本人に出させればいい」

 

 ウィリアムズ国務長官がこの日はじめて首席補佐官の目を見て言った。

 ただし、その目に浮かんでいるのは少なくとも好意的な感情ではなさそうだった。


「日本人が我々のために石油を出すと?彼らも石油が余っているわけじゃない。連中は戦争をしているんだ」

 

 本来、政治家としてのペレット首席補佐官はもっと肚の底の読めない人物のはずであった。

 しかし、時と場合、あるいは相手によっては驚くほど率直になるところがこのテキサス男にはあった。


「出さねば地球の裏側に加えて、太平洋でも戦争をする羽目になりかねないんだ、出すさ。それに連中が北部人に出した分の石油は、我々が多めに売ってやればいい」


「多めに売る?増産でもするのか?石油会社の連中がおいそれと増産に応じると?」

 

 二人がその場のあらゆるものを置き去りにして、ヒートアップしつつあるところに大統領の咳払いが響いた。


「二人とも落ち着け。まだ会議がはじまったわけでもないんだぞ」

 

 二人は突如現実に引き戻されたかのような表情をし、それぞれに謝罪した。


「だが、国務長官の意見には肯くべき点が多々あると思う。ひとまずはそれで進めてください、それに日本政府に返事を。開催には応じると」


 


 ウイリアムズ国務長官が退出した後、部屋にはカウリー大統領と二人の補佐官が残った。

 この三人は気楽に話せる中である。

 カウリーはため息をひとつついて独り言のようにつぶやいた。


「日本が簡単に石油を回してくれるとも思えんが……この国の国民は合衆国に石油を売ることを簡単には許容しないだろう。だから当面は国務省の案で行くしかない……」

 

 そう言うとカウリーは暫し目を瞑り再び口を開いた。


「打てる手は全て打っておきたい。グレイ、君は議会に根回しをしてくれ。万一、我々の石油を売らねばならなくなった場合に賛同してくれる議員を一人でも増やしておきたい。ただし、メディアには絶対に気取られるな」

 

 ペレット首席補佐官はその内面に似合わぬ顔面にニヤリと微笑みを浮かべて応えた。


「任せてくれ、こういう時のために君は私を補佐官にしたのだろう」

 

 大統領は次に外交担当補佐官の方を向いて言った。


「ケリー、君は日本にいたことがあるな?日本政府内に知己はいるかね?」


「京都帝大に留学していた頃の同級生に日本政府の官僚をしている奴が何人かいます。もっとも日本人は我々より年齢と経験を重視するので、せいぜいまだ課長ですが。しかし、そこから上に働きかけてもらうことはできるでしょう」

 

 大統領は頷いて言った。


「ケリー、悪いが君は来月の交渉開始前に日本に飛んでくれ。しばらくは向こうにいてもらうことになるだろう。日本の各省、それに陸海軍と色々と相談しておいてくれ」

 

 アクソン外交担当補佐官は大統領が「陸海軍」と言ったことを聞き逃さなかった。   

 そしてその意味を即座に理解する。

 だが表情はいつもの人好きのする微笑みのままである。


「ありがとうございます。大統領、妻に里帰りをさせてやれます」

 

 カウリーも微笑み返すと吹っ切れたような顔をして言った。


「よろしい、ではすぐにかかってくれ。我々は任務を果たさなければならない」

 

 退出しようとする二人の補佐官に向かって大統領が言った。


「すまないが、部屋を出たら私の秘書官に伝えてくれ。陸海軍長官を呼ぶように」

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