フィラデルフィアのホワイトハウス

 南北非武装地帯のワシントンD.C.から約200キロ、車で半日もあれば行きつく距離。

 ペンシルバニア州最大の都市、フィラデルフィア。

 合衆国内でも有数の人口規模をほこるこの街は、アメリカ独立宣言が採択された地でもあり、それ故「合衆国生誕の地」と呼ばれている。

 つまりアメリカ建国神話における位置は、日本神話の橿原のごとき位置にあるといえる。

 

 フィラデルフィアと橿原が違う点は、後者が今や地方の中小都市であるのに対し、前者は合衆国の事実上の首都機能を有していることだった。

 第一次南北戦争の帰趨を決した「ゲティスバーグの戦い」は合衆国大統領エイブラハム・リンカーンが何者かの狙撃によって暗殺されてから一週間と置かずに起こった。

 

 一八六三年六月二四日、大統領が死亡した混乱を衝いて合衆国首都ワシントンD.C.を攻略すべく進撃してきたリー将軍率いる南部連合軍を、合衆国軍は準備不十分のまま迎撃せざるを得なかった。

 二日にわたり激戦が繰り広げられたが、最終的にジャクソン将軍の旅団による迂回攻撃とモトゾー・カツモト率いる日系人傭兵部隊による後方連絡線遮断により、北軍は撤退。

 もはや守る者がいなくなったワシントンから政府と議会は大わらわで逃げ出した。

 

 そして、リンカーンの死後に大統領に昇格した元副大統領ハムリンには、首都陥落の衝撃と混乱を立て直すほどのリーダーシップはなく、もともと厭戦気分が広がっていたことも相俟って、南部連合の申し出により休戦協定が結ばれた。休戦協定によりワシントンD.Cは合衆国に帰属すると認められたが、同時に非武装地帯と定められた。

 

 合衆国がワシントンに代わる首都機能をフィラデルフィアに置いたのは、この都市が合衆国の「建国の地」であるという理由が多かった。

 第一次南北戦争の事実上の敗戦は連邦政府の威信を大きく損ない、新たに合衆国離脱の動きを見せる州さえ現れた。

 傷ついた威信を回復し、合衆国国民にもう一度「建国の理念」を思い出させるための、その象徴的な意味合いがあった。

 ただし、事実上の首府をこの街に置いてからも合衆国憲法上において首都は相変らず「ワシントン」と規定されている。

 

 フィラデルフィアはケッペンの気候区分では日本列島の大部分と同じく「温帯湿潤気候」に属しており、基本的には江戸の気候を思い浮かべれば大きな乖離はない。

 したがって、冬は冬らしいのであるが、一九四一年一月下旬のこの日は、その例外であった。この季節には珍しい暖かい陽光の降り注ぐ、いわゆる小春日和であった。

 

 かつてのワシントンが完全に政治的な機能を担わせるためにつくられた計画都市であったのに対し、フィラデルフィアはもともと都市のあったところに首都を持ってきたため、都市としての人口規模が異なる。

 東海岸の交通の要衝でもあること都市は、合衆国の中でも第五位の人口を誇っていた。

 

 合衆国の官庁街はその街の外れに取って付けたように存在する。

 合衆国の新たなる首都機能が急遽付け加えられたという経緯がよくわかる位置であった。

 ただしその規模は世界最大規模の経済を持つ国のものとしては不釣り合いに小さいように思われた。

 

 それもそのはず、合衆国はこの国で起こった二度の南北戦争(もっとも南部人たちの国を正式に承認していないため、南北戦争は合衆国にとってあくまで「内戦」であり、南部人たちの「叛乱」であった)で一度ずつ首都を陥落するという経験をしたため、合衆国は首都機能の分散という方針をとっている(フィラデルフィアに置かれているのは大統領官邸、議会、国務省、財務省くらいのものだった)。

 もっとも通信・交通技術の限界から考えて、あまりに離れていては行政活動に支障がでるため、フィラデルフィアから半径一〇〇キロ以内という制限はつけられているが。

 

 さて、その小さな官庁街のほぼ中央に合衆国大統領官邸――かつてとまったく同じ外観で、かつてと同じ名前、つまり「ホワイトハウス」と呼ばれる建物があった。その南側のもっとも日当たりのよい場所に大統領執務室がある。

  前年の秋に行われた大統領選挙でこの部屋の主、ハーバート・C・フーバーが民主党候補のフランクリン・D・ルーズベルトを下して再選を果たしていた。

 ちなみにルーズベルトはフーバーの前任者でもあり、ルーズベルトが初当選した一九三二年の大統領選ではフーバーが敗れている。

 つまり、二人は都合三度に渡り選挙戦を敵同士として戦った、因縁の間柄であった。

 

 そのライバルに二度目の勝利をおさめ、フーバーが再びこの館、この部屋の主となったのが一週間ほど前。

 今日は経済・通商関係の閣僚を集めてのミーティングを開いているのであった。

 

 部屋の中にいるのは五人の男たち。

 フーバー大統領、スティムソン国務長官、ハイド財務長官、ハンフリー商務長官。   

 そして商務省の担当官。

 次の間には他に秘書官連中や国務省や財務省の担当官も控えている。


「本題に入る前にまずは皆さん、お手元の資料を一通りご覧ください」

 

 説明役をつとめる商務省の担当官が言った。

 資料をざっと見た四人の男たちが低くうめき声をもらす。そこに書かれていたのは合衆国の粗鋼生産量、鉱業生産指数、自動車生産台数、就業者数などの推移を表したグラフであった。

 傾きに差異はあるものの、いずれも一昨年の終わりから昨年はじめあたりを境に悪化の傾向が認められる。

 そして、まだ一般には公開されていない直近の値にも回復の兆候は見られなかった。

 いや、むしろさらに悪化のペースを早めているように見える。


「やはり回復の兆候は見られないか」

 

 ハイド財務長官が渋面をつくって言った。弁護士からミズーリ州・レントン市長を経てミズーリ州知事を務め、州の行財政改革等で成果を挙げた手腕を買われ、前政権では商務長官を務めていた人物であった。

 細身で眼鏡をかけた理知的な風貌は、政治家というより学者のほうがしっくりくる。


「大戦が終わらないことにはどうにも」

 

 弁護士から鉄鋼企業の経営者に転身し、今政権の発足にあたり商務長官に任命されたハンフリー商務長官が言った。

 五〇歳という年齢は、今この部屋の中にいる人間の中では、説明役の担当官に次いで若いが頭髪はいちばん薄い。


「それを何とかするのが君の仕事だろう。他人事みたいに言わんでくれ」

 

ハイドが成績の悪いのを気にも留めない生徒を前にした教師のような顔で言う。


「まあ、商務長官は就任して一週間も経っていない、まだどうこう言うのは酷だろう。まずは彼の説明を聞こうじゃないか」

 

 子どもたちの喧嘩を仲裁する父親の口調で言ったのは、この場にいる他の四人にとっての大ボス、アメリカ合衆国大統領たるハーバート・フーヴァーだった。

 一介の鉱山技術者から身を起こし、若いころは中国やオーストラリアの現場を駆け回った経歴を持つ彼は、見るからに頑強そうな身体と、強靭な意志を感じさせる顔を持つ。

 とても今年六七歳になるとは思えない。

 二人の閣僚は叱られた子どものようなバツの悪そうな顔をして口を閉じた。

 

担当官が大統領にほほ笑んだ。


「ありがとうございます。大統領閣下ミスター・プレジデント

 

担当官が続けた。


「えー、この中には前政権から引き続き務められている方も、新たに閣僚になられた方もおられますが(と言うより、新任はハンフリーだけであるが賢明な彼はそれを口に出さない)、認識を統一するためにイチから簡単に説明したいと存じます」


「結論から申し上げますと、現在我が国の経済にとって最大の障壁は欧州で行われている大戦。これに尽きます。まず我が国の恐慌からの回復は対独輸出によるところが大でしたが、大戦がはじまって以来、イギリスによる海上封鎖の影響で対独貿易は事実上麻痺状態です」

 

 一九二九年、日本の大阪証券取引所での株の大暴落をきっかけとして、後に「世界恐慌」と呼ばれることになる史上最大規模の世界同時不況が起こった。

 合衆国ももちろんその例外ではなかったが、フーバーが商務長官として仕えた当時の共和党・ハーディング大統領はこれに対処することができず、一九三二年の大統領の結果、政権は民主党のルーズベルトに移った。

 

 ルーズベルトは不況を克服すべく大規模な公共事業の実施や金融機関の規制強化、さらには貧困対策を実施した。

「ニューディール」と称されたこれら一連の政策は低所得者層を中心に一定の支持を集めたが、政府が市場経済に積極的に関与する合衆国史上では異例の政策でもあった。

 

 ニューディールに対し中高所得者層や大企業、保守派知識人等を中心に反対が広がる中、連邦最高裁はニューディールのいくつかの政策に対して違憲判決を下した。

 この判決の影響もありニューディールは期待されただけの成果を挙げることができず、一九三六年の大統領選でルーズベルトは敗れ、共和党のフーバーが当選した。

 

 フーバー政権が選んだのはルーズベルトのような内需刺激策ではなく、外需の拡大であった。

 当時の世界経済にはイギリスが主導する「スターリング・ブロック(ちなみに対日、対南関係を重視したイギリスの判断により、日本と南部連合も参加していた)」とフランスによる「フラン・ブロック」という二つの排他的経済ブロックが存在していた。

 フーバー政権はドイツとソ連との関係を強化。

 対独、対ソ輸出を増大させることで外需を創出した。

 特にドイツは一九三三年のヒトラー内閣成立以来、軍拡と対外政策、あるいはユダヤ人弾圧などに起因する対立から日英仏、それにルーズベルト政権時代の合衆国と関係が悪化していた。

 フーバー政権はドイツとの関係改善に乗り出し、軍需生産に傾斜することで民生品が不足気味のドイツに輸出を拡大することに成功したのである。

 

 もちろん、ドイツへの接近をめぐっては合衆国国内でもユダヤ系を中心に反発の声が大きかったが(これにはユダヤ系には民主党支持者が多く、ドイツ系には共和党支持者が多いという、民族と党派が絡んだ背景もある)、結局は対独輸出による景気回復がその声をかき消した。

 いつの時代も民衆が為政者に望むことは、つまるところ明日の食事と身の安全なのであった(それは決して不道徳なことでも不当なことでもない)。

 

 このままいけばフーバーは四〇年の選挙でも無事に再選され、大過なく二期八年の任期を終えることができるはずであった。

 しかし、一九三九年九月にドイツ軍がポーランドに侵攻したことが事態を変えた。ポーランド自体は一か月も経たずにドイツ軍に制圧されたが、同盟関係にあった英仏がドイツに宣戦布告したことで、二度目の欧州大戦が始まった。

 

 開戦と同時にイギリス海軍はドーバー海峡とスカゲラック海峡を封鎖。国籍、目的の如何を問わずドイツに向かう船の交通を一切遮断した。

 イギリスとドイツの海上戦力の差は圧倒的であった。

 かつてイギリスに次ぐ規模を誇ったドイツ大海艦隊はもはや存在していなかった(その後、ドイツ軍のデンマークとノルウェー占領によりスカゲラック海峡の封鎖は解除された)。

 こうした事情により合衆国経済の回復の大きな原動力の一つであった対独貿易は麻痺状態に陥ったのである。

 商務省の担当官が説明を続けた。

「内需がある程度回復していたため、影響は緩和されていますが、すでに景気後退局面に入ったことは明白です。昨年末以来、粗鋼生産量、鉱業生産量、それに企業倒産件数と就業者数などの数値が悪化しています。ドイツへの輸出が回復するか、ドイツに代わる市場を開拓しなければ回復は困難なものと思われます」


「中国市場への輸出拡大はどうなっているのだ?」

 

 ハイド財務長官が尋ねた。


「中国では貧しいし、内戦も再燃している。ドイツに代わる市場にはなり得ないのではないか?たしかに人口は多いが」

 

 担当官が口を開く前に答えたのはスティムソン国務長官であった。前政権から引き続き国務長官であった。

 ニューヨーク州選出の上院議員やタフト政権(一九〇九~一三)で陸軍長官を務め、ヒューズやハーディングと大統領候補の座を争ったこともある共和党の重鎮である。口ひげを生やした、アメリカ人というよりもイギリスの老紳士を想い起こさせる風貌は、接する者に自然と敬意を抱かせずにはいられない。


「ええ、その通りです、国務長官」

 

 担当官が無意識に眼鏡のフレームに触りながら言う。


「中国人――ああ、『赤くない』方ですよ、中共(中国共産党)軍と目下のところ内戦を繰り広げており、彼らの政府はラジオや洗濯機よりも軍用機や戦車を欲しております。それにあの国のすぐ隣には――ええ、日本がありますから……もちろん商務省や合衆国の企業も努力はしておりますが……どうにも地理的にも文化的にも政治的にも不利なところがありまして……いや、言い訳するわけではないのですが」

 担当官の口調は妙に歯切れが悪い。


「つまるところ、中国人に物を売るのも、少なくともすぐには効果が上がらんというわけだな」

 

 中国と合衆国の関係は複雑であった。

 清朝滅亡後の中国は紆余曲折を経て、ごく大雑把に言えば華南の孫文らの革命派政権と、華北の袁世凱の北洋軍閥の流れを汲む北京政府の対立に収斂した。

 日英が革命派を主に支援したのに対し、合衆国は北京政府を後援した。

 そして両者の対決は孫文の後継者となった蒋介石が一九二七年に北京を制圧したことで、革命派の勝利に終わった。

 そういった経緯もあり、現在の中国の正統政府と合衆国の関係は、対立しているわけではないにせよ、必ずしも良好というわけでもなかった。

 

 担当官は内心で「国務省の責任だろ」と思いながら、居並ぶ男たちにはあくまでにこやかな顔で続けた。


「ええ、つまりはそういうわけです。もちろん、商務省としても鋭意努力は続けてまいりますが」

 

 そこで担当官は水差しから水を注ぎ、一息でコップの三分の一ほどを飲み干して続けた。ええい、喉が渇く。

「では次の話に移りたいと思います―正直なところ、こちらのほうが深刻かもしれません……ご承知のとおり、昨年の八月にドイツ軍がソ連に侵攻しました」

 

 ドイツ軍がウクライナ、白ロシア、バルト海沿岸の三方面からソ連領内に侵攻を開始したのは、昨年の八月二二日のことだ。

 ドイツ軍は五月から六月にかけて、イギリス軍をダンケルクの戦いで欧州大陸から駆逐し、パリを占領してフランスを降伏させてはいたが、依然としてドーバー海峡を挟んでイギリス、そして日本軍と激しい航空戦を繰り広げていた。

 

 その状況下でドイツが東にあえて新たな敵をつくるなど、だれも夢想さえしていなかった。

 ヒトラーとドイツ軍首脳部を除いて。

 ドイツがイギリスにかかり切りになっているのを見て安心したのか、スターリンはロシア革命のときに「資本主義者どもに占拠された旧領」ロシア領アメリカ(そこに政府を新たな国をつくった人々の言い方を借りるなら「ロシア共和国」)を奪還すべく、軍の主力を極東に移動させていた。

 

 そして四〇年六月にはベーリング海峡の制海権と制空権の確保に動き出した。当初の予想では数的優勢を誇るソ連軍があっという間にベーリング海を渡るものと思われていた。

 しかし露米政権軍(合衆国は列強の中でもっとも早くソ連を承認した)は、主に日本から供与された航空機と駆逐艦などの小型艦艇を駆使して抗戦(日本人の将兵も「義勇兵」として飛行機や艦艇を駈っていた)。

 二カ月が経過しても一人のソ連兵も露米に上陸することはなかった。

 

 ドイツ軍がソ連に侵攻したのは、ソ連軍主力が極東で釘づけになっていたタイミングだった。

 不意を衝かれたこともあり、ソ連軍は開戦初日で数十キロの後退を余儀なくされた。

 また、ウクライナ方面から侵攻したドイツ軍南方集団は、冬将軍の到来までに穀倉地帯でソ連最大の工業地帯でもあるウクライナと、バクー油田のあるカフカス地方を占領した。

 ドイツ軍は現在進撃を停止して越冬中であるが、春の到来とともにモスクワへの攻撃を開始すると見られていた。ソ連軍はというと、露米政権とは事実上の休戦となり、極東から主力部隊を戻すことには成功したが、やはり冬であることや食料と燃料の不足から積極的な反攻に出ることは難しいようであった。。

 

 合衆国にとって問題であったのは、バクー油田が今現在の世界において最大の生産量をほこる油田であったということと、合衆国で消費される石油の半分以上がバクー油田で産出されるものであるということだ。

 鉄鉱石、石炭、ボーキサイト……合衆国は近代国家が必要とする資源の大半を自給することができる。

 しかし、石油だけがなかった。北米大陸最大の油田はテキサス―あの忌まわしい「南部の叛乱」によって「失われた星々」の一つ――にあった(カリホルニアやオハイオにも小規模な油田があったが、もちろんこれらでは合衆国の必要量を賄うことはできない)。


 担当官の話は続いている。

「……現在、国内で産出される石油では、必要最低限量にも足りません。戦争が始まる前に輸入した分と、国家備蓄をだましだまし放出して、なんとか持たせていますが、すでに物価はじりじりと上昇しています。つまり我々は、景気の後退と物価の上昇の両方に直面するという、前例のない事態に対処しなければならないのです」

 

 自分の話を聞き終わった四人の大統領と閣僚たちがついた、声なきため息の音を彼はたしかに聞いた。

 

 いや、それは彼自身のため息であったかもしれなかった。

「……ソ連以外からの調達はどうなっておるのかね?イギリス人や日本から買う手もあるだろう?数年前にサウジアラビアで大規模な油田が発見されたし、日本人は蘭印(オランダ領東インド)の油田地帯を占領しているだろう?」

 

 ハンフリー商務長官が必死に事態を楽観できるものと考えようとする、難病を告知された患者のような顔で訊いた。

 

 東洋におけるオランダ最大の植民地であるオランダ領東インドは世界有数の産油地帯でもあったが、オランダがドイツに降伏した際に旗幟を鮮明にしなかったために日本に占領されている。

 

 担当官は、ほんの数日前に自分の上司になったばかりの人物(彼はまだ自分の部下の顔と名前すら覚束ない)に、難病を告知する医師のような顔をして言った。


「商務長官、まことに心苦しいのですが、日本人とイギリス人は今、二度目の大戦を戦っており、油に余裕はないはずです。いえ、そもそも大戦が始まってからというもの世界的に石油が不足しています。なにしろ日本人は満州の奥地や果ては露米の地の果てのような極北でも石油を探しているという話ですから、あまり期待できないかと」

 

「さらに付け加えるならば、今の世界ではバクー油田を除く世界の大油田はイギリス人か日本人が握っている。そしてそのどちらも合衆国に好意的とはお世辞にも言い難いけどな」担当官は声に出さずにそうつぶやいた。


 しかし、彼はさらに言いづらいことを声に出して言わなければならなかった。彼の職務的責任感がそうささやいている。

 

 担当官は咳払いを一つした。

 物理的な重さをもったような空気の中で沈黙していた四人の男たちが彼に注目する。


「実はいまだ戦争の影響を受けていない、石油産出国が一つあるのです」

 

 四人は冬場に蝉の話を聞かされたように互いに顔を見合わせる。しかしすぐに、天啓を得た顔でハイド財務長官が言った。


「南部諸州か……!」


「はっ、バカな。あり得んよ」

 と出来の悪い冗句を聞かされたように言うのはスティムソン国務長官。


「しかし、それしかないのではないか?」

とハンフリー商務長官。

 

 南部人にとっての合衆国は不倶戴天の敵、宿命的な敵国にして最大の脅威だ。その国に石油を売るなどということがあり得るというのか?いつまた自分たちを襲うかもしれない熊に餌をやるようなことが?

 

 口々にあれこれと言い合う三人の閣僚たちを静まらせたのは、最前から沈黙して担当官の説明を聞いていたこの部屋の主の声だった。


「ハリー」

 

 大統領は彼の国務長官を愛称で呼んだ。国務長官が返事をする。


「南部人たちとの交渉を開始ししたまえ。むろん、直接ではない。日本人に仲介させるのだ」

 

 大統領の国務長官は、即座にその意図を悟った。

 石油は近代国家にとっての血液。

 それを得るために宿敵とさえ交渉しようとしている。もしそれさえ成功しなかったら――巻き込まれたくなかったら手を貸せ。つまりはそういうことだ。いささか直截に表現するならば。


 「承知しました。大統領」スティムソン国務長官は恭しく一礼した。

 

 彼が仕えるべき大統領は、一週間前の再任式で合衆国国民の未来を完全に明るいものにすると国民に約束した。

国民との約束を守ることが大統領の責務なのだ――。

 

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