1年目

一年目 ハル


 森の中で、少女は目を覚ます。

 薄っすらと開いた目に映るものには、全て色が無い。

 空も森の木々も数頭の群れをなして飛ぶ鳥も全て。

 不意に、温かさを感じてぼやけていた視界が鮮明にになり、視界いっぱいに景色が広がった。

 傍には、使い魔の黒猫のミヤ。身体を丸くして、気持ちよさそうに眠っている。


 そして、食欲を誘う香りが感覚を刺激した。ゆっくりと身体を起こして、顔をそちらに向けた。

 まだ幼さの残る顔立ち、筋肉質な身体。背は、少女より明らかに高い。一際目を引くものといえば、瞳の色だ。

 少年の瞳の色は、水のように澄みきって、まるで宝石のように美しい。


 少女はといえば、黒髪、真っ直ぐに伸びたストレート、右目は吸い込まれそうな漆黒、左目は踏まれたことのない陽を反射する、雪色の目。

 血色が悪く、色素の薄い肌。

 所々にある出来物は、疲労がとりきれていないことが顔に滲み出ている。


 少年は薪を焚き火にくべていた。

 少女が起きたことに気がつくとニコッと愛嬌のある笑顔を浮かべた。そして、手元の作業を中断して、手についた煤を払った。

「ミヨ、おはようさん! よく寝てたな」

「……おはよう、マヒロ」

「飯、食べるだろ?ちょうど出来たてなんだ。食おうぜ」

 ミヨの視線は自然と彼の瞳に吸い寄せられて、釘付けになった。そのまま、しばらくぼんやりしていた様で、変に間が出来てしまった後で慌てて頷いた。

「……うん。あ、ありがとう」

 様子がおかしいなと思ったのか、マヒロは不思議そうに首を傾げた。

「ん? 俺の顔じっと見てどうした?確かに、俺は顔もいいけど、そんなに見つめられたら流石に照れるだろ」


 色の無かったマヒロの瞳に、シキサイを彩ったのはミヨだ。旅に出てから、初めて他人にかけた『シキサイの魔法』の成果だ。

 ミヨは、この瞳を見るたびにあの時の光景が鮮明に思い浮かんでくるのだ。

 初めて師匠以外に見せる魔法が失敗しないか、緊張と不安が入り混じったそんな感情。そして、成功したときに感じた喜びと達成感、安堵。

 何よりも、マヒロが一番喜んではしゃいで喜んでいたことを、自分も嬉しかったことを。


「……目、綺麗だなって思って、……じっと見てごめんね。……嫌、だった?」

「嫌なわけないだろ。…それにさ、綺麗なのは当たり前だろミヨが俺にくれたイロなんだからさ。これは俺の宝物なんだぜ」

「……うん、……嬉しい。ありがとう」

 ミヨは、嬉しそうに微笑んだ。

 色彩の失われた今の世界で、それは当たり前では決してない。

 だからこそ喜んでくれているのをみると、安心するのだ。


「ほい! 飯、しっかり食おうぜ」

 マヒロは、手際よく湯気の立った出来たてのスープを器に注いだ。

 次に、お手製のベーコン、葉物野菜、そしてトロトロに溶けたチーズをパンに器用に挟んで木製のお皿に乗せた。

 最後に木製のコップに水と沸かしていたお湯を半々に割っていれると、すべてを一つのトレーに載せて、目の前に静かに置いた。

 マヒロは黒猫の分の食事トレーをミヨの隣に置いた。黒猫は満足げに尻尾を揺らし、用意されたトレーの前に歩いて行く。


「……いただきます」

「いただきます!」

 手を合わせて、目を閉じて日々の糧に感謝をする。そして、口に運んだ。

「……おいひぃ」

 鼻孔をくすぐる香りと口の中に広がった優しい味、それらが心に染み込みミヨは幸せな気持ちになった。

 ミヨはいつも何かを考えて難しそうにしているか、疲れてぼんやりしているかの表情だが、今は蕩けるように幸せそうな笑みが浮かべている。

「へへ、美味いだろ? それ昨日寝る前に、夜に仕込んどいたんだ」

「……うん、……すごく、おいしい」

「だろ? そんなに喜んで食べてもらえるなら作り甲斐あるってもんだぜ」

「……マヒロに出会う前は、保存食ばかりたべてたから。……それに、マヒロは、……危険な動物を狩ったり、食べられるものを見つけてくれたり、すごいから……感謝しかない」

「俺は、ミヨが出来ることをやることでしか手助け出来ないからさ。ミヨは、魔法を使うと疲れちゃうだろ。だから休めるときに休んでくれよな」

「……うん、ありがとう」

 食事を終えた黒猫がマヒロに対してにゃおんと鳴いて、マヒロの足元に身体を擦り付けた。

「お、うまかったみたいだな。どういたしまして、ミヤ」

 黒猫はご機嫌に尻尾を上げて歩き出し、寝床に戻り毛繕いを始めた。



 シキサイの魔法を使うと、ミヨはひどく疲れてしまう。そのため、魔法を使ったあとは長めの休憩を取っている。

 無理をしようとするミヨを、マヒロが心配してそれを提案した。

 気遣いの嬉しさと同時に、情けなさを感じたのをよく覚えている。

「……師匠だったら、もっと上手く出来ていたのかな。……すぐに疲れて、時間だけが掛かっちゃう」

 温かい白湯を口に一口含み、朝の寒さに一瞬身体を震わせたあと、色の無い空を見上げて思わず、ため息まじりに呟いて、落ち込む。


「こらこら、自分を否定するような言葉をいってやるなって」

 不意に声がかけられて、肩に温かみを感じ見ると、ブランケットだった。

 マヒロが隣に腰を下ろす。ミヨはつい言葉を漏らす。

「……どうしても、考えちゃうの。……もし、もっと物覚えが早かったら師匠が死ぬ前に、全部教えてもらえたかもしれない。……私がもっと器用に魔力を操作できたら、効率よく魔法を使えて……、こんなに疲れたり、情けなくなってないんじゃないか……とか」

「んー。確かにさ、もっとこうしたら上手くできたんじゃいかとかさ。そういう反省、というか改善点を出すのは悪いことじゃないと思うんだよ」

「……うん」

「難しいことは俺にはわかんないけどさ、情けないなとか、負の感情っていうのかな。それで、自分を追い詰めていくのは違うと思うんだよな」

「…そう、かな」

「少なくとも、自分のした努力を自分自身が否定しちゃ駄目だろ」

「……私は、不器用だから……人よりも何倍も努力しないといけなくて。……それってやっぱり情けないって、思っちゃう……んだよね」

「んー。努力って人と比べるもんじゃないだろ。努力できる量っていうのかな。それってみんな違うだろ。ミヨはミヨなりに、自分ができる限り力をだして、出しきったんだろ?すげーって、全力でがんばれるって凄いことなんだぜ」

 そう言って、マヒロは優しくミヨの頭を撫でた。


「ミヨはミヨだし、俺は俺だよ。みんなそれぞれできることも、できないことも違うだろ。」

「…うん。」

「そりゃあさ、俺だって落ち込むこともあると思うよ。でもさ、落ち込んだまま、立ち止まったままじゃいられないだろ」

 マヒロは、そこまで言ってしっかりとミヨの目を見て、優しく笑った。


「してきた努力を一番わかってるのは、他人じゃなく、自分なんじゃないかな。だからさ、一番自分を認めてくれるのも、褒めてくれるのも、自分自身なんだと思うんだよ。少なくとも俺は、そう思ってるよ」

「……マヒロは強いね」

「俺は最初から強くないって。弱気なときだってあるけど、強くなるために頑張って、頑張った分だけ自分の努力を認めたんだよ。俺は、頭良くないからさ。そうやって考えるようにしてるんだ」

「……考え方を変えたんだね」

「まぁ、俺は、記憶喪失でなーんも大事なことは覚えてないからさ、今出来る事をやって、それを褒めて認めてるわけだな。つまり、ジココーテーカンをあげてるわけだ」

「……真似できる、かな……」

「別にさ、俺が言ってるのは俺なりの考え方でやり方だから、参考には出来ても全部受け入れて、鵜呑みにしなくていいんだよ。これはさ、俺の中の『正しい』だからさ」

「……そっか」

「別の考え方も価値観も、いろいろあると思うんだよ。その中のどれが自分にあってるかなーってみつけていくことも、努力の一つだと俺は思うぜ」

「そうだね」

「ミヨの歩幅で1歩ずつ進んで、疲れたら休んでさ。マイペースでいいんだよ。焦りは禁物ってやつだな!」

「……そうだね。すぐには、変えられないかもしれない。でも、マヒロのその考え方が……いいなって、素敵だなって思うよ。……真似するよ、できるところだけ。……変えたいから、世界も自分も」

「それでいいとおもうぞ。飯と狩りは俺に任せてくれよな。頭使ったり、世界変えるのはミヨに任せるよ」

「……うん、任せて」

「また弱音吐きたいときは言ってくれ、全部聞くからさ。溜め込まずに、な!」

「……うん、そうする。ありがとう」

 ミヨの沈んでいた気持ちは、いつの間にか晴れていて、イロの無い空が一瞬だけ、雲一つない青い空に見えた気がした。



『マヒロにだって使えてるよ。心に、温かい蜂蜜色の明かりをともしてくれる優しい魔法を』


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