薄紫色の輝き

*  エリカ  *


 戦いが始まる前、ナクサリスはウガ・バハルと名乗った。これは彼の二つ名ではない。迷宮都市に伝わる古語で怪物を狩る者という意味がある。この場における怪物とは、薄紫色の瞳を持った私のことに他ならない。


 要するに、あいつはクドを見ていない。

 恐らくはクドを弄び、その様を私に見せることを愉しもうとしている。


 私はそれを見ることしかできない。

 これ以上の屈辱が、他にあるだろうか。 


(……このままでは、彼が殺されてしまう)


 力量の差は一目で分かる。

 まるで大人と子供。戦いにすらなっていない。


(……何か、私にできることは)


 こんな戦いに意味は無い。

 無駄な苦しみを生むだけだ。


(……いや、私のせいか)


 一人で解決しようとして失敗した。

 彼の性格を考えれば、こうなることは予想できたはずだ。


(……私は、何をしているのだ)


 あまりに愚かな行動をした。

 きっと視野が狭くなっていたからだ。


 なぜ?

 どうして冷静な判断ができなかった?


「オラオラどうしたァ!? これじゃ遊びにもならねぇぞ!?」


 煽る声。返す言葉は聞こえない。

 まだ戦闘が始まったばかりなのに、クドは既に満身創痍という様子だった。


(……ダメだダメだ。彼を死なせるのは絶対にダメだ)


 彼の皮膚が裂け、血が飛び散る度、まるで自分の肌をも引き裂かれたような痛みが走る。


 ナクサリスは遊んでいる。

 あえて皮だけを剥ぐような攻撃を繰り返している。


(……落ち着け。落ち着け)


 次は無い。

 次に失敗すれば、全員死ぬ。

 

(……なぜだ。なぜ、こんなにも怖いのだ)


 人の死には慣れているつもりだった。

 迷宮では嫌でも目にする。そして何より……師匠を看取った経験がある。


 それなのに、彼の死を考えると急に身体が震え始める。

 さして深い交流があるわけではないのに、どうしてなのだろう。


「ほんっと理解できねぇぜ!」


 鈍い音。


「自殺願望でもあったのかい?」


 重たい音。


「まさか、あの化け物を本気で助けるつもりってことはねぇよなぁ!?」


 乾いた音。


「……おぉん?」


 その直後、初めてナクサリスが疑問の声を出した。


「……誰が、化け物だと?」

「あぁん? そこの女に決まってるだろ──」


 クドが武器を振った。

 その目を狙う鋭い一撃は、


「──っと、あぶねぇ」


 しかし、あっけなく宙を斬った。


「おぃおぃ、まさか怒ったのか?」

「訂正しろ!」


 体の芯を突くような鋭い声。

 その声には、あのナクサリスさえも一瞬だけ黙らせる程の迫力があった。


「……何を訂正しろって?」

「彼女は化け物ではない」

「くっ、あはは! お前、あの目を見てねぇのかよ!?」


 ナクサリスは笑う。


「ほら、手ぇ出さねぇから後ろ見てみろよ。なぁ。化け物が居るぜ?」


 クドは振り向かない。


「なんだよ信用ねぇなぁ。わざわざ不意打ちなんてしねぇよ。だからほら、見ろよ。魔石と同じ、薄紫色の瞳をよぉ!」

「……見る必要は無い」

「あぁん?」

「初めて会った日からずっと、瞼の裏に焼き付いているからだ」


 クドは、私に背を向けたまま言う。


「私は、あの薄紫色の輝きに救われた」


 ──息が止まった。

 

「あれほど美しい瞳を持つ彼女が、化け物であるものか!」


 ──ドカンと、心の中にあった壁を砕かれるような衝撃を受けた。


「お前、頭おかしいんじゃねぇの?」


 クドが地面を蹴り、戦闘が再開する。

 私は瞬きひとつせず、彼の背中を見ていた。目を奪われるという言葉の意味を初めて理解したような気がする。


(……そうか、そういうことか)


 冷静になれなかった理由が分かった。


(……私は、嬉しかったのか)


 彼は目を逸らさなかった。

 今と同じように、美しいと言ってくれた。


 社交辞令だと思っていた。

 命を救われた立場だから口にしただけで、本心ではないと思っていた。


 あまりにも愚かな自分が嫌になる。

 他人から拒絶されることが、当たり前になり過ぎていた。


 しかし心の奥底では分かっていたのだと思う。

 曇りなき彼の目が、私の瞼の裏にも焼き付いている。


(……だから、失いたくないと思ったのか)


 体中が熱い。

 直前までの震えが決めている。


 感覚で分かる。

 これは、覚悟が恐怖を上回ったのだ。


(……立て)


 自分を鼓舞する。


(……立て)


 今この瞬間にもクドは戦っている。

 彼は一騎打ちと言ったが、ナクサリスがそれを守るとは思えない。


(……立て!)


 腰を落とし、刀を構える。

 無論すぐには手を出さない。


(……信じたぞ、クド)


 不思議なことに、あの会話の後からクドはナクサリスの動きに付いていけている。客観的に見ても互角。むしろ、クドが押し始めていた。


 もともと潜在能力は高かった。

 この極限状態において、それが覚醒しているのかもしれない。


「クソがッ、めんどくせぇ! テメェら茶番は終わりだ! 来やがれ!」

「おぃおぃ、一騎打ちはどうしたよ? だっせぇ」

「うるせぇ! 早くしやがれ!」


 ナクサリスの焦ったような声。

 逆に、私は自分が冷静になるのを感じていた。


 長く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。

 

 ──瞬間加速【大】


 私のスキルは一瞬で終わる。

 しかし、一瞬でも隙をつけたならば、それで終わる。


 狙うのはナクサリスの首。

 彼さえ落とすことができれば、勝率がグンと上がる。


「──参る」


 師匠の言葉を借り、私はスキルを発動させた。

 

 薄紫色の稲妻が迸る。

 私の身体は雷鳴の如く思い描いた軌道を駆け抜けた。


 ──その瞬間に発動したのは、私の知るスキルではなかった。

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