3-2. 黒いツギハギ

 ──今の冒険者は、とても荒れています。

 醜悪な瞳に見つめられた時、フィーネから聞いた言葉が頭に浮かんだ。


「あぁぁ、本当に良い男だねぇ。なぁミア、今すぐ食っても良いかい?」


「待って。今このブスを始末するから」


「ダメだ。殺しはダメだぜミア。悲鳴に容姿は関係ない。玩具は平等なんだ。壊れるまでは遊ばないと、神様に怒られちまう」


 身体が全く動かない。レイアの無事を確かめるために、首を回すことすらかなわない。


「ぁは? どうした色男。怖いかい? 大丈夫。ただの麻痺毒さ。ちょーっと手足を切り落とした後に解毒してやるから安心しな」


 彼女は私に頬を擦り付けて言った。

 吐き気がする程の嫌悪感で鳥肌が立った。


 これまで悪意を向けられ続ける人生だったが、こんなにも不快な経験は他に無い。


「あぁぁ、ダメだ。もう我慢できない。おぃミア、雑魚の処理は任せ──」


 それは一瞬の出来事だった。

 私の目に映ったのは、何者かが彼女の首を摑み、強引に投げ飛ばす姿だった。


(……レイア!)


 風圧によって揺れる金色の髪を見て最初に感じたのは、彼女が無事だったことに対する安堵だった。


「テメェこのブスがッ、何しや──」


 ミアと呼ばれた女性の声は、最後まで続かなかった。その代わり壁が崩れる音がした。もう一人と同じように投げられたのだろう。


「ごめんなさい。ごめんなさい……」


 私の足元、レイアが泣きながら言った。


「あぁ、やだ。血が、いっぱい。どうして。なんで。どうすれば……」


 レイアが右脚に触れ、声を震わせている。

 その部分からは、絶えず焼けるような熱を感じる。恐らく短刀で刺されたのだろう。


(……落ち着け。スキルを、発動させれば)


 全能力向上という文言には、自己治癒力の向上も含まれているはずだ。


「……絶対に許さない」


 私は咄嗟に息を止めた。

 その声を発したのが誰なのか、本気で分からなかった。


「待ってて」


 レイアは私の目を見て言った。

 次に私の身体を持ち上げて、そっと床に座らせる。


(……レイア?)


 私の目に彼女の背中が映る。

 怒りは分かる。私も立場が逆ならば、あの二人に殺意を向けるだろう。


 しかし彼女の背中から伝わってくる感情はあまりにも強大で、私は困惑してしまった。


「クソがッ!」


 怨嗟の声が聞こえた。


「ふざけやがって! ぶっ壊してやる!」


 ──それは何気ない八つ当たりだった。

 彼女は怒りを発散するべく、壁を叩いた。


 そして、その命運が尽きた。


『──オモ、チャ』


 狭いルームに子供のような声が響いた。


「……あ?」


「……マリ。お前それ、何やってんだよ」


 私は、どうにか動くようになった目を彼女達に向ける。

 

『アタ、ラシイ、オモチャ』


 時が止まったような気がした。

 恐怖、嫌悪、あるいは憎悪。あらゆる負の感情が一気に湧き上がり、吐き気がした。


 ──黒を見たら一目散に逃げろ。


 フィーネの警告を思い出す。

 そして逃げろと言われた理由を理解した。


 勝てるわけがない。

 生物としての本能が、痛いくらいの警鐘を鳴らしている。


(……あれが、黒いツギハギ)


 心の中で呟いた瞬間、それは動いた。


 通常のツギハギとは姿形がまるで違う。

 それは子供のような形をした影だけの存在だった。前を向いているようにも、後ろを向いているようにも見える。そして短い手足は舞い上がった砂のように揺らめいており、朧で捉えどころがない。


「ふざっ、けんな。なんでっ、なんで!?」


 直前まで恨み言を言っていた女が、しかし今は恐怖に覚える幼子のようだった。


 黒いツギハギは彼女マリの前に立つ。

 そして、またあの不愉快な声を出した。


『アソ、ボ』


「ひっ」


 黒いツギハギが消えた。

 ルーム内に不気味な静寂が生まれる。


「……ど、どこに」


 マリが怯えた様子で首を動かした。


 血飛沫が舞う。

 出所は、彼女の右手首。


「あぁっ、がぁぁぁっ!? 手っ、あたしの手がァ!?」


『アレェ? トレチャッタ?』


 黒いツギハギは血の中から現れた。

 まるで彼女とひとつになったかのように、細い手首の断面から顔を出している。


『アッタ』


 それは地面に落ちた手を見た。

 目線は分からない。だけどこの時は、確かに見たと分かった。


『ツナイデ、アゲル』


 初めてツギハギを目にした時、思った。

 まるで、無残に引き裂かれたモノを強引に縫い合わせたかのようだ。


 あれは違う。

 黒い影のような身体に縫い目などは無い。


 しかし私は確信した。

 間違いなく、ツギハギと呼ぶに相応しい。


『ヒメイ、スキ』


 無邪気な声が発せられた。

 そして悲痛な声が迷宮に鳴り響いた。

 

 千切れた手が別の場所に接合される。

 また別の部位が千切れ、さらに別の場所に縫い合わされる。


 その度に悲鳴が聞こえた。

 その度に、笑い声が聞こえた。


 もう一人の女が逃げ出そうとした。

 数秒後、聞こえる悲鳴がふたつになった。


 それはもはや戦いですらない。

 圧倒的な力を持った怪物の子供が、人を使って遊んでいるような光景だった。


(逃げなければ)


 私はレイアの名を呼ぼうとした。

 しかし、未だに毒が身体を蝕んでいる。


「……レ」


 全身に力を込め、血を吐くような思いで言えたのは、たったひとつの音だった。

 

 レイアは反応して振り返る。

 そしてハッとした様子で私を抱えた。


「黒だった場合、撤退を最優先にする」


 彼女は全速力で走りながら私に言う。


「ごめん。待ってて。必ず助けるから」


「……あり、がとう」


 きっと、もう大丈夫だ。

 私は安堵して、意識を手放そうとした。


『──エェ? イッチャウノ?』


 あの声が聞こえた気がした。

 私は目を見開き、微かに動く目で姿を探す。


 何も見えない。

 レイアにも変わった様子が無い。


(……幻聴、なのか?)


 そう思った直後だった。


『マタ、アソボ』


 今度はハッキリと、そう聞こえた。

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