第11話 語られぬ夜と花開く朝
それから三週間、いよいよ大詰めとなってきた頃。
流石に連日の疲れもあってか、徹夜できる職人もおらず、全員が食堂やら何やらでぐったりと仮眠なのか熟睡なのかをしているような夜。
工房の全員が死力を尽くしたニコールのドレスは、完成間近となっていた。
あるいは、もう少しだ、間に合う、という安堵感もあったのかも知れない。
全員が……ルーカスですらぐっすりと寝入ってしまっていた夜。
ルーカスの店の裏手に、足音を忍ばせてやってくる一人の男がいた。
周囲を伺うその様子は手慣れたもの、纏っている服装は、夜の闇に紛れそうな暗色系。
その身のこなしと雰囲気は、明らかにカタギの者ではない。
そんな男が、こんな時間に、仕立て屋の裏手で何をしようというのか。
居合わせた者がいれば抱いたであろう疑問に答えるわけではないが、男は淀みない手つきで懐からあれこれと取り出し、手慣れた様子でまずは特に細い木片を組み上げて。
その上から油を注ぎ、布を被せ。最後に残った木片を積み重ねれば、さらにもう一つ。……火打ち石を取り出していた。
ここまでくれば最早何をしようとしているのかは明白。
しかし、誰もいない路地裏、咎める者などいるはずもない。
そのはずだった。
「あいやー、オイタはだめよー?」
いきなり、男へとそんな声が掛けられた。
慌てて振り向けば、そこに居たのは一人の男。
この辺りでは珍しい、あちこちがルーズな印象を受ける服装でもわかる細身の身体。
肩を越えた程度のところで括られた髪も、男を見据える瞳も夜闇の色。
一重の目、掘りの浅い薄い印象を与える顔立ち。遙か東方に住むと伝え聞く人種の様相にとても似ている。
そんな男が、いつの間にか……こうした仕事を請け負っているが故に感覚も鋭いはずの男の傍に、音も無く立っていた。
「き、貴様、何者だ……?」
「それはこちらのセリフだけど、まあいいよ。 ワンさんはワンさんね。
さあ、あんたは何者ね?」
ワンと名乗った男から問い返され、しかし、返答はなく。
代わりに男は、懐から短剣を取り出してみせる。
その手つき、身構え、明らかに玄人のもの。
そんな男が明確な殺意を向けてきているというのに、ワンは全く意に介した様子がない。
悠然と、無防備なくらいの姿でそこに立っていた。
「まあいいよ、後でゆっくり聞くからね」
そう言いながらワンは、無造作に一歩踏み出す。
途端、間合いに入ったのを見た男が飛びかかるようにしながら、短剣をワンの首筋目がけて振るい。
……次の瞬間、地面にうつ伏せに倒れていた。
いや、抑え付けられていた、がより正確だろう。
いつの間にやら短剣を振るおうとした右腕はがっちりと掴まれ、肩の関節を極められて動かすことが出来ない。
「なっ、何をした貴様!?」
「何って、あんたを押さえ込んだだけよ? はいはい、大人しくするね~」
抵抗しようともがくも、逆にそれを利用されて男の身体の自由は奪われていく。
あれよあれよと縛り上げられ、最早逃げることなど望むべくもない。
そんな男を、よいしょ、と……まるで重さなど無いかのようにワンは担ぎ上げて。
「……親方の邪魔は、何よりお嬢様の邪魔はさせないよー?
綺麗なお花を守るのは、庭師の仕事だからねー」
当たり前のように。少しばかり楽しげに。
ちらりとルーカスの店を見やった後、男を担ぎながら、夜の闇に消えていった。
捕らえた男は、ワン特製の「正直になるお茶」によって洗いざらいしゃべらされたのだが、二次受けか三次受けにあたる立場だったらしく、ジョウゼフ達が欲しかった名前はしゃべらなかったが、それでも状況証拠として『彼』を追い詰めるには役立つだろう。
じわじわと、反撃のための準備を整えていって。
そして、その翌日。
ついにドレスが完成したとの知らせを受けて、ニコールはルーカスの店へと押しかけていた。
「ようこそいらっしゃいました、ニコールお嬢様。お願いさせていただきましたドレス、こちらになります」
お願いして仕立てさせてもらったドレス、という世間一般の常識で言えばおかしな発言を、しかしルーカスはふざけた様子も無く、普段通りの穏やかな笑みと共に口にする。
その表情から見えるのは自信と、何よりも達成感。
彼の、いや、彼ら渾身のドレスは。
ニコールから、しばし言葉を奪っていた。
「これ、は……」
それだけを口にするのがやっとのこと。
豪奢なドレスを見慣れているニコールですら、呆然と見蕩れるしかないだけのドレスが、そこにあった。
基本的には、この国で最近スタンダードになっている、胸の下あたりで切り返しのあるAラインのシルエット。
だが胸元は浅くしか開いておらず、肩もパフスリーブというには張りが控えめで、元気さよりもどこかしどけなさを感じさせる流れを作っている。
重ねられたフリルもレースも、身体のラインを隠すような使われ方。
……それでいて、その奥に潜む美しさを想起させてしまうような危うさがある。
それは色使いにおいても同様で、ニコールが好む青系統を、春という季節に合わせて淡い色合いで重ねたそれは、同じ生地を使っているとはとても思えぬ程、それぞれの場所で様々なニュアンスを生み出していた。
例えば、最も布の重なりが多い胸部や腰回りは、ニコールの持つ豊かで優美な曲線をしっかりと出しながらも、深まった色合いがそれらを悪目立ちさせない。
かと思えば、重なりの少ない腕やスカートの裾は、空気に混じって解けていきそうな程に儚げで。
確かにそこにいるのに、ふとした瞬間には消えてしまいそうな。
そんな印象を与えるドレスだった。
公爵家や侯爵家の令嬢も来る晩餐会において、それより位が下である伯爵家の令嬢が着ても物議を醸さないよう、不必要なほどの華美さは決してない。
だが。ニコールを知る者ならば、全員が思うだろう。
このドレスを着たニコールの前に、敵う令嬢などいない、と。
元より天性の明るさと華やかさを持つニコールだ、間違いなく華やかなドレスも似合うことだろう。
だがしかし、それを敢えて抑え、儚さを加味するような装いを纏えば、どうなるか。
想像はつく。
しかし、実際に見て確かめたい。
付き従っているベルなど、その衝動に抗うので一杯一杯になっている。
流石に本人だけあってニコールはそこまで揺さぶられてはいないものの、純粋にドレスの出来には感動せざるを得なかった。
「はぁ……わたくしの負けです。ルーカス、本当に素晴らしいドレスを仕立ててくれましたね……」
まだ衝撃から立ち直れていないながらも、負けを認めながらも負け惜しみ染みたことを口にするニコール。
ルーカスとしては、もうそれだけで充分に報われた思いだった。
「お褒めに預かり恐悦至極でございます、お嬢様。このルーカス、いえ、ドレスに携わった者、皆光栄の至りでございましょう」
ニコールの言葉に、ルーカスは恭しく頭を下げる。
彼の言葉に、一切のおべっかや忖度はない。
報われた。本当に心の底から、報われた。
彼は、そう思っている。
そしてそれは、このドレスに携わった職人達全員がそう思うことだろう。
すなわちそれは、この工房の職人全員、ということなのだが。
だが。
まだ、甘かった。
「ねえルーカス、このドレス、今着てみてもいいかしら」
「はい? ええ、それはもちろん構いませんが……」
思わぬ申し出に、今度はルーカスが面食らう番。
普段であればドレスを持ち帰り、プランテッド邸で着てみるのが常なのだから。
そんなルーカスへと、さらにお願いは重ねられる。
「お礼、というと偉そうなのだけれど……わたくしがドレスを纏った姿を、皆さんに一番に見て欲しくて」
はにかみながら言うニコールを、思わず凝視して。
次の瞬間、ルーカスは目尻を押さえてしまっていた。
一つ、二つ。
息を吸って、吐いて。幾度か繰り返して。
「もちろんでございます。従業員一同、皆喜ぶことでしょう」
声を震わせることなく、何とか言い切る。
だめだ。
これ以上言葉を交わしては、間違いなく決壊する。
「では、皆を呼んで参ります」
そう告げると、ニコールの返答を待たずにルーカスはショウルームから駆け出した。
良かった。
本当に、良かった。
報われた。
そんな言葉が、彼の脳裏を駆け巡る。
やりきったという達成感を胸に、ルーカスは従業員達をたたき起こしに走った。
そして、もちろん起こされた職人達は、事情を聞いて歓喜に飛び上がり。
ドレスを纏って照れ笑いを浮かべるニコールの姿に、これ以上ない歓声を上げたのだった。
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