第12話 決戦は晩餐会
こうして、ニコールのドレスは完成し。それを纏った姿を見た職人達は涙を流し、その夜は安堵の眠りについて。
更に懲りない夜の虫をワン達が退治し続けて。
ついに、その日が来た。
「プランテッド伯爵家、ジョウゼフ・フォン・プランテッド様、イザベル・フォン・プランテッド様、ご息女のニコール・フォン・プランテッド様、ご入場です!」
その案内に、利に聡そうな顔つきの貴族連中がざっと視線を向ける。
先の難工事を短期間で完遂させた、人材と財力を密かに併せ持っていた家。
実は国王ハジム・ノース・クリィヌックと懇意であるとも噂される当主のジョウゼフ。
社交にはあまり積極的ではないが、顔を出せばいつの間にかその場の空気を掴んでしまうその妻イザベル。
二人が纏っている衣装は、クラシックな装い。
ジョウゼフのそれは黒を基調とし、デザインに目新しいところはないのだが……その身体に完璧に合わされていて、細身ながらもしっかりとした筋肉を内包していることを感じさせる、堂々としたシルエットになっている。
その隣にいるイザベルが纏っているのは、その豊満な身体のラインに沿うマーメイドラインのドレスで、使っているのは敢えての紅。
真紅というには淡く、刺さるような強さはないのだが、彼女自身の持つ雰囲気と合わさって堂々たる存在感を演出している。
今まで入場してきた面々の中でも一際目を引くその姿。
だが、まさかそのイザベルが引き立て役になるなど、誰も思いもしなかった。
二人の影から現れたのは、爽やかな春風を思わせる一人の少女。
確かにそこにいるのに、いつの間にかいなくなってしまいそうな儚さを纏ったその姿に、会場に居る誰もが息を呑んだ。
イザベルと対照的な青のドレスは清涼感に満ち、年若いニコールの雰囲気と相まって春という芽生えの季節そのものであるかのよう。
デザイン自体は流行のAラインで、これみよがしに宝飾品を付けたりなどもしていないから、華美ではない。
そのはずだ。
だが、ニコールという存在が纏うことで、これ以上無い存在感を出しつつ、袖や裾の色合いが空気に溶けて消えてしまいそうな危うさも感じさせている。
つまりは、会場の誰もが目を奪われて。
「やっぱお姫様なんですよねぇ、ニコールお嬢様って」
先にエイミーをエスコートして入場していたマシューが苦笑交じりに言う。
付き合いが長く、彼女の本性を知っているマシューでさえ、呆けそうになる自分を誤魔化す為に何とか軽口を叩く有様。
となれば。
「はぁ……ニコールお嬢様……お綺麗……」
エイミーなどは心まで奪われていた。いや、それは既に奪われていたのだが、改めて。
その後も美しい令嬢達が入場していくのだが、会場の視線は、何よりもエイミーの視線は、ずっとニコールに釘付けになっていた。
そんなエイミーを見つけたニコール達が近づき、談笑している間にも次々に入場は進み。
「パシフィカ侯爵様、ご入場です!」
会場係の声と共に、パシフィカ侯爵が奥方を伴って入場してくる。
その表情は、何とか取り繕うとしているが、エイミーの目にも硬くて。
何よりも、落ち着かなくウロウロとしている視線が、彼の内情を如実に語っていた。
そして、すぐにその視線は、プランテッド家が団欒している一角に止まって。
エイミーの、そして何より、ニコールのドレスを見て。クワッと、これ以上ない程に見開かれた。
上位貴族として、感情を出来るだけ出さないよう教育されていたはずの彼が。
そして、それも駆使して権勢を保ってきたであろう彼が。
思い切り、感情を出してしまった。
最初に、驚愕を。
次に、憎悪を。
それこそ大貴族として君臨してきた彼だ、感情を剥き出しにしてしまえば、どれだけの威があるか。
周囲で見ているだけだった貴族達ですら、背筋を震わせる程の。
それを。
笑顔で、ジョウゼフは、そしてニコールは、受け止めた。
何気にマシューも普段通りで、縮こまりそうなエイミーはしっかりと皆に守られている。
……誰よりもニコールの背中が頼もしく見えたのは、まあ、個人的な感想というものだろう。
「ふふっ」
そんな空気の中で、ニコールが小さく笑みを零した。
この空気の中で。
「あ、あの、ニコールお嬢様……? 何故、お笑いになど……?」
驚いたエイミーが、恐る恐る問いかける。
どう見ても一触即発な空気の中、豪胆にも笑って見せる少女。
その姿はとても奇異で……しかし、何故か納得出来てもしまう。
彼女ならば。
ニコールならば、と。
「いえ、ここまで来たのだな、と思いまして。
ルーカスやワンさん、遡ればダイクン親方やカシム達のおかげもあって。ついに、と言いますか」
少しばかり、ニコールは遠い目になった。
パシフィカ侯爵の不正発覚から、どれだけのことがあっただろう。
それらは全て、なんとかなって。
今こうして、ニコール自らがパシフィカ侯爵の前に立っている。
「さあ、後は一手か二手か。チェックメイトは間近でしてよ、侯爵閣下?」
大物狸貴族を前にして。
ニコールは、悪びれもせずに言い切った。
パシフィカ侯爵は、焦っていた。
予定よりは多少早かったものの、どうしようもないタイミングでこの晩餐会への招待を暴露したはずだった。
不参加という不名誉か、粗末なドレスを着て恥をかくか。
どちらか二択しか、なかったはずだった。
だというのに、目の前の光景は、なんだ。
「素晴らしいドレスだ……貴女に似合っている、というだけではない。
そう、愛だ。このドレスには、作り手の愛が籠もっている。こんなに暖かなドレスを、私は見たことが無い」
ニコールのドレスを誉めそやす、一人の青年。
黒髪に褐色の肌、エキゾチックな彫りの深い顔には人懐っこい笑みを見せ。すらりとした長身にクリィヌックとはまた違った、しかし品の良さと豪奢さを併せ持った衣装。
今日の主賓、むしろ国賓である、ファニトライブ王国王子、サウリィ・アーカッシィ・ファニトライブ。
何とかしてニコールのドレスにケチをつけようとしていたところに、隣国の王子がお墨付きを与えてしまった。
くやしいを通り越して憎悪すら抱く彼の目の前で、さらなる追い打ちがかかる。
「素敵なお嬢さん、私はサウリィ・アーカッシィ・ファニトライブ。どうか貴女のお名前を。そして私と一曲踊っていただけませんか」
サウリィ王子がそう言えば、ホールに激震が走った。
ジョウゼフの顔は笑顔で固まり、イザベルの眉が少しばかり動く。
エイミーはぎょっとした顔になってしまい、マシューは爆笑しそうになるのを堪え。
そして周囲を取り巻く令嬢達は、悲鳴のような歓声を上げていた。
何しろ、サウリィ王子は先程公爵家の令嬢とファーストダンスを終えたばかり。
本来であれば身分が上の令嬢、淑女と踊っていくはずなのだが、一足飛びに伯爵令嬢であるニコールを誘ったのだ。
これがどういうことなのか、わからない人間はこの場にいない。
そして、パシフィカ侯爵にとっては更に別のことも意味していて。
がくりと崩れ落ちそうな膝を、持ちこたえさせるだけでも精一杯。
そんな彼の視線の先で、ニコールは淑女らしい笑顔を見せて。
「これは王子殿下、お名前をいただき光栄の至りにございます。
わたくし、プランテッド伯爵家が息女、ニコール・フォン・プランテッドと申します。
お誘いいただきましたのは誠に光栄でございますが、わたくしでは役者が足りないのではございませんでしょうか」
恭しく頭を下げながら告げたのは、断りの言葉だった。
これには周囲も、驚き半分、感心半分。
元々、階級が上の男性からダンスに誘われた場合、一度は断りを入れるのがクリィヌック王国のマナー。
それを、王子からお声がかかるという、普通であれば飛びつきたくなるであろう場面においても貫いたことは、驚きでもあり感心すべきことでもあるということなのだろう。
そのマナー自体は、もちろんサウリィ王子も把握していた。
だから、気を悪くした様子もなく。
「なるほど、華やかでありながら、慎みも忘れないとは素晴らしい。
春の風は気まぐれというが、どうか一度だけこちらに向かって吹いてはいただけないだろうか」
ニコールのドレスに春風の印象を受けたのだろうか、そんな誘いの文句を重ねられて。
流石にこれ以上お断りを入れるのはよろしくない、とニコールも判断したらしい。
「ありがとうございます、そこまでおっしゃっていただきましたならば、殿下へと向かって吹く風もございましょう」
そう言いながら、ニコールは差し出された手をそっと取る。
そのままダンスホールの中央へと進み出て、互いに微笑みあいながら、手を取り腰に手を回して、ダンスの体勢となり。
それに合わせたかのように、音楽が流れ始めた。
王子のリードに従ってニコールが一歩踏み出せば……ふわり、ドレスの裾が、腰や腕にあしらわれたレースが流れるように踊る。
先程サウリィ王子が言った春の風、という言葉は比喩でも何でも無かった。
見ていた者達の脳裏に、そんな言葉が浮かぶ。
軽やかで自由闊達、それでいて奔放では無く、サウリィ王子の腕の中に収まるその姿は愛らしい。
時折視線を合わせて何やら楽しげに話しているが、一体どんな会話をしているのか。
それは、きっと聞かぬが花だっただろう。
「先程はドレスをお褒めいただき、誠にありがとうございます。
このドレスを仕立てた職人はルーカスと言いまして、腕はもちろんのこと、このような素晴らしい生地を手に入れられるようなツテも手広く持っておりまして、仕立て屋の鑑と言ってもよろしいのではないかと!
それから型紙を起こした者もですね……」
などと、色気も何もないドレス自慢、人材自慢をしていたのだから。
次から次へ、とめどなく流れていくドレスの蘊蓄。
それ自体は興味深かった為サウリィは笑顔を崩すことはなかったが、内心では『なんか違う』と絶賛混乱中であった。
今日集められた令嬢達は、サウリィとの政略結婚、というか玉の輿を狙っている者がほとんどだと思っていた。
実際、公爵令嬢ですら、その気配は滲ませていたのだから、間違いはないだろう。
だというのに、この目の前の伯爵令嬢は、まるでそんな気が無い。
サウリィを褒めるでなく、媚態を見せるでなく。
ただひたすらにドレス自慢、いや人材自慢ばかりをしている。それも、心から誇らしげに。
どうしてこうなった。
そんな呟きを脳内でした直後。
音楽が、止まった。
そしてまた、何ら名残を惜しむこと無くニコールの手は離れてしまう。
「流石は王子殿下、とても素敵なダンスでございました。
このニコール・フォン・プランテッド、お相手を務めさせていただき誠に光栄でございます」
胸に手を当て、恭しく頭を下げるその所作は、実に洗練されたもの。
サウリィは反射的に、教科書的に思わず礼を返してしまって。
彼が頭を上げたところで、一度吹いた春風は、するりと彼の手をすり抜け人混みへと消えていった。
「あ……」
思わず、手を伸ばして。
しかし、すぐにその手を下げた。
「……殿下、よろしければ、先程のご令嬢をもう一度お呼びしましょうか」
滅多にない執着を見せたサウリィへと、側近の一人が声を掛ける。
が、サウリィは小さく首を横に振った。
「……いや、それには及ばない。彼女はとても魅力的な人だけれど、私では、器が足りない」
「なんですと?」
「さっき私は、彼女のドレスには愛が籠もっていると言ったけれど、それだけではなかったんだ。
彼女が職人達を、領民達を愛しているからこそ、彼らもまた彼女を愛し、その愛を込めてドレスを仕立てた……わかってしまえば当たり前だけれど、その当たり前の何と難しいことか」
少なくとも、サウリィはそこまで臣民を愛している自信は全くない。
だというのにあの少女は、プランテッド伯爵令嬢ニコールは、当たり前のように自然体で領民達を愛している。
今の彼に、同じ事が出来るとは、思えなかった。
「そして、だからこそ職人達の力を最大限に……いや、それ以上のものを引き出すことが出来たのだろう。
とてもではないが、今の私では彼女の隣に立つことなど出来ない。まずは己を磨かねば、ね」
「殿下……そのお志、ご立派でございます……っ」
少しばかり寂しげに、しかし誇らしげに笑うサウリィ。
その姿に、側近は言葉に詰まり、涙ぐんでしまう。
こうしてファニトライブ王国の王子サウリィは一夜で恋に落ち、失恋した。
その相手であるニコールが全く知ることもないままに。
ただ、この経験で少しばかり成長した彼は、後に善政を敷きファニトライブ王国を大いに栄えさせるのだが……それはまた別の話である。
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