第10話 職人達の熱

 話し合いが終わった後、ルーカスは急ぎ自身の持つ工房へととって返した。

 時刻は昼過ぎ、息せき切って従業員用の食堂に入れば、食後の一休みをしていた職人達が一斉にルーカスを振り返る。

 ふぅ、と息を吐き出して、表情を落ち着かせた。


「……どうやら、皆さん居ますね。食事休憩中に申し訳ないのですが、どうしても急ぎ伝えないといけないことがあります。聞いていただけますか?」


 問いかけに、従業員達は、居住まいを正すことで答える。

 食事休憩をきちんともうけ、食堂まで整備する程職場環境に気を配っているルーカスが、従業員の食事休憩の時間に急ぎ伝えること。

 それがどれだけ重要なことなのか、もうそれだけでわかろうというもの。

 そして彼らの予感は、良くも悪くも正しかった。


「先程、伯爵様より補佐官であるエイミー・モンティエン様と、ニコールお嬢様のドレスをご発注いただきました」


 ルーカスが告げると、食堂に集まっていた従業員達は、どっと湧いた。

 その中には以前ニコールがヘッドハンティングしたカシムと同郷のお針子達もいるし、彼女達と同じような経緯で雇われた職人達もいる。

 流石にエイミーのことを知っている者はほとんどいないが、ニコールのドレスとあってやる気を見せない者は、ここにはいない。

 

 だが、その中で一人、首を傾げる者が居た。


「そいつはもちろん有り難いことなんですが……何で今? ……っていうか、どういう御用向きで?」


 何しろ、ジョウゼフの夜会服とイザベルのドレスは仕上げに入っている。

 だというのに、追加でよく知らないご令嬢と、ニコールのドレス。

 同時受注ということは、恐らく同じイベントで使うのだろう。

 しかしそうなると、ジョウゼフやイザベルの追加発注がなければおかしい。

 婚約者のいないニコールが、一人で夜会だなんだに出ることはないのだから。


 ……そこまで考えが回って、まさか、という顔になる。

 そして、ルーカスはそれを肯定するかのように一つ頷いて見せた。


「一ヶ月後にある、ファニトライブ王国の王子殿下をお迎えする晩餐会用のドレスです」

「はぁぁぁ!?」


 淡々と、抑揚の少ない声でルーカスが言えば、悲鳴のような怒号のような声があちこちから響く。

 半年ほど掛けてじっくりと仕上げてきた衣装と同じ場所に立つドレスを、たった一ヶ月で仕上げろと。

 そんな無茶を、何故このルーカスが言うのか。

 言葉よりも雄弁に問いかけてくる視線を受けて、ルーカスは揺るがずに立っていた。


「詳細は省きますが、一言で言えば伯爵様とお嬢様は、政敵に嵌められたのです。

 この窮地に、ニコールお嬢様は、ショウルームに飾ってあるドレスを着て出ればいいとおっしゃいました。

 あれは、我々の技術を宣伝するためのもの。であれば、自らが生きたマネキンとなって宣伝することに何の問題があろうか、と」


 淡々としたルーカスの言葉に、その場の誰も、何も言えなかった。

 確かに、ショウルームに飾っているドレス達はニコールを想定したものだし、注ぎ込んだ技術はどこに出しても恥ずかしくないものだと自負している。

 だが、それは何ヶ月も飾られていたものだ。新品のドレスに比べれば、どうしたって折り目に緩んだところが目に付くのは仕方が無い。

 それを、ニコールは身に纏おうとしている。


「皆さんも、ニコールお嬢様のお人柄はよくご存じでしょう。

 あの方は躊躇わず……むしろ誇らしげに、あのドレスを着ると宣言なさいました」


 ルーカスが言葉を続ければ、「嘘だろ……」「そんな、お嬢様にそんなことを……」といった声が漏れ聞こえる。

 彼ら彼女らもまた、ルーカスと同じ心持ちなのだ。


「ですが私は、僭越ながら、待ったをかけさせていただきました。

 エイミー・モンティエン様のドレスを仕立てた後から取りかかるという条件付きで、ニコールお嬢様のドレスを仕立てさせていただくことにご同意もいただきました。

 何しろニコールお嬢様ですからね、他人を差し置いて自分を優先させるなど、到底受け入れてくださいませんでしょうから」


 小さく肩を竦めるルーカスに、ほっとした顔が向けられ。あるいは古参の職人が「よくやった旦那!」と声を上げる。

 そんな反応に、この場に居る全員が同じ気持ちであることが確認できて、ルーカスは安堵ともう一つ、何かこみ上げてくるような感情を覚えていた。


「……皆さんがここに来た経緯は把握しています。

 そして……お話したことはあったでしょうか。私もまたニコール様に救われ、こうして一つの店を任されるようになった人間です。

 このご恩はいくら返しても返しきれないとは思いますが……今こそ、それを少しでもお返しできる時だ、と私は思っています」


 針を運ぶ指のように揺らぐことなく。しかして、決然と。

 静かに、力強く言い切ったルーカスが食堂を見渡せば、固唾を飲んで神妙に聞き入っている職人達。

 その中の一人が、ガタッと椅子を倒しながら立ち上がった。


「お、俺だって、俺だってお嬢様に救われた人間です! お貴族様のご機嫌を損ねて捨てられて、やけっぱちになってた俺を『気に入った』の一言で拾い上げてくれたのはニコールお嬢様です!!」


 彼の叫びを皮切りに、俺も、私も、と口々に言いながら、職人達が立ち上がる。


「あたし達だってそうです! 水害で村を追われたあたし達を拾って、こうして職をあてがってくれたのは、ニコールお嬢様です!

 だから、あたし達はそのご恩を少しでもお返ししたい!!」


 一番の新参者である彼女らですら……あるいは、だからこそか、熱意の籠もった目でルーカスを見ている。

 その熱量に、自然とルーカスの背筋は伸びていた。


「皆さん、よく言ってくださいました」


 しみじみと。感慨深げに。己の中の様々な激情を押さえ込みながら、ルーカスは顔を作る。

 職人達を率いる、親方の顔を。


「ならば、我ら一同、ニコールお嬢様へのご恩返しと参りましょう!

 我らの全身全霊、あらん限りを持って伯爵様の、そしてニコールお嬢様のご恩に報いましょう!!」

「「おおお~~~!!!」」


 ルーカスの声に、全員が力一杯の声で応じた。

 


 それからのルーカス達は、鬼気迫る勢いでジョウゼフとイザベルの衣装を仕上げた。

 勿論、ニコールがあれやこれやと気を遣うことすら出来ない完璧な出来映えで。

 更にエイミーのドレスに取りかかりながら、手の空いた職人達にフライングでニコールのドレスを割り振っていく。


 最大限の効率で、あらん限りの速度と品質を。

 様々な矛盾を孕みながら、しかし現場は破綻せずに作業は続いていって。


「いかがでしょうか、モンティエン様」

「どうって……あの、いいんでしょうか、私が、こんな素敵なドレスを着て……」


 あれから一週間も経たずに仕上がったドレスを纏い、エイミーは頬を赤く染めていた。

 あのショウルームで見たドレスの落ち着いた緑はそのまま、のはず。

 だというのに、同じものであるはずのドレスは、まるで違ったものとしてエイミーの目には映っていた。


「もちろんですとも。こちらはモンティエン様のために仕立てたドレス。

 お気に召していただけたようで、私どもも一安心でございます」


 和やかな笑みを浮かべるルーカスの顔には、しかし僅かな疲労感も滲んでいない。

 もちろん最大戦速で作業をしているのだ、疲労していないわけがないのだが、そんなことをおくびにも出さず、彼は笑っている。


「先日も申し上げましたが、ドレスはお召しになる方を彩るためのもの。

 モンティエン様がお召しになることで最大限の魅力を発揮するよう誂えたつもりでしたが……どうやら、問題なさそうですね」


 ルーカスが言うように、確かにそのドレスは、純朴で控えめ、彼曰くの清楚なエイミーを魅力的に演出していた。

 男爵家令嬢の纏うドレスとして華美に過ぎることなく、むしろ簡素と言って良いデザインだというのに人目を引きつけるのは、その品の良さ故だろうか。

 それがまた、少々場慣れしていないところはあれども理知的な雰囲気を持つエイミーには、よく似合っていた。


 騒ぐようなことはせずとも、くるり、くるりと姿見の前で幾度も身体を捻り色々な角度からドレス姿を見ている姿は、実に愛らしく。

 彼女が満足していることに、ルーカスもまた満足げだった。

 そんな彼が、ゆっくりと顔を横に向ける。


「ニコールお嬢様もそうお思いいただけますでしょうか」


 その隣で、ニコールが『ぐぬぬ……』と言わんばかりの顔になっていた。


「さ、流石ですわね、ルーカス……まさかこの短期間で、これだけのドレスを仕立ててくるとは……」

「ありがとうございます、ニコールお嬢様。そのお言葉は、褒め言葉と受け取らせていただきます」


 何故か悔しげなニコールへと、穏やかでありながらも少々誇らしさを滲ませたルーカス。

 何故ならば。


「これで、お嬢様のドレスに取りかからせていただけますね?」


 にっこり。有無を言わさぬ笑みで。

 ……既に取りかかっていることなど、微塵も感じさせることなく。

 そんなルーカスの顔を見て、しばし『ぐぬぬ』としていたニコールは、ついに折れた。


「わかりましたわ、お願いいたします。でも、決して無理はしないこと!

 出来る限りで、出来る限りでいいんですからね? いざという時の手段はあるのですから!」


 この期に及んでもまだそんなことを言うニコールへと、ルーカスが向ける笑みに微塵の揺らぎもない。

 彼には、ニコールがこんなことを言い出すことはわかっていた。

 そして、だからこそこうして全力を、あるいはそれ以上を振るいたくなるのだ、とも。


「もちろんでございます、ニコールお嬢様。

 無理などさせて、従業員達に逃げられてしまっては、どうにも立ち行かなくなってしまいますし、ね」


 そう言いながらルーカスは、ぱちんとお得意のウィンクを見せる。

 そして、彼は嘘は言っていない。

 彼は、強制的に従業員を働かせてはいないのだ。

 ただ、従業員達が勝手に全力を尽くし、ギリギリまで働いているだけなのだから。

 そしてルーカスをはじめとする職人達にとって、やってやれているのだから無理ではないのである。

 無茶だとは思っているが。たどり着ける道理があるのなら、それは無理ではないのだ。


 こうしてルーカスは、最終的なGOサインを獲得。

 職人達総出で、修羅場に突入した。




 

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