第5話 因果と応報
たったの一週間でエイミーの潔白や身元が確認できたのは、ある意味幸運ではあったのだろう。
「いやぁ、今日もまた夕方で仕事が終われたねぇ……ありがたいことだよ」
そう言いながら、ジョウゼフは執務室の机についたまま、う~んと言わんばかりに大きく伸びをした。
その顔色は、以前のような疲労感が溜まったものではなくなっている。
「それもこれもエイミーくんのおかげだねぇ」
「いえ、そんな……少しでもお役に立てているならば幸いです」
ジョウゼフがそう話を振れば、書類などをまとめていたエイミーが照れたような笑みを見せた。
彼女が採用されてから、一ヶ月。
そのたった一ヶ月で、ジョウゼフの執務負担は大幅に軽減されていた。
おかげでこの2週間ばかりは根を詰めて仕事をする必要もなくなり、家族一緒の夕食を楽しみ、夜もゆっくりと寝ることが出来ている。
以前は疲労感に満ちていた顔もすっかり元気になり、なんなら5歳ばかり若返ったようにすら見えるくらいだ。
「少しでも、だなんてとんでもない。本当にとても助かっているよ、ありがとう」
「えっ、あの、伯爵様、そんな、頭をお上げください!?」
伯爵であるジョウゼフが、男爵家の娘でしかないエイミーに頭を下げたのを見て、エイミーは大いに慌ててしまう。
ジョウゼフも、そしてニコールも、割と平気かつカジュアルに頭を下げるのだから、貴族としての習慣がある程度まだ残っているエイミーには、何とも心臓に悪い。
「いやまあ、本当に私の頭一つですむならいくらでも下げるくらいに感謝しているんだがね。
まあ君の性格だとこれ以上は重圧になってしまうか。
そうなると、私としてはもう、給料で報いるしかないんだけどね」
「はい? お給料、ですか? ……あ、そういうえば今日は……」
ジョウゼフの言葉に、エイミーははたと気がつく。
彼女が働き始めてから、約一ヶ月。今日は彼女の初給料日だったのだ。
「うん、この一ヶ月お疲れ様。充分とは言えないかも知れないけれど、君の働きぶりを出来る限り評価したつもりだよ」
そう言いながら、ジョウゼフが机の引き出しから取り出した革袋をエイミーへと差し出す。
一瞬恥じらうようにためらったエイミーだが、やはり受け取らないわけにはいかない。
そっと両手を差し出して、給料の入った革袋を受け取った。
「あ、ありがとうございます、そんな風にお考えいただけるだけで……って、重っ!? え、これ重っ!?」
殊勝な態度で受け取ったエイミーだが、両手にそのずっしりとした重みを感じて、狼狽えた声を上げてしまう。
何かの間違いではないかと慌てて中身を確認すれば、ぎっしりと入った小金貨。
「君の働きぶりを評価して、一般的な相場の3倍を出させてもらったよ」
「これ、前のお給料の5倍はありますよ!?」
慌てている様子を見て説明が必要と思ったジョウゼフの声とエイミーの声が被る。
え。とお互いに顔を見合わせて。
「エイミーくん、君、そんな安い給料で働かされてたの?」
「こちらではそんなにもらえてるんですか!?」
また、ハモった。
そしてまた互いに顔を見合わせる。
ジョウゼフの顔にはこれ以上無い哀れみが浮かんでおり、エイミーの顔は驚愕のまま固まっている。
同じ金額が、プランテッド領の給料では3倍、エイミーのかつての給料の5倍。
つまりエイミーは、このプランテッド領の一般的な給料の、五分の三しかもらえていなかったことになる。
それは生きていくのにいっぱいいっぱいで、新しい服だなんだが買えるわけもなかったわけだ。
「あは、あははは……」
そう思い至れば、呆然とした顔で虚ろな笑い声を響かせてもしまうだろう。
これはまずい、なんとかしなければ、とジョウゼフが思ったその時だった。
コンコン、と執務室の扉がノックされ。
「エイミーさんの給料日と聞いてやって参りました!」
バーンと扉を開いて、ニコールがずずいと入ってくる。
「こらこらニコール、まだ部屋に入る許可は出してなかったよ?」
「申し訳ございませんお父様、ついつい居ても立っても居られず……失礼致しました」
窘められて、頭を下げるニコールの仕草は優美なもの。
だがしかし、次いで口にしたのは、極めて令嬢らしからぬ言葉だった。
「さあエイミーさん、記念すべきプランテッド領での初給料です、今日はぶわ~っと参りましょう、ぶわ~っと!」
「あ、え、いえ、その、確かにぶわ~っとはいけるだけいただいたのですけど……えっと……これ、何かの間違いでは……?」
そう言いながらエイミーが両手で持った革袋をおずおずと見せれば、ニコールはしばしそれを見つめ。
「これくらい当然ですわね! エイミーさんの働きぶりはまさに百人力、あるいは一騎当千。
その貢献度は計り知れません!」
「まあ百人は言い過ぎにしても、間違いなく三人分以上、あるいはもっと、と評価しているよ。
だから、三人分しか出せないのが申し訳無くてねぇ」
「多分『しか』の使い方が間違ってると思われます!?」
前の職場との、天と地ほども違う待遇に、エイミーは大混乱。
だがしかし、実際にそれくらい助かっているのだ、ジョウゼフは。
「お父様もこう仰っていますし、問題はございません!
さあさあ行きましょう飲みましょう! ぶわ~っと、ぶわ~っと!」
「ひぃぃぃぃぃ!!」
エイミーの悲鳴が虚しく響く。
そしてそのまま、エイミーは夜の街へと連行されたのだった。
こうしてニコールに振り回されたりしつつ、彼女はその後もその能力を惜しみなく発揮し、プランテッド領のために尽力した。
二ヶ月ばかり過ぎて夏から秋へ向かう頃には各種業務の最適化も終わり、多くの処理が円滑に流れていく。
「この分だと、年末の大仕事、収穫後の徴税もスムーズにいきそうだねぇ」
「そうであることを願うばかりです、そのために今から準備もしてますけど……」
プランテッド家の執務室で、ジョウゼフとエイミーが和やかに話す。
エイミーの補佐を受けてジョウゼフはその能力を遺憾なく発揮、徴税の準備も既に粗方終わっている。
このまま豊かな実りの秋へ、とのんびり思っていた、その時。
「旦那様、ご休憩中に失礼いたします。国王陛下からのお手紙を届けに、使者の方がいらしております」
「……なんだと?」
ノックをして入ってきた執事エルドバルの言葉に、ジョウゼフは眉をひそめ、エイミーは思わず固まってしまった。
「ふむ、まさかお帰りいただくわけにもいくまい。お通ししなさい」
「はい、かしこまりました」
エルドバルが深々と一礼してから去れば、執務室に沈黙が訪れた。
互いに物言わぬこと数秒。
「……い、一体何事なんでしょうね……?」
おずおずと、エイミーが口を開く。
彼女宛の手紙でもないというのにすっかり萎縮してしまったエイミーへと、ジョウゼフは大げさに肩を竦めて見せた。
「さて、ね。夏の社交も一段落したこの時期に、別段陛下のペンフレンドでもない私のところへ、となると予想もつかないよ」
和ませようと軽いジョークを交えてみるが、真面目なエイミーを和ませるには至らなかったらしい。
エイミーからまだ硬さの取れないうちに使者が来て、儀礼通りの挨拶を済ませて手紙を受け取れば、使者は失礼でない程度にそそくさと辞去した。
手紙に王家の封蝋が刻印されていることを確認したジョウゼフは手紙の封を破り、一読すると、ふむ、と眉を寄せた。
「旦那様、一体何事です?」
使者を送り出したエルドバルが戻ってきて尋ねれば、ジョウゼフは困ったような笑みを見せた。
「緊急会議の招集、だそうだ。それも」
そこで一度言葉を切り、エイミーを見る。
釣られたエルドバルのと合わせて二人分の視線を受けてたじろぐエイミーは、思わず額に冷や汗など浮かべてしまう。
「あ、あの、私が一体何か……?」
「いや、エイミーくんに直接関係があるわけじゃないんだが……いや、微妙にあるかも知れないなぁ」
そう言うとジョウゼフは、ひらりと手にした手紙を振って見せる。
「パシフィカ侯爵閣下の、土木事業に関する緊急会議、らしいからねぇ」
「はい?」
「ああ、ついにやらかしてしまったというわけですね」
ぽかんとしたエイミーの横で、辛らつな言葉を平然と述べるエルドバル。
そんなエルドバルへとジョウゼフは苦笑を見せる。
「まあ、恐らくそうだろうねぇ。御前会議になるくらいのやらかしだというのだから、相当なのだろうけど。
ということで、エイミーくん。急ぎの仕事を少し頼めるかな?」
「え、あ、はい、もちろんです!」
慌てて返事をするエイミーへと。
珍しく、なんとも貴族らしい、腹の底が見えない笑みをジョウゼフは見せた。
その頃のパシフィカ侯爵領では。
「お前ら一体何をやっとるんだ!? こんな工期の遅れを出して、どうするつもりだ!!」
初老の、いかにも貴族でございといった人相のパシフィカ侯爵が、所有する商会の責任者達を集めて激怒していた。
問いただされ、しかし商会の責任者達は首を竦めるばかり。
「確かに急ぐ必要は無いとは言ったがな、いくらなんでも遅すぎだろうが!
その上何だこの資材の供給状況は! どう考えても工期内で必要な分が集まらんだろうが!!」
問い詰める怒鳴り声に、答えられる者はいない。
当たり前だが、資材の準備には時間がかかる。
なのでエイミーは、本発注の前から事前に連絡して調整を付けてから発注をかけていた。
だが現在担当している者はそれを怠った上に、エイミーの代わりに入った室長の愛人が誤発注を幾度かやらかして資材を浪費、在庫がだぶついているところを数多く生み出した上、必要なところに行き届かない需給状況が発生。
結果、工事をしようにも資材がなく、予定を遙かにオーバーしてしまいそうな現場が複数発生してしまっているのだ。
「ええい、くっそ、このまま工期内に終われないとなってしまえば……」
考えたくない事態に、パシフィカ侯爵は身震いしながら歯噛みする。
元々、安全性確保のためだとか理屈を付けて、普通に工事をしていれば十二分な余裕を持たせた工期の設定。
それによって人件費を最大限入れ込んだ予算をぶんどっていたというのに、これで工期をオーバーしてしまえば、一体何をやっていたのか、という責任問題にもなりかねない。
何とかして国にバレる前に手を打たねば、と必死に頭を回転させていた、その時だった。
「だ、旦那様……お取り込み中に申し訳ございません」
執事の一人が、責任者達が怒鳴りつけられている会議室へと恐る恐る顔を出す。
「なんだ!? 取り込み中だとわかっているなら、邪魔をするな!」
血走った目で怒鳴りつけられ、執事は思わず首を竦めるが。
それでも職務に忠実な彼は、不興を買うこと覚悟で言葉を発した。
「誠に申し訳ございません。しかし……王家からの使者がいらしたものですから」
「……は?」
執事の言葉に、侯爵は言葉を失った。
今このタイミングで、王家からの使者。
まさか、と背中に冷たいものが流れる。
そして、悪い予感とは当たるもの。いや、この場合は必然とすら言えるものだっただろう。
王家からの使者がパシフィカ侯爵へともたらしたもの。
それは、王宮へ召喚する勅書だった。
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