第4話 縁は異なもの
こうして難民達がプランテッド領で受け入れられた訳だが、世の中そんな労働環境ばかりではない。
それから一ヶ月ほどが経った、本格的に夏へと向かい始めたある日。
プランテッド領に隣接するパシフィカ侯爵領にある、侯爵が出資している商会の建物にて。
「きょ、今日でクビって、どういうことですか!?」
商会の事務所で、女性の声が響く。
年の頃は二十前後、職業婦人らしく焦げ茶色の髪を短く整え、眼鏡の向こうには意志の強さを宿した焦げ茶の目。
そんな彼女が四・五人の従業員が働く中でいきなり声を上げたというのに、しかし誰も驚いたような顔をしていない。
なんなら、何人かはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているくらいだ。
ちなみに、彼女以外は全員男性である。
そして、その中でもとびきり嫌な笑い顔を見せている男が、無駄に豪奢な机を挟んだ向こうで、同じく無駄に豪奢な椅子にふんぞり返って座っている。
「どういうことも何も、言った通りだよエイミーくん。君との契約は今日まで、だから契約を更新しない。それだけの話だよ?」
「そ、それは、だからって、昨日までそんな話、一言もなかったですよね!? 今までは何もなければ自動的に更新ということでしたし!」
エイミーと呼ばれた女性が反論するが、ふんぞり返る男には蛙の面になんとやら、だ。
いや、この一ヶ月ばかりはずっと、仕事を詰め込まれて帰るのはいつも夜遅く、昨日などは、どうやって帰ったのか若干記憶が曖昧なくらいだ。
「……まさか、ここのところ妙に仕事が詰まってたのは、最後に私を使い潰すつもりだったんですか!」
「いやだねぇ、人聞きの悪い。契約が終わる前に経験を色々積ませてあげようと思った親切心を、そんな悪し様に。実際、潰れなかっただろう?
そんな根性だから、契約を更新してもらえなかったんじゃないかい?」
『勝手なことを』と叫びたいのを、ぐっと飲み込む。
しばらく顔を俯かせ、ぎゅっと拳を握ったエイミーは、悔しさを隠すことなく曝け出しながら顔を上げた。
「……わかりました、もういいです。そういうことなら、私は今日までということで。
引き継ぎなんかは今日中で終わる分だけでいいってことですよね」
「引き継ぎぃ? あっはははは、君が何か引き継ぐことがあるってのかい、君がやってたことは誰かの手伝いか雑用だけだろぉ?
そんなの要らないから、何なら今出て行ってくれて構わないよぉ?」
それはもう愉快そうに侮蔑で顔を歪めながら言う、もう今となっては元上司と言って良いだろう男の嘲りに、彼女は身を震わせる。
自分がやってきたことが、手伝いか雑用。
そんな風にしか見えなかった男にいいように使われてきたのだと思うと、もう怒りを通り越して空しさすら覚えてしまう。
「そこまでおっしゃるのなら、お言葉に甘えて、これで失礼させていただきます」
「はいはい、今日までご苦労さ~ん。ああ、君が住んでる部屋も明日には退去してよね、あれ社員用だし、すぐ次の人入るから。
引っ越し作業もあるだろうからってこの時間に返してやる俺ってば、優しいねぇ」
「は!? ……わかりました、そうします!」
出て行こうとしたところでいきなり掛けられた言葉の内容に、思わず彼女は振り返り。
色々言いたいことを飲み込んで、ただそれだけを言うと、エイミーは足早に出て行った。
それからエイミーは自室に戻り、荷物の片付けを始めて。
すぐに、また溜息を吐き出した。
いや、今度は思わず笑ってしまった。
あっという間に、片付けが終わってしまったのだ。
故郷から出てきて、増えた私物なんて、数える程しかなかった。
背負い袋一つと旅行鞄一つに収まるだけの荷物。
それが、彼女のこの数年の生活だった。
そう理解すると、ほろり、頬に涙が伝った。
「私、今まで、何をしてきたんだろうな……」
一人へたり込む部屋、彼女の問いに、答えてくれる者など居るわけもない。
呆然と天井を見上げる。
「あは。あはははは。
あはははははははははは!」
笑えてくる。
全く面白くないのに、笑いだけが溢れてくる。
そうしないと、自分が壊れてしまう。
そして。
泣けてくる。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、バカヤロー!!!」
箍が外れて飛び出した渾身の叫びは、虚しく天井に吸い込まれていった。
そして。
いつの間にか、夜が明けていた。
留まる場所もないエイミーが辿り着いたのは、各方面へと向かう乗合馬車の駅。
ここからなら、どこかに行くことは出来るだろう。生きていけるかはわからないが。
そんな淀んだ目で行き交う馬車を見ていたエイミーの目に、一台の馬車が目に留まる。
気がついたら、その馬車の前に、彼女は立っていた。
「うわっ!? お、おい、どうしたんだ!?」
気がついた御者が慌てながら問えば、エイミーは茫洋とした目で返事をする。
「ねぇ、御者さん。その馬車に乗せてくれませんか?」
「いや、それはもちろん構わないんだが……どこ行きかわかってて言ってるのか?」
尋ねる御者に、エイミーは笑いかけた。
そのつもりだった。
御者にそう見えたかは別として。
「行き先はどこでもいいんですよ。何となく、その馬車に乗りたいっていうだけです」
「いや、こっちはそれでもいいんだけどさ……ちゃんと金は持ってるんだよな!?」
御者の問いに、エイミーはこっくりと頷いて見せ、先払いとばかりに御者の手に小さな金貨を押しつけた。
これ1枚で、乗合馬車ならば相当遠くまで行ける。まして、この馬車の目的地など、容易に。
それを受け取った御者は、もう文句など言えなかった。
「ああもう、わかったよ、乗りな! ただ、妙な真似だけはするなよ!」
「ええ、人に迷惑をかけるようなことはしませんよ」
悲鳴のように上擦る御者の声に、エイミーが笑って答える。薄ら寒くなるような声音で。
彼の経験上、こういう客は自殺だなんだ、ろくでもないことしか考えていない。
「ったく、ほんっと、変な気を起こすなよ!? じゃあ、もう出るからな! プランテッド領都行き、出るぞ~!」
声を張り上げながら御者が鞭を振るえば、ゆっくりと馬車が動き出す。
その揺れに身を任せながら、夏だからか開けっぱなしの窓にエイミーは顔を寄せた。
「こんなはずじゃなかったのになぁ……」
小さく、ぼやく。
その視線の向こうには、眩しいほど青い空が広がっていた。
そう、本当に、眩しいほどの、青空が。
空しさを抱えたまま辿り着いたプランテッド領の領都。
領都に入る正門からして感じる、以前行ったことのある王都にも負けない活気。
行き交う人々の顔は明るく、響く声も耳に煩くない。
「いい街、なのかな」
ぽつりと、呟く。
街を見回して。
それから、空を見上げて。
中天を過ぎて傾き始めた太陽に、目を細める。
「美味しいもの、あるのかな……」
空腹から出た言葉が、ぽつりと零れた。
すると。
「そこのあなた! 今、美味しいものとおっしゃいましたか!」
突然、横合いから声が掛かった。
「え、あ、はい……??」
思わぬ呼びかけに、反射的に返事をしながらエイミーは振り向く。
その視線の先には。
初夏の日差しを浴びてキラキラと輝く、ゆるくウェーブの掛かった金の髪。
若干気の強そうな印象のある深い青の瞳をした美しい少女がそこにいた。
彼女が見せる、その笑顔。
まさにこの青空のように眩しいそれに、エイミーは思わず目を細めた。
「はいとおっしゃいましたね、美味しいものをお探しなのですね!」
ならばお任せください! このわたくし、この街のこと、特に美味しいものは誰よりも知っていると自負しておりますから!」
どーんと胸をはり、ぐいぐいずいずい、少女が距離を詰めてくる。
その勢いに、押されそうになりながら。
「え、えっと、じゃあ、お願い、します……?」
何となく。
流されてもいいかな、と思ったエイミーは、そう返事をしてしまって。
「それでは参りましょう!」
エイミーの了承を得たそのご令嬢は、ずいっと前に立って歩き出した。
そして、その後ろに付き従うお付きらしいメイド。
二人揃って、エイミーがついてくることをまるで疑っていない。
いや、もしかしたらメイドの方は、エイミーとの間に入って、万が一に備えているのかも知れないが。
そして彼女が歩き出せば、気付いた街の人々があれこれと話しかけてくる。
その様子を見たエイミーの脳裏に、ある直感が訪れた。
「あの、まだ名乗っていませんでしたよね。私、エイミー・モンティエンと申します」
「まあまあ、これはなんと奇遇な! わたくし、ニコール・フォン・プランテッドと申します」
返ってきた予想通りの名前に、エイミーは頭がくらりとするような感覚を覚えた。
だが、ニコールにとってこれは嬉しい出会いだったらしい。
「実は以前父が種々の手続きで王都にいった時にモンティエン家の方に対応していただいたそうで、とてもいい仕事ぶりだったと申しておりましたの。
もしかしたら、エイミーさんのご家族かも知れませんね?」
思わぬ話に、エイミーは現実逃避しかけた意識を呼び戻す。
これで失礼でもあれば、今度は家族に迷惑が及びかねない。
「そ、それなら、二番目か三番目の兄のどちらかだと思います。父は家督を譲って引退していますし」
「なるほど、確かに若い男性の方だったようですし」
エイミーの返答に、ニコールは納得した様子で頷いた。
そして、改めてエイミーを見て。
「これも何かのご縁、今日の所はわたくしに奢らせてくださいませ?
あ、といってもそんなお高いところではございません。
働いてらっしゃる方は、お金の価値をよくご存じな分、あまりお高いところは遠慮なさることが多くて」
「あ~……確かに、私もこういったお店の方が気楽です。お気遣い、ありがとうございます」
頷いて返すエイミーの目の前には、以前ニコールが難民達をつれてきた、ベティの食堂があった。
「そう言っていただけたのなら、何よりです。ご安心ください、味は間違いございません、わたくしが保証いたします!」
どーんと胸を張りながらニコールがきっぱり断言するのを見ると、また少しばかり心が軽くなった気がする。
こうやって人を乗せるのが上手いのは、流石伯爵令嬢、というべきなのだろうか。
「さあさあ、表で立ち話もなんです。早速入ってしまいましょう!」
そうやってニコールにそそのかされ。
エイミーもまた、ニコールの餌食にされた。
「だからねぇ、言ってやったんですよ、ばかやろーって。……部屋に帰ってから、天井に向かってですけど」
「あらあら、エイミーさんは本当に奥ゆかしいのですねぇ」
もう、何杯グラスを空けたろうか。
すっかり酔いの回ったエイミーは、ニコール相手に愚痴っていた。
「それにしても、随分な扱いだったんですねぇ……」
「そうなんですよ~……あいつら、書類にサインするのが仕事だと思ってるんですよ、責任者でございって偉そうな顔してぇ……」
がっくりと俯いたエイミーは細長い揚げた芋を指でつまみ、ぱくりと口にする。
一言で言えばエイミーは、クビになった商会における面倒で煩雑な業務を一手に担っていた。
当然本来は一人でこなすような業務量ではないのだが、一つ押しつけられたものを最適化して余裕が出来たと思えばもう一つ押しつけられ、を繰り返し、膨大な業務量を抱えながら、何とか破綻させずにいたというのだから、ニコールですらすぐには言葉が出ない。
「おまけに、私が会計業務資格を持ってるからって、普段から帳簿付けを手伝わせて、決算の時は丸投げでぇ……」
「……は? え、いやいや、まってください、会計業務資格とは、国家資格のあれですか?」
「はい、それですぅ……えっとぉ……あ、あったあった……えへへ、これだけは、無くせないですから……次のお仕事探すのにぃ……」
思わずベルが問いただせば、お酒で緩んだ顔のエイミーは旅行鞄を漁る。
出てきたのは会計業務資格の免状。言ってしまえば会計士の免許だ。
当然取得には相当な勉強量が必要で、かつ、その倍率は百人に一人と言われる程恐ろしく高いのだが。
「な、なんてこと……エイミーさん、まずその若さで取得しただけで賞賛に値しますよ!?」
「そうですかぁ……? そうなんですかぁ……? でもでも、前の職場じゃそんなの何の役にも立たない、それが本物かわからないとか言われてぇ……」
ニコールも流石に声を上げてしまうが、驚きと賞賛を受けたエイミーは、まだどこか半信半疑だ。
彼女とて理屈ではわかっているのだ、この資格が希少なものであることを。
ただ、それが実感として得られる場所にいなかっただけで。
だが、これからは違う。
「エイミーさん! よくぞこのプランテッド領にいらっしゃいました!
おまかせください、あなたのために最高の仕事と環境を整えてみせます!
ええもう、全力でそうさせていただきます、あなたと、このプランテッド領のために!」
先程まで対面に座っていたニコールが、いつの間にか隣に座り込み、がしっとエイミーの右肩を掴んでいた。
そして。
「はい、採用」
「えええええ!?」
翌日のプランテッド伯爵邸執務室。
執務机で穏やかに微笑む当主のジョウゼフがあっさりと言えば、その対面に立つエイミーの悲鳴が響く。
ここまでトントン拍子に思いも寄らなかった扱いを受けて困惑と恐縮の極地にあったエイミーが、とどめとばかりにジョウゼフから会うなり採用を告げられたのだから、悲鳴を上げるのも無理はない。
「流石お父様、人を見る目がございますわね!」
混乱しているのはエイミーばかりで、ニコールなどさも当然とばかりにご満悦。
その後ろに控えるベルも、表情は動いていないが異論はないらしい。
「いやいやいや、お待ちください伯爵様! そんな軽々にお決めになって良いことではないかと!
何と言いますか、聞き取りですとか試験ですとか、そういったものが必要なのでは!」
「まあ、君が言うことももっともだ。では少し試させてもらおうかな」
と、いくつか質問や試験を行ったところで、ジョウゼフが出した答えは変わらなかった。
「うん、やっぱり採用で」
「あ、ありがとうございます! ……でも、よろしいのですか? こう、時間を掛けてじっくり吟味とかされた方が……」
「考えるまでもない、ということだよ。むしろ明日からでも働いてもらわなければ、我が領にとって損失ですらある」
喜びの顔で頭を下げた後、おずおずと伺うように顔を上げるエイミー。
そんな彼女へと、ジョウゼフはあっさりと、気取らない笑みを見せる
どこかその表情はニコールを思わせ、やっぱり親子なのだと場違いなことが頭をよぎった。
「あの、私は明日からでも働けます!」
「その気持ちはありがたいな。私の補佐官をやってもらうつもりだけど、何しろ仕事が山積みでねぇ」
ジョウゼフの言葉に、勢い込んでいたエイミーがぴたりと止まる。
貴族家の補佐官とは、当主のスケジュール管理に加え各執務の補助、なんなら代行まですることがある多忙な職務。
そして、当然当主の代行までするとなれば、重要かつ責任重大な職務でもある。
そんな職務を流れてきたばかりの、それも男爵家の娘であるエイミーに任せようというのだ、固まってしまうのも無理はない。
「まあまあ、素晴らしいですわね! 確かに先程見せていただいた能力であれば、補佐官として充分に働けるかと!」
「だよね? いやぁいい人材を拾ってきてくれたよニコール」
硬直しているエイミーをよそに、伯爵家の親子はよかったよかったと暢気なもの。
ベルも口を挟まないので、エイミーの味方は誰も居ない。いや、味方しかいないのだが。
上手くいきすぎて頭がついていかないエイミーの肩を、ぽん、とベルが叩く。
「諦めてください、エイミーさん。ニコール様があまりにあれなので目立ちませんが、旦那様も思い切りはいいのです」
「だ、だからって良すぎますよ!?」
「困ったことに、大体その思い切りの良さが間違っていないので、お止めできないんですよ」
「そ、そんなぁ」
止める人がいない、と理解してエイミーはぷるぷると震える。
そんなエイミーへと、さらなる厚遇が襲いかかった。
「じゃあ、住んでもらうところが決まるまでは客間で過ごしてもらおうか。ニコール、ベルと一緒に案内しておいで」
「ええ、わかりました!」
「え、ええ~……??」
トントン拍子過ぎる話に呆然としているエイミーの腕を引っ張りながらニコールが、その後に付き従いベルが退出する。
やがて三人の気配が遠ざかり。しばしの沈黙の後、ジョウゼフが口を開く。
「……エルド」
「はい、こちらに」
ジョウゼフの声に、背後から答えが返ってくる。
いつの間にかそこには、真っ白になった髪をオールバックに固めた一人の老執事、エルドバル・ストーンブリッジが立っていた。
「大丈夫だと思うけど、念のためエイミー嬢の身元を洗っておいてもらえるかな」
「かしこまりました。まあ恐らく大丈夫かとは思いますが」
「だねぇ、免状も本物だったし。
となれば、あの若さで相当な実務経験もあるみたいだい、逃すわけにはいかないよねぇ」
「なるほど。……そこまでおっしゃられますと、何故そんな人物が解雇されたのか不思議にも思いますね」
「まあ、だから念のために、ね。よっぽどのアホでも無い限り、彼女を手放すなんてしないだろうし」
ジョウゼフの説明に、納得した顔で頷くエルドバル。
それからいくつか打ち合わせをして、彼は調査の手配のため執務室を辞した。
一週間も経たないうちに「よっぽどのアホでした」との報告をする羽目になるのだが、如何に彼といえど、そんなことは夢にも思わずに。
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