本当に望むもの

「ボクら交代人格は一人の人間として独立しているように思っているけれど、実際のところ『夏井青葉』という人間の一部の側面が各人格を作っていると、ボクは思っている。所謂、『夏井青葉』の分身のようなもの。


 そんな交代人格の一人であるキミがカッターで死のうとしたということは、『夏井青葉』が死を望んだ、――自分を殺したいと願ったということだ。


 一方のボクの役割、ボクの目的は『夏井青葉』を支え、生かすこと。……いや、役割なんか関係なく、彼女の望みは何でも叶えたい。


 だからこそ、ボクは彼女の死にたいという願いを叶えるべきなのかを迷った。だから、ボクは考えた。死というものについて。一般論を並べたところで、反発する子供のように聞き入れてくれるわけではないことをボクは知っているからね。


 もし、考え抜いた先にボクすらも納得するものがあるのなら、そのときは、ボクは彼女の、キミの願いを聞き届けようと思った」


「なら、どうして……どうして、オレを止めるんだ!」


「キミこそ気づいているはずだよ。キミは自身がされてきたことを返すだけだと言った。自分自身を殺すことをするんだと言った。


 でも、ボクは思う。それは、キミが本当に望んでいるものじゃない。望んでいる形じゃないはずだ。自身も含めた人格を殺すこと――『夏井青葉』を殺すことじゃない。キミが本当に望んでいること、それは」



 ――この世界を認知しないこと。完全な、無だ。



「違うかな」


 白川は確かめるようにそう言った。


 そう、その通りだ。オレの望む死は、正にそれだ。


 白川の言葉に、不覚にも心は歓喜を覚えた。的確な言葉をくれたことが嬉しかった。自身の考えを理解してくれたことを喜んでいた。


 苦しいことが苦しいのではない。どんな出来事も、何もかもが苦しく、辛い。喜びも、苦しみの一つでしかない。


 けれど、だからと言って、何も感じないということもできない。


 仮に黒田オレという人格を消したところで、何かに苦しむ他の人格は残る。辛いと思うこと、苦しいと思うことそのものを無くすには『夏井青葉』を殺す以外にない。


 けれど、白川はそこから先を考えた。そして、気づいたのだ。


 世界を認知するのは、あくまでも意識に過ぎない、と。


「世界を苦しいと、嬉しいと思うこと、そう認知する意識があるから思うことだ。『自分』とは、世界を認知する意識そのものことだ。仮にキミという存在を消したところで、ボク、もしくは他の交代人格が残る。


 じゃあ、この肉体を、『夏井青葉』という人間が死ねば苦しみから解放されるのか。答えは否だ。


 誰かが、どんな存在であれ、意識がこの世界に存在し、世界を認知し続ける限り、そこには苦しみがつきまとう。そこに、肉体の個別性など関係ない。さらに言えば、肉体の有無すらも関係ない。それはもはや、意識などではなく、魂と言って等しい。


 その魂そのものの消滅、それがキミの望む死の形だ。けれど、それは―――」




―――この世に人類、もしくは生物が存在する限り、あり得ない。




「と、ボクは思っている」


 付け足すように白川はいう。その言葉通りだ。オレの中には返す言葉もない。いや、最初からそれは分かっていたような気がする。死にたいともがいて、もがき続けて、死ぬことを望んだ。望めば望むほどに、死はその輪郭があいまいになり、遠のいていくばかりだった。


「全部、お前の言う通りだ。『夏井青葉』を殺しても、オレの望む死は絶対に叶うことはない」 


 けれど、どうしてもオレは死を望む。叶うことがないと分かっていても、肉体の死の先に望みがないと分かっていても、どうしようもなく死にたいと思う。


 ふとした瞬間に、自身が未熟だと実感したときに、自身ではどうしようもない出来事に遭遇したときに、過去の自分と比較したときに、未来を想像して何にもなれないと思ってしまったときに、自身が無力で愚かしいと思ったときに、ただ生きている日常の中で幾度も死にたいと願う、望む。


 まるで、恋する少女のように、死というものに焦がれる。


 それなら、せめて―――


「せめて、黒田オレを消すことはできないのか?」


 きっと、青葉さんが本当に望むものではないはずだ。例え彼女の一部から派生した存在だとしても、。ならば、せめてオレという存在を消えた方がいい。だから、


「もう一度、闇の中に押し込めてくれないか?」


 その方が、誰もが幸せになれる方法のはずだ。

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