夏井青葉の過去(1)

 夏井青葉という少女は至って普通の少女だった。ただ、少し他の子たちより聞きわけがよい子供だった。


 けれど、彼女自身はそれほど聞きわけのよい人間ではなかった。周りの評価する「大人しく、利口な子供」は、彼女の頭の中に常にいた、、、、、、、、


 そのお利口な子供は、青葉は遊びたいと思っても頭の中からそれを制し、遊びを止めさせたり、時には青葉自身の意に反して制したりすることもあった。


 利口な子供のことを青葉は特別不思議だとも気味が悪いとも思ったことはなかった。それが、彼女にとってのことだったからだ。


 そうした状態に疑問を抱かずに過ごしていた青葉だったが、子供ながらに感じていたことがあった。


 それは疎外感であった。


 利口な子供のやることや言うことは正しく、大人は「それ」に従う青葉を良い子だと言い、褒める。嬉しく思う反面、同じ歳の子供からは疎まれる対象になりやすかった。


 それから月日が経ち、学校という集団生活の中で、上手く立ち回れるようになると、次第に友人を作れるようになった。ようやく薄れるかに思われた疎外感だったが、それでも消えることはなかった。


 どこにも馴染めないと青葉自身は強く感じるのに、周りからの評価はとても良かった。学校からは優等生、周囲からは嫌味のない優秀な人――それが青葉に対する見方だった。


 そんな日常の中、それは起きた。――東日本大震災である。


 情報を得るために点けていたテレビでは、しきりに震災によって大切なものを奪われた人々のことを映し出した。地震で、津波で、火災で、原発で……あの未曾有の災害で家を失ったり、大切な人を失ったりした人のことをやっていた。それが当然で、当たり前で、震災に遭った地域はどこでもそうであるかのように映し出しされていた。


 青葉もそこに映る彼らとそれほど違わない場所にいたはずだったが、まるで状況は違っていた。


 震災に遭いながらも、家が倒壊することなく、少しだけヒビが入る程度で済んだ。

 海からは遠かったので、津波に襲われることはなく、それをじかに目にすることすらなかった。

 家族が日一人も死ぬこともなかった。

 近くに住む親戚も火災や津波などに巻き込まれることなく無事だった。

 友人も一人も欠けることはなかった。

 青葉の住んでいた地域は一時期原発の避難区域に指定されたが、それも一年ほどで解除された。


 ――失ったものなど一つもなく、正しく『不幸中の幸い』だった。


 非日常が起きながらも、これといった被害のなかった青葉は、それを素直に喜ぼうと思った。頭に響く声もそうあるべきと言った。


 どうして胸は、心は悲鳴をあげるその名前も理由も青葉には分からず、頭に響く言葉に納得しようにも心からはそれが溢れて止まなかった。


 テレビに映り、悲しみを臆面もなく言える彼らを、顔に出すことができる彼らを、青葉は不謹慎にも「羨ましい」と思った。


 けれど、そう思ってはいけないこと、胸に溢れて止まない感情を吐き出すことを許してくれないように青葉は思った。


 だから青葉は強く、強く何も思わないように努めた。湧き上がる感情が消えるようにと願った。


 胸の悲鳴を上げるたびに涙が溢れ、そんなふうに涙を流すことすら自分には許されないのに、と青葉は自分を責めた。


 何度も、何度も青葉は繰り返した。それでも、気を抜くと湧き上がる感情に青葉はどうして消えてくれないのかと思わずにはいられなかった。


 青葉は胸に湧く感情に名前を付けず、目を閉じ、ひたすらに消えることを願い続けた。


 それでも消すことができないので、何か箱の中にぎゅうぎゅうに押し込んで、詰め込んで、二度と浮かんでこないよう重しを付け、どこか海の底……深いところに沈めていくことを想像した。


 深く、深く――真っ暗な底に沈めることを想像しながら何度もそれを繰り返していると、あれだけあった感情は青葉の中からあとかたもなく消えたように思えた。


 どこにも見当たらず、自分がどうして泣いているのか、分からなくなるほどに綺麗にすることができた。


 青葉は胸が悲鳴をあげるたび、更には悲鳴をあげそうになるたび、そうして凌いだ。


 やがて、どんなことがあってもそのようにするのが、常となった。


 そんなことを繰り返しているうちに、青葉は「自分」は何を思い、何を感じるのか分からなくなっていった。けれども、それすらも深く考えることはしなかった。


 いつしか、小さい頃からお話を書いていたのに、それすらもやらなくなっていることに、青葉自身も気づいていないのだった。

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