彼女のこと
「キミも何か書かないのかな」
突然の声に驚く。そこには、白川がいた。一瞬だけ驚いたが、白川が神出鬼没なのはいつものことだ。それに、変に取り乱す様子を見せるのは、癪でもあった。
「書かないと前から言っているだろ」
オレはなんとか平静を装ってそう言う。
「随分と熱心に見ていたから、気になることが書かれていると思ったんだけどね、違ったかい」
白々しい。いつからいたかは知らないが、そんなことを聞かなくても分かっているくせにと思う。
ノートに書かれた文字を見る。少しだけ、ほんの少しだけ、この人のことを知りたいと思っている自分がいる。
「お前は、この青葉という人を知っているか」
「彼女が気になるの?」
珍しく驚いた様子を白川は見せる。
「んだよ……」
オレだってこんなことを聞きたくはないのだ。これまで散々人と関わらないようにしてきたのに、今更と思われるのは目に見えている。
「いや、青葉さんだったね。もちろん知っているよ。彼女はこのシェアハウスで最も長くいる人だからね」
「い……へ、へぇ」
意外だ、と言いかけた言葉をなんとか誤魔化し、コーヒーと一緒に飲み込んだ。白川から茶化すような言葉が聞こえてくるものかと思ったが、すんなりと教えてくれた。それには少し拍子抜けしたが、それを突っ込んで茶化されるのは、面倒だ。
それにしても、入れ替わりの激しいこのシェアハウスに、ずっといる人というのはなかなか珍しいと思った。
「お前よりも?」
「そう……だね。たぶんそうかな。ボクがここに来た頃には、もう既にいたよ」
その口調はどうもはっきりしないものだった。それに小さなひっかかりを覚えたが、それよりもこの青葉という人物の方が気になった。
「なあ、彼女はどんな人だ。文章がとても優しい人のように感じる。普段もそんな感じなのか? あと、他の人同士の会話で会社のことが出てくるが、会社員なのか? それと……」
「待ってくれ、そんないっぺんに言われても答えきれないよ」
困った声で白川は言った。無意識のうちに質問を次々とこぼしていたようだ。
「そんなに彼女のことを知りたいの?」
「……まぁ」
「それは、どうしてか聞いてもいいかな」
どうして……。どうしてだろうか。しばし考えた後にオレは答えた。
「優しい文章を書いているところ、だと思う」
文字が丁寧に書かれている印象があった。それに加え、文章からも言葉を選んで書かれている印象を持った。それらを強調したのは、その文字の色だと思う。ただの紺色ということもできるが、ただそう言い切ってしまうには勿体ない。例えば……夜の空のような色、と表現したくなる色だ。
「文章か……そういえば、彼女もね、昔、小説を書いていたよ」
それを聞いて、勝手ながら親近感を覚えた。まるでオレみたいだなと。嬉しいとどこかで感じたが、次の瞬間、そう感じたことをおこがましかっただろうかとも思った。
「キミがさっきボクに聞いてきた質問だけれど、彼女に聞いてみたらいいんじゃないかな。そのノートを使ってね」
「いや、オレは別に……」
「でも、気になるんだろう?」
そう言われてしまうと強く言えずに、口ごもる。けれど、今まで関りを持とうとしなかったやつが、ポッと出てきて迷惑じゃないだろうか。いや、それでもどんな人なのか知りたいし……。
しばしそんな葛藤をした末、オレは近くにあったボールペンを手に取った。
「……誰が何を書いてもいいんだよな」
「うん、そうだよ」
最後の確認をするようにそうやり取りをすると、オレはノートの空いているスペースを見つけると、そこにペンを走らせた。
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