第一章 第二話:文子さんの記憶~その1~
私が文子さんの記憶の追体験を行なって最初に見えてきた光景は、どうやら最近の記憶のようだった。
最近と言っても2、3年ほど前だろうか。なぜ私がそう思ったかと言うと、目の前の文子さんが少しだけ若く見えたからだ。
黒色で統一された着物を身にまとった文子さんが、棺の中で永遠の眠りについただろう誰かに話しかけている。
「どうして……私よりも先に……あなた……」
その先に言葉は続かず、私の目の前にいる文子さんの目元からほほにかけて一筋のしずくが伝った。
どうやら、今まで連れ添ってきた旦那さんの葬式らしい。
私は思わず、失望の海に沈みかけている文子さんに何か声を掛けようとしてそれを止めた。これはあくまで記憶の再現であり、声を掛けたりはできないからだ。
私はヘルメットの左側についているいくつかのボタンから早送り機能を持つボタンを押す。
私の前を映像が目まぐるしい早さで流れていく。
私は適当なところで再び先ほどの早送りボタンを押した。
すると通常の速度で記憶の再現が始まる。
ここは病院の一室のようだ。
文子さんは、マタニティウェアのような服に身を包み、自身の両手で赤ちゃんを抱いている。
その顔は幸せそのものだった。
文子さんには息子さんか娘さんがいるようだ。
文子さんがそうしていると、誰かが病室に駆け込んできた。どうやらメガネをかけた男性のようだ。男性は部屋に入ってくると叫ぶように文子さんに話し掛けた。
「文子……!文子、生まれたのか!」
「はい、なんとか」
文子さんのおっとりとした性格は生まれついてのものらしく、旦那さんであろう男性にのんびりと返事をした。するとメガネの旦那さんはそのメガネの奥に涙をためるとわんわんと泣き始めた。
「……ありがとう!……文子、……ありがとう!」
「いいえ、あなたのおかげでもあるんですよ」
文子さんは目の前で子供のように泣き始めた旦那さんにそう言うと、自身の両手に抱いていた赤ちゃんを旦那に手渡した。
旦那さんは突然渡された赤ちゃんを、割れやすいガラス製品を扱うような手つきで自身の両手に抱いた。そして赤ちゃんと目を合わせる。
「生まれてくれて……ありがとう……」
旦那さんはそれだけ呟くと、またわんわんと泣き始めた。両手に抱いた赤ちゃんもそれに驚いたのかぐずり始める。
感動的なシーンを見た私は少しだけ目元を湿らせた。
目の前がにじんで画面が見えづらい。
私はヘルメット左側についている一時停止のボタンを押す。
すると、目の前の映像はまるで映画のワンシーンのようにその動きを止めた。
私はそれを確認すると一度自身の頭からヘルメットを脱いだ。
「……ふぅ」
密閉とは言わないが、それでも気密性の高いヘルメット内に湿気が発生したことでヘルメット内はくもってしまった。
一度何かでヘルメット内と私の顔を拭かなければ。
私は何か拭くものはないかと立ち上がりお店の中を探す。
先ほどこのお客様が来る前に掃除をしていて未使用の布巾があったことを思い出して、その布巾でまずはヘルメット内を、そして自身の顔を拭き取った。
そしてお茶の用意をして、飲み始めた。もちろん、文代さんに出したような漢方は入れていないものを。失った水分を体に補充するように、お茶を2杯ほど立て続けに飲んでしまった。
しかし、私はものすごい体験をしている。
それも現在進行形でだ。
まるで私もそこに存在した当事者のように文代さん記憶を見ることができたのだ。
私は今日起こったことをこの先の人生で一度も忘れないだろう。
そう確信を持って言える。
こうしてはいられない、文子さんが万が一起きてしまうと装置は記憶の再現を止めてしまう。私は急いでヘルメットを被りなおして、先ほどの映画のワンシーンような状態で停止している画面を見る。
よし、くもってもいない、よく見える。
それを確認すると再び吸盤を体に各所につけて、ヘルメット左側の一時停止解除ボタンを押した。
一時停止が解除されると、文代さんの旦那さんはわんわん泣き始める。
赤ちゃんもぐずり始めた。慌てた様子の文子さんが旦那さんに近寄っていく。
「あなた……うれしいのはわかりますけど、私たちの大切な子供を落とさないでよ」
文子さんは顔をぐしゃぐしゃにして泣く旦那さんにそう微笑みながら言うとその両手に抱いていた赤ちゃんを奪い取り、ぐずり始めた赤ちゃんをあやした。旦那さんは少し残念そうな顔をしながら口を開く。
「あぁ……、すまない文子。あまりにもうれしく、つい」
「この子に名前を付けてあげなきゃね。候補はなにがあったかしら」
文子さんの話を聞いた旦那さんは、慌てて服のポケットに手を突っ込んだ。そして、メモ用紙のような紙を何枚も出す、急いで出したのか手元に残ったのは1枚、2枚程度に見える。
大半が床に散らばったその紙を私は近寄って眺めた。
紙の裏表問わずに文字で埋まっている。
その紙には、この子の名前候補だろう名前が所せましと書かれていた。
旦那さんが一人で慌てているので、文代さんはそれに苦笑しながら声を掛けた。
「あなた、そんな慌てなくてもゆっくり考えましょう。この子は逃げないわよ」
文代さんの一言で落ち着きを取り戻したらしい旦那さんは、一度床に落としたメモ用紙を拾い集めようと腰を落とした。1枚、1枚丁寧に、我が子を愛でるかのように拾い集める。
すると1枚のメモ用紙を持って突然立ち上がる。
「これだ!その子は名前はこれにしよう」
文代さんに向かってメモ用紙に書かれた名前を見せているようだ。
私も文代さんのいる方へ移動して、メモに書かれた名前を見る。
「あら、いいわね。この子にも聞いてみましょうか」
そのメモ用紙には大きく「遥」と書かれていた。「はるか」と読むのだろうか、ふり仮名がないので合っているか定かではない。それにこの子が男の子なのか女の子なのかも私にはわからない。
高校のクラスメイトにも「ひなた」という名前を持つ友人がいたことを私は思い出していた。その子は確か男の子だったはずだ。最近は中性的な名前も増えてきているので、名前だけで性別は判断ができないのだ。
「あなたの名前は遥(はるか)よ、わかるかしら」
「あはは、わかるといいが。僕がお父さんだよ遥。わかるかなー」
「わかるわけないでしょ。まだ言葉も話せないのよ」
「一番最初に『お父さん』って呼んでほしいから今日から言い続けないとな」
仲の良さそうな夫婦と、その家庭に生まれた赤ちゃん。
その光景は私もそうして両親の元に生まれたのだろうかと考えさせられた。
しかし、現在の「ガシャポン」では自分自身の過去を自分が追体験することはできない。
私はもしも改良することがあれば、そういった機能も追加しようと心のメモに書き留めた。
私がそんなことを考えている間にも場面は文子さんの記憶した順番に再生していく。
文子さんと旦那さんはお見合い結婚だったらしい。
というのも、目の前の映像は私にそう思わせたからだ。
長テーブルをはさんでやや緊張した面持ちで座る1組の男女が見えた。それは、若りし頃の文子さんとメガネをかけていることから先ほどの旦那さんだろうと考えた。緊張から言葉をかみながらも旦那さんが文子さんに話しかける。
「あ、あの、ほ、本日はお日柄もよく」
……結婚式のスピーチでも始めるのだろうか。
文子さんもそう思ったのだろう。
未来の旦那さんのそんな緊張している姿を見て少しだけ控えめに笑う。
「そんなに緊張しなくても、それに結婚式のスピーチでも始めるんですか」
「す、す、すいません。緊張しちゃって」
ここで若りし頃の文子さんはこらえきれなかったのか、声をあげて大笑いし始めた。
「あはははは!」
「そ、そんなに笑わなくても」
「あははは……はぁ。だってあなた緊張しすぎなんだもの」
若りし頃の旦那さんは文子さんにムッとした顔をすると、一度大きく深呼吸をして文子さんにこう言った。
「細川(ほそかわ)さん、いや文子さん。私と結婚を前提に付き合ってほしい」
旦那さんのプロポーズと言ってもいいような言葉に文子さんは一度大きく目を見開いた。そしてゆっくりと事実をかみしめると顔に笑みを浮かべる。
「はい、よろこんで」
文子さんの言葉を聞いた旦那さんは、テーブルを一足飛びに飛び越えると文子さんに抱き着いた。文子さんも最初は戸惑っているようだったが、旦那さんの背中に自身の手をまわして抱きしめ合う。
見ているこっちが恥ずかしいほど長い間抱きしめあった二人は、その後部屋を出て行った。
ここまで文子さんの記憶をさかのぼって再生してきたが、私は文子さんが忘れたと言っていたような記憶に心当たりがなかった。
私は更に文子さんの記憶をたどることにしてヘルメットの早送り機能ボタンを押す。
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