3.闘争のキング
翌日から私は今まで以上に女優としての矜持を持って仕事に取り組んだ。
その姿は長年私を見てきた白田さんも目を見張るほどであった。
朱音との密会で私の向上心に火が付いたことを察して何を吹き込まれたのか少し心配している様子ではあったが、私の覇気のある仕事っぷりに心底喜んでくれた。
翌週、携帯に朱音からのメッセージが入っていることにCM撮影の仕事の休憩中に気がついた。
『お疲れ様。お肌の調子はいかが?良ければ今夜もいらして頂戴。』
私は仕事終わりにセダンに揺られ真っ先に女王のもとへ向かった。
相変わらず目が焼けるような店内を突き進み女王の待つ部屋へとたどり着いた。
「お疲れ様。お姫様。今日のお仕事はいかがだった?」
「こんばんは、朱音さん。完璧です。あの日以来身の入りが変わりました。」
彼女はニッコリと微笑むと満足そうに紫煙を勢いよく吐き出した。
「それは何よりだわ。あなたの成功は私の成功。誇らしく思うわ。どうぞ、お掛けになって。」
この部屋に前回との差異に気が付いた。二人を隔てる大理石のテーブルの上には小ぶりなチェスの駒が並べられていた。
前回同様真っ赤なドレスを身にまとった彼女は身を乗り出して私にこう切り出した。
「葵ちゃん、ただお喋りするのも難だし、私とゲームでもしない?チェスはお好きかしら?」
テーブル上にあしらわれたチェック模様はただの装飾ではなかった。このテーブルはチェス盤の役割を兼ねていたことを察した。
私はママがチェスが好きだったことをパパから聞いていたこともあって嗜む程度に友人と対局を楽しむくらいの知識はあった。
「はい、母が好きだったか数少ない趣味ということもあって私も嗜んでおります。」
彼女はそっとほくそ笑むと大理石のテーブルを人差し指で噛み締めるように人差し指でなぞった。
「それはよかった。青璃ちゃんともよくこうやって対局を楽しんだものよ。今夜も楽しい夜になりそうね。なんていうか女優の気質っていうのかしら、私戦いって大好きなの。」
しかし、満足そうな笑みを浮かべた彼女の見えざる瞳に突然、嗜虐的な光が差した。
「ただ打つのも物足りないし……何か賭けて戦うっていうのはどうかしら。もしあなたが私に勝ったらあなたのママの大きな秘密を教えてあげる。
ママの秘密……?彼女はママについての何かを知っている?もったいぶるほどの大きな秘密を。
「でももし私が勝ったらあなたの人に教えたことないの無い秘密を一つ教えて頂戴。どう?面白いと思わない?」
私の秘密。十九年も生きていれば人に話せないような失敗や悩みは沢山あった。
「じゃあ早速始めましょう。私の最初の手はこれ。さぁ漆黒の兵を動かして頂戴。」
しかし、女王は強かった。彼女のチェスの腕には確かなものがあった。
私の打つ手は二手先、三手先を読まれており最初の対局は彼女の流れるような虐殺で幕を降ろした。こんなに悔しい思いをしたのは彼女と初めて会った日の試写会以来だった。
「大人げなくてごめんなさいね、お姫様。あなたが母上のこと知りたいのと同じくらい私もあなたのことを知りたいの。」
彼女の履く濃い煙からは薄く炭の香りが漂い始めていた。
「じゃあ教えてもらおうかしら。輝く姫路葵の黒い〝秘密〟を。安心してこれは二人だけの秘密にするわ。約束する。」
私は対局の終盤から自身の敗北を察し、彼女に話す〝秘密〟の内容について考えていた。
私は彼女に数年前ドラマの撮影の最中に嫉妬心から将来有望なライバルに対して、彼女の衣装を隠して撮影を中断させたという黒い過去について話した。
幻滅されると憂慮して縮こまっていた私を横目に女王は高らかと笑った。
「なるほどあなたにはそんな過去があったのね。心配しないで。私の中のあなたの株はむしろ急上昇よ。それも女優界で生き残るための戦略。女はいいかなる時も油断は命取りになるってことなのよ。」
女王は立ち上がると、羞恥心と謎の安心感でうなだれる私の私の手をそっと取った。
「今夜も楽しい夜をありがとうね。また来週この時間にお会いしましょう。」
それから毎週私は女王との対局のためにラムルルージュに通い続けた。
「ねぇ、葵ちゃん。女の美しさってどこから湧き出てくるものだと思う?」
女王の突然の質問にドキリとした。
「女の美しさ……あまり深く考えたことはありませんでした。」
ここで笑顔なんていう綺麗事を言うつもりなど無かった。
それよりも真っ先にが私を付き動かす一番の答えがあるのを考えずとも知っていた。
「憧れからくる向上心だと思います。」
女王は組んでいた艶めかしい足を逆に組み替えた。
「あら、いい線を突いてるわね。流石流行りの女優のナンバーツーってところね。」
ナンバーツーという女王の皮肉が劣勢の盤面と相まっての私の心を強く逆撫でした。そんな私を一瞥すると彼女はすらりと伸びた指先でナイトをつまみ上げると私のポーンを殺した。
「ウフフ、意地悪なことを言ってごめんなさい。でもそれはあなたが一番わかっていることなんじゃない?」
図星だった。女王にはすべてお見通しだった。私の中で渦巻くドス黒い嫉妬心を蜜のように舐めとることこそが彼女の愉悦なのだ。
「さっきの答えを教えてあげる。間違ってはいないわ。でもその向上心はどこから来るのかしら?」
私は歪な形のクイーンで無粋にも攻め込んできた女王のナイトを殺した。女王の嘲笑と己の弱さに嫌気がさしつつも私はこう答えていた。
「憧れは他者を認めること。これが全てだと思います。」
女王はまた一つポーンを一つ進めるとこう口を開いた。
「残念、正解は憎しみよ。女の美しさは激しい憎悪から生まれてくるの。
女は一人では美しくなれない。
自分より美しいもの、自分の持っていると信じていた美しさを根本から否定するほど眩く輝くものを壊そうと努力した時、自分の美しさが本物になるものよ。」
女王の口から出たアドバイスに戦慄した。
しかし、彼女の言葉を反芻すればする程、それが真理に思えてきてしまう自分の存在に畏怖の念を抱かずにはいられなかった。
私は憧れという皮を被った憎悪の怪物であるとどうしても認める事が出来なかった。
巧みな女王の盤外戦も功を奏し、またもや私の惨敗で対局は幕を閉じた。
「あなたには素質がある。チェスも女優もね。また来週合いましょ。」
私は暇さえあれば女王の言葉の言葉を何度も反芻している自分がいることを、どこかで恐れる自分の姿を認めていた。
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