エクセシオールカフェで呪縛

雨鬼 黄落

第1話 変な男がやってきた

 カフェとはある意味、浮世離れした空間でもある。このカフェはやや特別で、駅前から少し離れた場所で、狭い区画にぎゅうぎゅうに立ち並ぶビル群にあった。さらに、そこはビルの3階にあるカフェでどこから上へ上がるのか入り口が一見わからない場所でもあった。客なんて考えないと入れないビルなんてわざわざ探してまで入ったりはしない。友人に話す話題やネタにでもならない限りは。しかし、そんな入りづらいカフェこそ、ゆったりと過ごせるというもの。そういう意味でここは座席数は多いが客は疎らで快適である。


 時間はすでに19時。ディナータイムでさらに店内な大シケといったところか。どこからともなく、聞いたことのあるような、ないようなクラシックな音楽が流れている。BGMはうるさくもなく、静かすぎず、余計なノイズを目立たなくして空間を作っていた。

 そんな中でカップルが控えめなトーンで話しながら、ケーキを楽しんでいたり、中にはサラリーマンがExcelを立ち上げて睨めっこ。かと思えば、頭髪に雪がちらつく老夫婦がコーヒーカップを頬にあてて香りとあったかさを楽しんでいた。


 忠司はなるべく“普通の客”を装いながらカウンターでコーヒーを注文した。何か良からぬ事を画策しようとしている人こそ、考えすぎていつもと違うことをしてしまうもの。

 忠司もいつも代金をケチってSサイズなのに、今日はLサイズを注文していた。Lサイズのコーヒーカップをのせたトレイを持ってスーツ姿の忠司が壁際の小さなテーブルに陣取った。そして、エクセシオールカフェのソファーチェアーにどっかりと腰掛ける。


 チークの木目調の壁に囲まれた空間に小さなテーブル、そしてコーヒーカップからの白い湯気をフゥーッと吐いた息が和す。


 忠司は向かいの椅子にこの場に不釣り合いなほど大きなリュックを置いた。最近は通勤に便利だからリュックを背負うサラリーマンは確かに珍しくはないが、忠司が背負っていたのはバリバリのハイカーが持つような馬鹿でかい登山用のリュックだった。黒いスーツ姿の忠司とはアンバランスで、無駄に人目を引いていた。


 窓から見える目抜き通りには人が行き交い、信号待ちする車のテールランプが夜の街に赤いイルミネーションのように光って目を楽しませた。ただ、気が焦る忠司には全てがスローモーションのように思え、イライラさせるものでしかなかった。


——————早く時間が進まないか!


落ち着いた空間で1人腰が落ち着かず、ソワソワとする忠司はスーツの内ポケットから携帯を乱暴に取り出す。人肌を感知する携帯はフッと忠司と彼女の壁紙を表示させる。まるで忠司を嘲笑うかのように。


……クゥッ!


 誰にも見せたくない、自分にだけ見せてほしい。そんなことがあり得ない事はわかっていたが、窓もない空間に閉じ込めて自分だけのために微笑んで欲しかった。

 忠司が壁紙にしていた写真の中の彼女は、何もかも包み込んでくれるような優しい笑顔だった。


 忠司はその時、彼女と横浜のベイブリックの見えるところで夜景を見ていた。七色に光るブリッジは確かに綺麗だったが、忠司にとってそんな景色なんてどうでもよかった。それよりもベイブリッジのイルミネーションが彼女の瞳に映り込んでみせる笑顔が息を呑むほど綺麗だった。

 その時、忠司はふとタバコを吸いたくなって、ズボンのポケットからシャグの入ったクシャクシャのシャグポーチを取り出して、巻きタバコ用のペーパーの上にシャグをひとつまみ乗せてくるりと巻いてみせた。そして火をつけるとマニトゥの香りに誘われ、思わず笑みが漏れた。


 彼女はそんな自分を眺めながら、珍しく「私も巻いてみたい」と言い出した。不器用な手付きながらも形作る。そしてクルクルとまいた最後に舌先でペーパーのノリを湿らせてタバコが出来るのだが、その時彼女は舌先で湿らす姿を自分に見せるのを恥ずかしがり、少し背を向けてペロっと……。

 そして奇妙でボコボコの不格好なタバコに苦笑いしながら、「できたぁ!」と喜んだ。この写真はその時のものだった。

 忠司の大切な思い出だったが、今は全てが苦々しく、見ることさえ辛かった。


 忠司は逃げるように携帯のロックをササっと解除すると画面を喰い入るようにみる。携帯を持つ左手は微妙に震えて、その目は何か恐れているふうだった。そして極寒の冬にもかかわらず、額からは妙に冷たい汗が吹き出していた。

 

 携帯の画面は数値が忙しく切り替わり、まるでカウントダウンしているかのようだった。そしてそれは残り60分を指していた……

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