ラブちゃんは超人気アイドルだった ⑤

 犯人の声に続き、多くの男子生徒が俺たちの退路を断つように廊下の向こう側へ立ち塞がった。

 袋の鼠、ここに極まれり。俺と三島先輩は、行き止まりと人混みに完全に包囲されてしまったのだ。



 こんな数の生徒が授業をボイコットしたら、流石に先生たちも不審に思うだろう。きっと、すぐに見回りが来るに違いない。



「お前みたいなカスにラブちゃんは渡さねーよ! あの子はアイドルなんだ! 分かるか!? 一般市民が触れていいような女の子じゃねーんだよ! このグループ時代にソロでトップに降り立ったスーパーアイドルなんだよ! 本物の天使なんだよ! わかってんのか!? あぁ!?」

「今度は、他人の褌で相撲を取る、か。一体、幾つ愚か者の慣用句を教えてくれれば気が済むんだ。この外郎は」



 三島先輩は、深いため息を吐いて額に指を当て頭を振った。俺のせいで騒動に巻き込まれて迷惑なハズなのに、どうしてこんなに余裕なんだろう。



 相変わらず、強過ぎて憧れる事すら叶わない人だ。



「陰キャは大人しく陰キャやってろよ! キメーんだよ! わざわざ俺の人生に割り込んで来やがってよぉ! 誰もお前の登場なんて望んじゃいねーんだよ! とっととクタバレよ! この詐欺師のスケコマシがぁ!?」



 面を上げた姿を見て、俺は何かを思い出した。確か、俺がラブに監禁された日。廊下でスレ違った男子生徒がいたハズだ。



 ……そうか、あの時だったのか。



「終わってるよ、お前」



 頭が痛くなってきた。なにか哲学的な引用でもしようかと思ったが、こんなアホにくれてやれる哲も学もあるワケがない。



 そんな事を考えるのなら、ここから生きて帰る方法を模索すべきだ。



「さぁ! やれ! みんな! 俺のお陰でいい思い出来ただろ!? かわいいラブちゃんをたくさん見られただろ!? だから行け! これからもみんなでラブちゃんを守ろうよ! 今度はお前らが石を投げる番だろ!?」

「やりたいなら、一人でやれよ」



 大声を上げた犯人を切り裂くような、冷たい声が廊下に響いた。人混みの中から出てきたのは、一人の男子生徒。



 その姿は、正しく下野竜也その人のモノであった。



「は、はぁ? 何言ってんの? お前」

「俺たちは降りる。恋愛研究部を覗いていた事も、上月に虐めまがいな事をしたのもすべて学校に白状する」

「いやいや、落ち着けよ」



 落ち着けと言ったのは、俺だった。俺は、黙ってれば証拠のない罪を、それも退学級の特大爆弾を自爆させようとする彼らの心があまりにも理解出来なかったからだ。



 他人の不幸は蜜の味というが、俺は他人の不幸ほど聞いて嫌な事もないと思っている。事が穏便に済むのなら、彼らにケジメなんて必要ないのに。



 どうして?



「いいんだ、上月。俺たちが間違ってた」

「で、でもよぉ……」

「退学になったら、実家の田んぼでも継ぐさ。元々、俺たちは大学に行く気もない凡骨だよ。クソ田舎でなんの夢もないこの街で、ただラブちゃんに憧れてただけの一般人。別に、学歴なんて無くてもよかったんだ。ただ、ちょっと青春してみたかっただけなんだよ」



 ……下野のその言葉は、あまりにも俺の心の底に重く響いた。弓子姉さんに惚れて以来、二度目の強烈な衝撃だ。



「ちょ、ちょっと待てよ! お前ら、正気か!? こいつは、ラブちゃんを――」

「そういうの、いいから」

「へ、へぁ!?」

「ようやく気がついた。今のラブちゃんは、本当に楽しそうなんだよ。現役のどの瞬間より恋愛研究部のラブちゃんは。いや、四葉さんはかわいく笑ってる。俺たちは、それだけでいい」



 ……上月虎生は、本当にコイケンに所属していてもいいのだろうか。さっきまで置かれていた状況よりも、彼らの本気の思いこそが本気で俺を悩ませる。



 俺は、人の心をあまりにも知らな過ぎたのだ。



「まぁ、最初から上月しか見えてないお前には分からないだろうな」

「な、な、な――」

「さぁ、上月。お前の番だ。ちゃんとカッコいいところ見せて、俺たちを納得させてくれよ」



 俺の思考を掻き消すように、下野の言葉が耳を貫く。だから、俺は何も言わずに頷いて、何も考えずに前に進んで、改めて名前も知らない犯人の正面に立った。



「嫌だ! 嫌に決まってんだろ! 俺、喧嘩なんてしたことないんだ!」

「その見た目でかよ」



 俺は、人の殴り方を覚えている。皮膚が千切れて肉が裂け、骨まで痺れる感覚を知っている。

 あれは、二度と味わいたくない痛みだ。ケジメをつけるためとはいえ、こいつが断ってくれるならそれで構わない。



 だが、物語には結末が必要だ。



 いつまでも続くほのぼのスローライフではあるまいし、ましてやなぁなぁの打ち切り終了なんてあり得ない。そんなの、ここにいる誰一人として納得してくれないだろう。



 ……よし、決めた。



「なら、思いっきりチンコを蹴っ飛ばそう。一発でチャラにする程のデカいヤツだ。みんな、それでいいか?」



 聞くと、さっきまでの友情を感じる熱い空気はどこへやら。下野たちは、みんなで揃って内股に力を入れ目を伏せた。

 吐き気を催す者まで現れ、「悪魔だ」「信じられない」と呟く声が聞こえる。さっきまで余裕だった三島先輩ですら、呆気に取られて眼鏡を直していた。



 お、俺だって同じ気持ちだけど。仕方ないだろ、お咎め無しにしたら収集付かないんだから。



「う、嘘だろ!? それだけはやめてくれ! た、頼むよ!」

「悪いが、他に思いつかない」

「待って! お願い! お願いだからやめて! ラブちゃん助けて!」

「よし、行くぞ! 歯ぁ食いしばれよ!」

「や、やめてくれぇぇ!!」



 ――ああぁァあぁァぁあアぁぁァァーーーーッッ!!

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