甘いだけで優しくはない
020
それは、しつこくオススメされた少女漫画を読みながら、恋バナが始まるまでの間の暇潰しをしている時のことだった。
「トラちゃん」
「うん?」
他の部員は忙しいらしく、今のところ部室にいるは俺とラブだけ。
本当は参加状況を知った時点で帰ろうかとも思ったのだが、いつも通りに活動する気満々の彼女を見ていたらそういうワケにもいかなくなったのだ。
「面白い?」
「まぁな」
普通に嘘だ。しかし、つまらないというワケでもなくて答えに困っていた。否定して微妙な空気になるくらいなら、適当に肯定しておいた方がいいだろう。
批評も冷笑も大好物だけど、ラブを困らせるのはあまり好きではないし。
「……あのね、議事録のコメント見ちゃった」
別に、ヒヤリともしていない。ただ、見てしまったんだなぁと思った程度。
「あの掃き溜めを見たのか、やめとけと言ったのに」
「ごめん、どうしても気になっちゃって」
どうせブログにアップするならと、日記はラブ、議事録は俺で役割分担したのだが、敢えて「見るな」と助言したことが裏目に出てしまったらしい。
一瞬だけ、漫画本から目を上げてラブへ向ける。彼女の心配と怒りの混ざり合う複雑な表情は、いつもの笑顔より割合い好みだった。
「羨ましいんだろ、俺が」
「コイケンのメンバー、みんなかわいいもんね」
「そういう事。というか、お前って自分の事かわいいとか言うタイプだったんだな」
「他の人には言わないよ。でも、トラちゃんには何回も褒めてもらってるし。別にいいかなって」
「まぁ、下手に謙遜しない方が気持ちよくはある」
誤魔化そうとして言葉の端っこを掴んだつもりだったが、やはりラブには通用しない。揚げ足どころか、焼き足も炊き足も取れない相手が世界にはいるモノだ。
少なくとも、この部活だけで三人もな。
「あたし、許せないよ。あんなこと言われたら誰だって傷付くに決まってるじゃん。それも、みんなで寄って集ってだなんて信じられない」
「そうか、ラブは優しいな」
「……っ! と、トラちゃんは! どうしてそんなに大人なの!?」
その質問、さっきも聞いたな。働いたこともない人間を大人扱いするだなんて、少し買い被り過ぎではないだろうか。
手を取られ、持っていた漫画本が床に落ちる。グイと近づいた彼女の顔は、綺麗さも相まって迫力が半端ではない。
翠色の大きな瞳が、俺の動揺した情けない顔を写し出していた。
「優しいって、そういう事じゃないでしょ!?」
「お、俺は自分が優しいと思ったことなんてない。ただ、他人に甘いだけだ」
言いながら、ただ視界いっぱいに広がるラブの顔を見る。すると、興奮した吐息を漏らしてキッとなった唇が、やがてほんのりと赤い肌の上で優しい形へ変化していく。
少しでも動けば触れてしまう距離の中、数秒間の沈黙が俺とラブを包んでいた。
「ご、ごめんね。あの、あんまり怒り慣れてなくて。ちょっと暴走しちゃった、かも……」
「いや、いいんだ。俺も、不真面目な反応で悪かった」
距離を離して互いに目を反らしても、掴んだ手にまで意識が回っていないのか。ラブは、恥ずかしさを噛み締めるように更に手をギュッ握った。
そこで初めて、自分の手の中にあるモノに気が付いたらしい。ハッと声を漏らし、静かに離してモジモジと指を捏ね始める。
俺の右手は、たった今ようやく事実を認識したかのようにジンワリと汗をかいた。
「……怒らないと、冷たくて寂しいよ」
「それでも、冷静になった時にもっと自分を嫌いになるよりはマシだ」
目を逸らしたまま言うと、ふわりと彼女の髪の香りが鼻をくすぐった。
こっちへ振り向いたのだろうが、未だに熱いこの顔を彼女に見せたくなくて、俺はそのまま窓の外を眺める事しか出来ない。
「だから、誰かの為には本気で怒れるんだね」
「それ、皮肉か?」
「……え? 皮肉? なんで? どこが?」
いつものポンコツ具合に安心して、俺はようやく漫画本を拾ってラブの顔を見る。
彼女は噓をついていない。本気で分かっていない、幼気ですっとぼけながら揺れる表情がそこにはあった。
「何でもないよ」
誰かの為に怒るのは、そいつに責任を被せられるから。それが意味ではないのなら、ラブは何を思ってそんなことを言ったのだろう。
しかし、推理をしようにも、俺はあまりにも四葉ラブリの事を知らな過ぎたのだった。
「悪かった、ごめん」
「自分の事を大切にしないと、女の子を心配させるんだからね」
――自分の事、大切にしてあげるんだよ。
「はい、肝に銘じておきます」
自分の事を大切にしているから他人を怒らないのに、そんなのってあんまりだよ。弓子姉さん。
「んふふ、偉い偉い」
そして、俺は定位置に戻って大きく息を吐いた。いつの間にか俺が怒られていたが、ラブが落ち着いてくれたのならオーライだろう。
……ところで、他の部員は今日は来ないみたいだ。
サッカー部のホイッスルと、吹奏楽部の拙い演奏と、バスケ部のシューズを鳴らす音が、改めて静かな放課後を俺に知らしめる。
大人になって遠い日を懐かしむのなら、きっとこんな何気ない場面を思い出すのだろうと思った。
「それじゃ、恋バナしよ」
「あ、あぁ。やっぱり、二人でもやるのな」
「うん。二人だと、トラちゃんの好きな議論の賢さは見せてあげられないかもだけど」
「お前、よくそんなこと覚えてるな」
「んふふ、賢くてごめんね?」
相変わらず、自分の価値観を信じて疑わない奴だ。四葉ラブリが決定的に人から好かれる理由は、少なくともはそこじゃないだろうに。
……いや、
俺じゃ、一生かかっても真似出来ないだろうな。
「議題はどうする? いつも通りか?」
「ううん、今日はブレスト気味でいこう。互いに好きなところを言い合うんだよ」
「お前、俺が賢いところをあげた事に文句言ってたじゃんか」
「ち、違う違う! 私の好きなところじゃなくて異性の『好きだな』ってところを言い合うの!」
なるほど。てっきり、ここで半強制的な告白ゲームを開催して俺を心の底から辱めるつもりなんじゃないかと思った。
「もう、あたしに告白させようっていったってそうはいかないんだからね。プンプンだよ」
同じこと考えてたらしい。俺たち、もしかすると仲良しなのかもしれないって勘違いしそうになる。
「それじゃ、スケベなところ」
「ああぁーっ!! だからあたしはスケベじゃないってば!」
「お前の話なんてしてないだろ」
「ムキーっ!」
そして、放課後は耽けていった。違うならそんなにムキになって否定する事ないのに、ラブは本当にスケベな女なんだなぁと思った。
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