序章

 019



「前期の中間テスト、あんなに頑張ったのに平均点だったよ」

「そっか、残念だね」

「頑張ったら伸びる奴は羨ましいよ。それとも、俺の頑張りがちっとも足りてないのかね」

「まぁ、もっと勉強してる人はいると思うよ」 



 梅雨になった。



 空は、一体何がそんなに悲しかったのか、一週間も飽きもせずに泣き続けている。100%のままずっと止まっている湿度計君も、そろそろ過労死寸前に違いない。



 そんな雨を聞きながら、俺と夕は図書室で昼休みを満喫していた。



 いずれ、夕のラブコメの感想を述べるのであれば幾つか作品を知っておく必要があるから、書くと聞いた時からこうして知識を蓄えている。



 まぁ、本当は大して読書が好きではないのは内緒だ。


 

「そうだ、この前のホラー小説読んだよ。気味が悪くてゾクゾクした。暗闇を想像させる描写は、まさに夕ならではといったところだと思う」

「最高の褒め言葉だよ、ありがとう」



 そんな話をしていると、突然どこかからクシャクシャに丸まった紙ゴミが俺の後頭部へ直撃した。

 一体、何ごとかと思って振り返る。何者も見当たらないが、部屋を出ていった様子もない。



 拾って、中を見てみる。すると、そこには俺へ当てられたであろうメッセージが記されていた。



「『コレ以上恋愛研究部ト関ワレバ殺ス』。だってさ」

「それは困ったね、四葉さんのファンかな」

「どうだろうな。連中の主戦場はブログのコメ欄とトイッターのリプ欄だし、直筆のメッセージを寄越すとは考えにくい」

「か、かなり嫌な目に合わされてるんだね」



 実態はさておき、傍目に見れば俺は美少女を侍らせて怪しげな部活動で青春を謳歌しているラッキーマンだ。嫉妬で頭にくる奴もいるだろう。



 まぁ、コイケンは部員を絞ったりなんてしてないし、一緒に遊びたければ入部すればいい。何なら、俺の役職を一つ貰って欲しいくらいだ。



「それで、どうするの? 先生に相談する?」

「いや、まずは本気かどうかを本人に聞いてみよう。まだそこにいるかも」



 そして、俺はそのメッセージの裏面に『本当に殺す気ですか?』と書いて紙ヒコーキを折り飛んできた方向へ投げ返す。

 すると、犯人の物と思わしき手が紙ヒコーキを拾い上げて再び本棚の影に隠れた。



 やはり、俺の反応を観察していたらしい。



「な、なんでわかったの?」

「俺がビビってるところを見たいだろうなぁって」



 そして、余所見をしていると一分もしないうちに再びクシャクシャのメッセージが後ろ頭へ届いた。文面は、『思わず言ってしまっただけです、ごめんなさい』となっている。



「素直にごめんなさい出来るいい奴だったな、許そう」

「……トラって、本当に甘いね。今、向こうの本棚の裏を見れば犯人が分かるのに」

「なら、顔を割って殺害予告したバカのレッテル貼りでも楽しむか?」

「ボクは、トラが嫌な目に合わされるくらいなら相手を懲らしめた方がいいと思う。当然の報いだよ」



 夕は、その目に怒りを宿していた。まぁ、逆の立場だったら俺もそんなふうに怒ったと思う。



「なら、どうして俺が嫌いなのかも聞いてみよう。もしかすると、解決するかもしれない」

「解決しなさそうな時は?」

「夕に任せる」



 そして、俺は裏面に『俺の何がそんなに嫌いなんですか?』と書いて再び紙ヒコーキを飛ばす。

 前を向いて、今度は五分くらい経っただろうか。そのメッセージはヒコーキの形をしていて、俺の足元へスッと着陸した。



 文面は、『ごめんなさい』とだけ。



 やがて、足音が響いて遠ざかっていく。他の生徒の中に紛れてしまって、もう正体も理由も暴く事は叶わないだろう。



「解決しなかったな、残念だ」

「どうして、そんなに大人でいられるの!? 犯人はトラの質問に答えてないんだよ!?」



 気が付くと、夕は震えていた。その怒りは、俺や犯人ではなく夕自身に向けられているように見える。



「自分の事が嫌いだから。別に、自分の嫌いなモノを貶されたって腹は立たない」

「……酷いよ、トラ」



 振り上げてやり場のないその右手を、静かに解いてデスクの上に置く夕。シリアスな反応は彼らしくもないが、そこまで腹の立つ理由がどうしても分からない。



 妙な気分だ。俺としては、夕を分かってやれない事の方がよほど悔しいのだが。



「行こうぜ」



 そして、俺たちは教室へ戻りいつもの授業をいつも通りに受けていた。帰る頃には夕もいつもの笑顔に戻っていたし、俺も既に何があったのか忘れていたと思う。



 ……ところで、なぜ俺がこんなにも他愛のない日常の一幕をわざわざ語らざるを得なかったのかと言えば、これこそが正に春の終わりを告げる大嵐の予兆だったからだ。



 結論から述べよう。あれだけの時間を学びへ費やしたにも関わらず、俺は人の心を何も分かっちゃいなかった。

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