初恋

 015



 『初恋は、男の一生を左右する』という言葉は、フランスの小説家アンドレ・モーロワのモノである。



 この言葉は、恐らく男の初恋が理想の恋なのではなく、男の初恋が理想の恋にという意味なのだろう。



 だから、褐色肌の子に初恋をすれば褐色娘が好みになるし、黒髪ロングの子に初恋をすれば清楚娘が好みになるのだ。当たり前の話だな。



 しかし、この理論には大いなる矛盾がある。



 矛盾とは、即ちフィクションと違い実際の初恋が実る事などほとんど無いことだ。



 初めて恋をして、器用に愛して、失敗もせずにその女を手に入れる。そんなことを、小中学生、遅くとも高校生の男子がこなせるのか。



 いや、無理に違いない。



 では、なぜ男は初恋が理想になるのか。それは、男特有の思い出美化のせいだ。



 オリジナリティ溢れるアプローチに黒歴史を抱き、何をやっても振り向いてもらえず遂には玉砕。

 あれだけ頑張ったのに何の成果も得られず、しかもそれが人生でたった一度しか経験出来ない初恋であったとなれば普通は人生をやり直したくなるに違いない。



 だから、男は初恋を美化する。



 自分が本気で愛したことだけは、決して無駄ではなかったと。本当は彼女も自分のことが好きで、しかし別の要因で結ばれなかったのだと。



 そうやって、男は無意識に思い出を美しい色に塗り直して過去とケジメをつける。

 ただし、この無意識には凄まじい程のエネルギーを用いるため、よかったイメージはより強烈に海馬へ刻み込まれてしまうのだ。



 故に、男は初恋を忘れられない。初恋が、生涯女の好みを左右してしまうような事件となってしまうのだ。



 ……というふうに、俺は理解しているのだが。



 ならば、この今日まで続いていた初恋は、一体どれだけ後ろ向きの青春を追いかける大事件となり得るのだろう。



 それが分からないのが、俺は心から恐ろしかった。



「じゃあね、虎生君。自分の事、大切にしてあげるんだよ」

「約束する。元気でいてね、弓子ゆみこ姉さん」



 離れていく電車を見送り、一人で帰路へついた。不思議と涙は出なかったが、きっと夜になったら俺は泣くのだろう。



 それが分かってしまう事が、とても切ない。



 近所に住んでいた弓子姉さんは、紛れもなく俺が学ぶことに真剣なった理由である初恋の人だ。 



 何故なら、俺はあの人に追い付きたくて、早く大人になりたくて、肩を並べたくて、涙の理由を分かりたくて、同じ感動を得たくて、ただ憧れて。



 だから、俺は人と心を学んだのだから。



 しかし、彼女はこのゴールデンウィークに結婚式をあげた。相手は、大学で出会ったカレシらしい。これから、都会に引っ越してそっちで暮らすという。



 結局、ただの一度も好きだとは言えなかった。



 けれど、そんなことを言われたら、優しい弓子姉さんはきっと困ってしまうだろうから。俺の人生の中では、非常に珍しい正解択だったと言えるだろう。



 どうか、お幸せに。



 願わくば、俺の中にある唯一の、この純粋な思いだけは妬みや嫉みで黒く塗り潰されないでいて欲しいモノだ

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