十束切羽の恋バナ ①(ヒロイン視点)

 ○ ○ ○



 その日、私は風紀委員の職務を全うしていた。具体的に言えば、薄暗い校舎裏で繰り広げられていた暴力の現場を治めたのだ。



「ありがとうございます、十束先輩」

「いいんだ。それより、痛くないか? 大事あれば保健室まで送るぞ?」

「いいえ、かすり傷ですから。それに、年上とはいえ女の人にそこまでしてもらうワケには」

「……そうか、何かあったら生徒会室へ来い。力になろう」



 第八学園は、地方の公立マンモス校らしい悩みといえばよいか。著しく、上と下の生徒間の学力差が生まれている。

 ともすれば、倫理感や危機感にも隔たりが生まれるワケで、同時にこういった悪も生まれてしまうワケで。



 だからこそ、風紀委員の役割は重要だ。私たちがこうして見回ることで、校内の秩序は体裁を保っていられるのだ。



 ……ところで、自分で言うのも何だが私の正義は万人受けするモノだと思う。



 私は自分が特別である事を知っているし、選ばれた血筋である事も理解している。周囲が努力しなければ辿り着けない領域に、半ば反則技を使って立ち入っている事も重々了承している。



 必要以上にルールを押し付けない理由もそれだ。当然、風紀委員も一枚岩ではないが、少なくとも私はそう思っているということだ。



 そもそも、私は必要以上に風紀を正そうとは思っていない。規律なんかよりも、多少乱れた風紀に身を投じる彼らの笑顔の方がよほど価値があると考えるからだ。



 恋なんて、その最たる例だろう。



 コイケンに入部してからというモノの、より一層乱れた風紀が微笑ましく思えるようになった。

 興味すら湧いてきている私自身、乱れてみたいとすら思い始めているのだ。それを咎めるなんてあり得ない。



 だから、見逃さないのは行き過ぎた蛮行と、裁かざるを得ない悪行だけだ。



 『人が人を裁くのではない』というのであれば、天に与えられた才能によって私が裁きを実行することに矛盾はないだろう。



 体の反応するままに、私の意識のないままに、強さによって悪を裁くのが私の役目だ。そうでなくては、私は思いのままに生きてしまう。出来ないことはないと感じてしまう。



 ……そう。虎生に守られてしまった、あの日以前までのように。



「今日の議題は、『キスしてもいいのは何回目のデートか』」



 放課後。



 私は、いつものように虎生が口にした議題を心を込めて綺麗にホワイトボードへ清書した。

 しかし、なるほど。何度目のデートでキスをするか、とは。考えそうで、意外と考えたことのない話だな。



 虎生の奴。なぜ、こうも恋愛関連の議題を考えることが出来るんだろう。頭の中の引き出しが気になって仕方ない。



 ……さて。



 私の場合、『何度目でするか』ではなく『何度目で許してしまうか』になるような気がする。

 周りから見れば、私が男らしく相手の唇を奪うようなイメージを持たれるかもしれないが、しかしそれは違う。



 私が悪へ勇猛果敢に斬り込む事が出来るのは、その為の修練を積み重ねているからだ。

 逆に言えば、私は積み重ねていないモノへの耐性が極端に低い。つまり、異性とのファーストキスを自分から求める事などあり得ないということだ。



 ふふん、かわいいだろう?



 というワケで、改めて何度目で許すかという話だが。どうだろう。5回目?いや、7、8なような気もする。

 結婚まで、というのは何とも耐え難いが。それでいて、臆病になってしまう姿が目に見えて答えに困る。これは、非常に難しいぞ。



「……よ、よし」



 決めた。



 ならば、1回目だ!どうせ、いつまで経っても私に踏ん切りなどつかないのだから、練習の意味も込めて1回目!その代わり、絶対に好きな人とじゃなきゃやらない!



「それでは! 回答オープーン! ババン!」



 ラブリは『♡3回目』、こはるは『☆3回目』、虎生は『1』、夕は『①3回目』。



 因みに、私は3回目。いや、朧気に浮かんできたんだ。この数字が。



「やっぱ3回目だよね!」

「何でなんでしょうかね。私も、キスは3回目って感じがします」

「もしかすると、女の子的には3回もデートして手を出してこなかったら自分に興味がないんじゃないかって思っちゃうのかもね」

「なるほど、ユウちゃんは目の付け所がシャープだね!」



 よ、よかった。私の感性がおかしいワケではないんだな。



「それなら、3回というのは絶妙だな。お互いの事を知ったあとでないと、何だか怖い気がするんだ。な、虎生」

「なんでそれを俺に聞くんだよ」



 口が滑って困ったとき、虎生に頼れば何とかしてくれるという安心感のせいだ。そもそも、そんなふうに思わせるほど優しくしたお前が悪い。



「上月先輩は1回目なんですね。流石、ゲスな変態さんだけあります」

「褒めるな褒めるな、何も出ないぞ」



 聞いて、女子一同は深くため息を吐いた。



 どうも、上月虎生という男は世間一般でいうところの悪口を褒め言葉として受け取る節がある。ポジティブというか、価値観の相違というか。



 とにかく、彼は罵詈雑言に対して無敵である、という表現が正しい。一体、どんな経験をすればあんな思考回路になるのだろうか。



 しかし、それが強さではなく弱さであると分かるのは、きっと私が女だからだな。



「けど、なんでトラちゃんは1回目にキスしたいの?」

「唇フェチだからだ。はっきりいって、俺はセクシービデオにおいて最もキスシーンが好きだ。それ以外いらない」



 ほ、ほぇ。



「き、キスしてみたいの?」

「したい、他の何を差し置いてでもしてみたい。恋人にしたいことランキング一位から三位まではキスだ。すべて、違うバージョンのな」

「はぁ!?」



 こ、こいつの好きなモノへの拘りは異常だ!自分の事が大嫌い故に、その反動で愛してしまうという理屈はよく分かるが!それでも、赤裸々に好みを語り過ぎなのだ!



 一番の問題は、それがちっともおかしい事だと気が付いてないところだ!全部がズルいんだよ!この男は!



「そ、そっか。え、えへへ。なんか、今日は暑いなぁ〜」



 見ろ!いつも余裕でニコニコなラブリが変な感じになってしまっているではないか!私やこはるは仕方なくとも、彼女が照れてしまってはもう収まらない!



「トラ、キモいよ」

「あぁ、悪い。つい熱くなってしまった」



 そ、そうだ。夕がいてくれたんだ。助かった。



「キスの話はトラちゃんが変になるので、議題を少し広げて手を繋ぐところから話し合います」

「そ、そうですね。あの、私もその方がいいと思います。き、キスはまだ早いです」



 そんなワケで、この日の私たちはデートに関する軽いスキンシップについて語り合う事となった。



 ……しかしながら、もしも未来で恋をして、こんな風にデートより先に相手の好みを知ってしまったとき、私は求められて断ることが出来るだろうか。



 虎生の顔を見る。思わず結ばれた唇に意識を奪われて、議論にも関わらず今日の私は喋るのを忘れてしまっていた。

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