弱いこと、守ること
014
「……というワケで、部室に顔を出しづらいんですよ。どうしたらいいですかね、先輩」
三日後、謹慎明けの日であり、ゴールデンウィークの前日。
俺は、放課後に文芸部の部室へやってきていた。とりあえず相談できる人と言われたら、俺はこの
因みに、俺の顔はボコボコだ。どうやら、俺が殴り続けている間に向こうの連中が俺を殴る蹴るしていたんだとか。
要するに、俺は怒りで我を失ったのではなく、殴られ過ぎて記憶が吹っ飛んでるだけなワケだ。
それでも、全員には勝てないからせめて一人は道連れに、か。無意識でその戦術を取るとは、俺の暗さもいよいよ極まっている。
「はっはっは。上月にも意外と熱いところがあるんだな。あんなシニカルなコラムを書く人間と同一人物だなんて、とても思えないエピソードだ」
言いながら、三島先輩は如何にも賢い人間が好んでかけているような四角い銀の眼鏡をクイっと上げ笑った。
切れ長の目といい大胆に上げた前髪といい、相変わらず本物の文豪にしか見えなくてびっくりだ。
「確かに驚いたけどさ、嫌われるような事ではないと思うよ」
「それはお前が男だからだよ、夕」
「……まぁ、そうかもしれないけど」
ため息を吐くと、後輩の
既に、次の同人誌を作るフェーズに入っているらしい。
「そうだ、上月。次の同人誌には、お前も何か掲載してみないか? せっかく正式な部員になったんだから、お前の名前で活動してもいいだろう」
「そうですね。拙い文章ですが、先輩の力になれるならやります。もちろん、物語ではなくコラムになりますけど」
「そうか、助かるよ。それじゃ、再来月までに二本くらい書いておいてくれ」
「分かりました、頑張ります」
……あれ。なんだか、別れの挨拶みたいな言い方だな。
「ほら、堂々と部室に行ってきたまえ。お前は間違ったことなんてしてないんだからな」
「せ、先輩」
「もしもダメだったら、オレに相談しに来い。必ず助けてやる」
「……分かりました。話を聞いてくれて、ありがとうざいます」
「気にするな、お前には借りがある」
借りだなんて、そんなモノはとっくの昔に返してもらっているというのに。むしろ、俺の方がよっぽど多く救われているというのに。
本当に、不思議な人だ。
「それでは、失礼します」
という事で、俺は文芸部室を後にした。どうやら、夕は後輩ちゃん二人と次の作品のアイデアを練るようだ。やり甲斐に満ちている人間は、やはりキラキラしていて眩しい。
今日のところは、文芸部に俺の居場所はない。先送りにしても仕方ないし、先輩に言われた通り部室へ行くとしよう。
「……お疲れさま」
「あ、トラちゃん! 久しぶり!」
中へ入ると、三人がガタッと立ち上がって一斉に俺を見た。見慣れたメンツとはいえ、注目されると何だか緊張してしまう。
「心配してたんですよ、もう来てくれないんじゃないかと思って」
「わ、悪かった。心配かけたよ」
三島先輩に堂々としておけと言われたからなるべくネガティブなことを言わないように気をつけていたのだが、ついつい謝ってしまった。
こういうところ、男として頼りにならなくて女的には嫌なんだろうな。
「切羽、顔は大丈夫か?」
「……大丈夫だ。別に、練習や試合の最中にも傷を負うことは幾らでもある」
見てみると、確かに元のままの綺麗な顔だった。大事にならなかった事が何よりだし、三人とも怯えないでいてくれて助かった。
「そうか、安心したよ」
ぶっちゃけ、俺が抑えなければ切羽は顔を張られずに済んだだろうが。その辺にツッコまない辺り、彼女の懐の深さには恐れ入る。
まったく、嫌になるくらいかっこいい女だ。
「うむ、気にするな。それより、虎生の顔の方がよっぽど大丈夫じゃないぞ」
「それこそ気にするなよ、すぐ治る」
結局、その日俺たちは恋バナ議論をすることなく帰路へつくことになった。思っていたよりも受け入れてくれていて、本当に良かったと思う。
しかし、俺にとっての問題はむしろその後の出来事にあったのだ。
「虎生」
緊張してしまった気持ちを落ち着けるために、彼女たちのいるバスには乗らずトボトボと田舎道を歩いて駅を向かっていると、後ろから切羽が追いかけてきた。
「どうした、バスに乗らなかったのか」
「少し、話があってな」
部室で出来ない話ということは、やはり例の件についてだろう。俺は、余計な口を挟まずに夕陽の沈む方向へ歩を進めた。
「……あの時」
「ん?」
「あの時、虎生は私のことを女だと言ったな」
「そうだったか、気分悪くしたか?」
「いや、不思議な感覚だったが嫌ではなかったよ」
気が付くと、切羽は俺の隣を歩いていた。何故か、その瞬間まで俺は彼女が俺より小さい事を知らなかった。
「もしかして、女扱いされたのが初めてだなんてありきたりな事を言うんじゃないだろうな」
「ど、どうしてわかった?」
「丸わかりだよ。お前みたいな奴は、初めて女扱いされて恋に落ちるのが鉄板なんだ」
「そうなのか? 私は、別に虎生に恋をしていないぞ」
「……そうかよ」
期待していたワケではないが、ちゃんと否定されるとそれなりに来るものがある。俺は、夕陽が顔の色を誤魔化してくれて本当に良かったと思った。
「というよりも、よく分からないんだ」
「ほう、その心は?」
「どうして、虎生が私のために本気になってくれたのか。どうして、私はこんなにも感謝しているのか。その理由を教えてくれるんじゃないかと思って、お前を追ってきた」
「お、教えてと言われても困るぞ」
腕を組んで考えている間、切羽はずっと俺を見上げていた。彼女たちのよくないところは、あまりにも純粋過ぎて俺の本能が敗北を認めてしまう正しさだ。
搦め手は、同じ土俵の相手にしか通用しないのである。
「切羽が、頑張り屋さんだからだ」
「……分かるように教えてくれ」
耳心地の良さ気な事を言って墓穴を掘った。仕方ない、行くところまで行こう。
「要するに、影は光の為に働くモノなんだよ。暗殺とか、暗躍とか、表舞台に立ってる奴が有利になるように陰で活躍する人物って歴史上にもたくさんいただろ」
「そうだな」
「だから、陰キャの俺が陽キャのお前のために体張ったってこと。何百人も弟子を持つお前がつまらん喧嘩で謹慎なんてくだらないだろ」
「それは、私が女であることとなにか関係あるのか?」
ほら! やっぱり搦め手が通用しない! だから俺は陽キャが嫌いなんだ!
「ぐう……っ! とにかく! 自分でも知らなかったけど、俺はそういう人間だったってことなんだよ! 目の前で女が殴られたら自分の実力も考えずにキレるバカ男ってこと! それがボコられて痛い目見たって話! もういいだろ!?」
戦術的敗北だ。
これ以上適当こいて辱めを受けるくらいなら、ちゃんと知らないってことを明かしておいた方がいい。もう二度と、切羽に自分の知らない事を語るのはやめよう。
知ったかぶりは良くない。また一つ、賢くなった。
「……ふふ。そうか、虎生にも分からないんだな」
「悪かったな、本当に謎なんだよ。けど、答えを出すつもりもない」
「そっか。ならば、私もこの胸いっぱいの感謝の理由を探らないことにするよ」
そして、切羽は俺を追い越して正面に立つと、輝くような満面の笑みを浮かべ。
「ありがとう、虎生。かっこよかったぞ」
鼻歌を歌いながら、俺の一歩先を楽しそうに歩いていった。
「……うそこけ」
この時の気持ちを、一体何に例えればいいだろうか。とにかく、今までに感じたことのないよう、全身を痺れさせるほどの満足感が俺を包んでいたのだ。
間違いなく、顔の傷に見合った成果だ。だから、俺はこれからもなるべく女に優しくしてあげたいと、柄にもなくこの日の夕陽に思った。
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