第50話 都市の異変

 この世界は危険でいっぱいだ。戦争だってあるし、人を殺すことすら厭わない盗賊だって珍しくない。

 

 そして、突然現れた魔王に街ごと破壊されることだってそう珍しいことではないのだ。

 たとえ王国内でも最高峰の防衛能力を誇る魔法都市でさえも、例外ではない。

 

 何気ない日常が絶対に明日もあるというのは幻想だ。

 

 万物は流転する。

 異世界におけるそれなりに幸せな生活というものは、力ある一人の意思であっさりと壊されてしまう不安定なものだった。


 

 先日キョウたちがBランクの魔物、ダイヤモンドエイプを討伐した場所、魔法都市北部の森林地帯には、異変が起きていた。


「ブモオオオオオ!」


 木々の間をくぐり抜けて、小さな影が疾走する。

 森に住むCランクの魔物、フォレストボアはそれなりに大きな体躯を持つ猪のような魔物だ。

 

 森の中ではほとんど敵なしのフォレストボアは今、ひどく怯え、森の中を必死に逃げていた。

 平時であれば絶対に見られない光景だ。

 

 フォレストボアは縄張りを荒らす相手には絶対に歯向かう。

 Aランク相手であろうと勇猛果敢に襲い掛かるフォレストボアが、脇目も振らずに逃亡している。


「……」


 それを追うようにしてゆっくりと歩く影があった。

 遠目に見れば、何の変哲もない瘦身の男だ。長く伸びた黒髪。気だるげに曲げられた猫背。陰鬱な顔。


 しかし、その体から発せられる気配は明らかに普通の人間とは違うものだった。

 その証拠に、危険な森を無防備に歩いているにも関わらず彼に襲い掛かる魔物の姿は全くない。


 この森に逃げ込んだ魔物、ダイヤモンドエイプもそもそもがこの魔王から逃げてきた結果このような人里近くまで来たのだ。


 冒険者ですら手を焼くBランクの魔物を戦わずして逃亡させる存在。

 彼こそが人類の生存を脅かす魔王の一柱。戦わずして敵を無力化するスキルを持った異色の魔王だった。

 

 魔王は己から逃げる魔物など見向きもせず森を歩き続け、やがて遠くに見えてきた都市を見つめた。

 

「ようやく見えたな、魔法都市」


 陰鬱な呟きが漏れる。その瞳には、何年もかけて凝縮された複雑でドロドロした感情が浮かんでいた。

 

「あの虚栄都市を我が力にて征服すれば、この鬱屈は報われる」


 痩身の魔王が力を溜める。

 彼の纏う異様な空気が、さらに濃度を増した。


 雰囲気などという曖昧なものではなく、力を持った何かが空間を駆け巡る。

 逃げ遅れた魔物たちは、その場にバタバタと倒れだした。

 

「『虚無の波動』」


 彼の体から放たれた空気は、黒色だった。それは木々や岩すら貫通し、どこまでも伸びていく。

 そして到達した都市の外壁。魔法に対する絶対の防御を誇る外壁は、しかし魔王の放ったスキルを防ぐことはできず、街の中に黒色のオーラを通した。


 それを確認した魔王は、先ほどのスキルを断続的に発動させながら魔法都市へと歩いていった。

 

 

 


 装備を整えて冒険者ギルドの依頼を受けに行く。魔法大学に行く頻度は減らして、今は経験を積むことを優先している。

 

「もっと難しい依頼を受けてもいいんじゃない?」

「シュカは戦いたいだけだろ。我儘言うな」

「ええー! 僕とソフィアがいればどうとでもなるじゃん!」

「そりゃそうだが……」


 実際その通りなので反論しづらい。


「シュカ、僕たちは最終的に魔神討伐を目的としてる。転生者のキョウの力をつけるのが優先だ」

「そうですね。いくらシュカさんと言えど魔神をひとりで倒せるわけではないでしょうし」


 魔神討伐、というよりもその功績でハーレムを作るのが目的なのだが……。まあいいか。


 談笑をしながら都市を出ようとする。道を歩く人とちらほらすれ違った。

 ここにいる人たちはそれなりに幸せそうな顔をしていて好きだ。食うのに困ってなくて、命の危機に毎日晒されていない。

 それは結構幸福なことなんだと、ここに来てから気づいた。

 

 昨日とあまり変わらない日常。

 しかしそれは、唐突に破壊された。

 

 

 真っ先に異変に気付いたのは、ソフィアだった。彼女は突然顔色を変えて警句を叫んだ。

 

「――ッ、何かが来ます!」

 

 その瞬間、空間を黒い何かが通った。形を持たない、空気としか言えないような何か。それが防御する暇もなく自分の体に迫り、そのまま貫通していった。

 黒い空気に触れると、不気味な悪寒が全身を支配した。心に何かが入ってくるような感覚。

 

 それは少しすると俺のうちから出て行った。

 体の調子を確かめると、異常はない。

 

 しかし、周囲にいる人はそうはいかなかった。

 

「ぐ、う……」

「……」


 ヒビキとシュカが突然苦しみだしその場に倒れた。

 

「キョウさんは無事ですか!?」

「俺は問題ない! ソフィア、何が起きたか分かるか!?」

「おそらく何らかの魔法攻撃だと思われますが……しかし魔法都市の結界を突破できるとはとても思えません……!」


 ソフィアですら現状を把握できていない。周囲を見れば、他の人たちもヒビキたちと同じように地面に倒れ込んでいた。


「ヒビキ、おいヒビキ!」


 俺はヒビキの肩を揺さぶってよびかけた。

 特に激しく苦しんでいるシュカの元にはソフィアが駆け寄り治療を始めた。


「……ちがう、ボクは……!」


 ヒビキの大きく開かれた目は虚空を見つめて小刻みに震えていた。その様子は、ここではないどこか別のところを見ているようだった。


「ヒビキ! ヒビキ! どこ見てんだよ!」

「ちがうっ! ボクは、キョウのために……違う、違う、違う!」


 こちらの言葉が聞こえていない。ヒビキは、現実に存在しない何かにひどく怯えているようだった。


 

 

「……あれか?」


 異様な雰囲気を纏った痩身の男が、無防備に歩んでいる。

 突然人が倒れだして混乱する魔法都市の中にあって、彼は周囲で倒れる人を見もせずに中心部である魔法大学へと歩いている。


「あれのせいで、ヒビキとシュカは苦しんでいるのか……!」


 拳を握る。憤りが胸のうちから噴出する。

 剣柄を握り、俺は一歩前に踏み出た。

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