2章

第37話ちぐはぐパーティー

 じりじりと身を焼く太陽が鬱陶しいのは地球も異世界も変わらない。

 徒歩で長距離を移動しているとなおさらだ。頭がじんわりと熱を持ち、汗が背中に滲む。

 

「おい! なんでお姫様を仲間にしたのに俺たちはまだ徒歩で移動してるんだよ!」

 

 見渡す限りの平野が、俺たちの前に広がっていた。

 うんざりする。いったい街までどれほどだろうか。

 ああ、スマホが欲しい。目的地までの距離を検索したい。


「仕方ないだろ。ボクたちは王都からは逃げてきたようなものなんだから。馬車を要求する暇もなかった」

「私のせいですね。申し訳ありません」


 ソフィアがこちらを向き軽く頭を下げる。よく見れば、彼女も額に汗が浮かんでいる。

 通常時の彼女は虚弱な運動音痴だ。しかもそのことに自覚が薄い。

 見張っておかないとバタリと倒れしまうかもしれない。


「いやまあ、ソフィアがああするくらいしかなかったのは分かってるから別にいいんだけどな」


 ソフィアが望まない結婚をするくらいなら、王都から逃げ出した方がよかった。ソフィアに駆け落ちだなんて言われなくても彼女を攫うつもりだった。

 そのこと自体は疑っていない。


「ああするしかなかったっていうよりも、ソフィアはああしたかったっていう風に見えたけどね」


 シュカがなんでもないように呟く。それを聞いたソフィアは、白い頬を薄っすらと赤くした。


「いえその、駆け落ちというのは誇張表現と言いますか、言葉の綾と言いますか。それはその、キョウさんの許諾を得ずにこ、恋仲になりたいなどという言説ではありませんので。私はそんなふしだらな者ではありません。皆さんにはそのあたりは勘違いしないで頂けますと幸いです!」

「お、おう……」

 

 彼女は早口で言い切ると、ぜーぜーと呼吸を乱した。

 どうでもいいところで体力を使わないでくれ……。


「それにしても、ソフィアもボクたちと同じ元男なんだろう? そんなに女の子っぽい感じじゃなくて、もっと素でいいんだぞ」


 ヒビキがソフィアを気遣うように話しかける。どうやら、なし崩し的に俺たちについてくることになったお姫様(?)を心配しているらしい。


「いえ、私の場合はソフィアとして過ごしていたのが二年にもなりますからね。今ではすっかりこちらの方が素の私です」

「へえ……ボクにはあまり分からない感覚だな」

「私の場合、演じているうちにそれが自分になっていったといった感じでしょうか。今ではもう、騎士だった頃の自分がどんな話し方をしていたのか思い出せないくらいです」


 ふふ、とソフィアが楽し気に笑う。

 それに対して困ったように眉を下げたのはシュカだ。


「それは……笑って済ませられることなの? 僕はちょっと怖いと思うけどな」

「いえいえ。私にとっては些事ですよ」


 穏やかに笑うソフィアの本心は伺い知れなかった。


「ソフィア……」


 いったいどんな経験をすればこんな風に達観できるのだろう。そう思って彼女を見ていると、ふいに彼女の姿が視界から消えた。


「あっ」

「ソフィア!?」


 見れば、足元の石に躓いたソフィアは顔面から地面に倒れ込んでいた。

 手をついて衝撃を防いだ様子すらない。

 俺たちが慌てて彼女を心配する。

 

「おい、大丈夫か!?」

「なんで毎回顔面から転ぶんだよ! めちゃくちゃ痛そうなんだけど!」

「す、すいません。お見苦しいところを……」


 くい、と顔を上げた彼女は鼻血を流していた。

 清楚でまさしくお姫様と言った顔をしている彼女が鼻血を流しているのはひどくアンバランスで、いっそシュールですらあった。

 

「お、おい。これで鼻血拭けって」


 男の頃から律儀にハンカチを持ち歩いていたヒビキが、白地のハンカチを差し出す。

 

「いえ、あなたのハンカチを汚す必要はありませんよ」


 ソフィアの清楚な声が響くと、白い光が彼女を包んだ。

 治癒魔法。彼女のそれは、人類の中でも最高峰のものらしい。

 白い光に包まれ傷を治した彼女は、もうすでに血の跡すらなかった。


「治癒って汚れまで消せるのか!?」

「え、ええ……」

 

 なぜか興奮した様子のヒビキがソフィアにぐい、と近寄りながらソフィアに問いかける。

 それに戸惑ったソフィアがわずかに身を引く。

 

「なんだよヒビキ。汚れなんて気にしてたのか」

「気にするに決まってるだろ! ボクたちは毎日風呂に入る生活をしていたんだぞ? それが突然こんなところで体を拭くだけで満足できるわけないだろ!」

「お、おう……」


 彼女の気迫に圧倒された俺は、生返事しかできなかった。

 街の中にいた頃ならともかく、移動中は風呂なんて入れるわけがない。昨夜は平野で野宿だった。

 

 ヒビキの必死な様子を見て、シュカがカラカラと笑った。

 

「あっはは。ヒビキはもしかしてキョウと一緒にいるから匂いを気にしてるのかな?」

「そ、そんなわけないだろ! キョウがボクの体臭を気にしているかもしれないとかそんなこと全然ボクには関係ない!」


 むきになって言い返すヒビキの様子に、シュカはさらに楽しそうに笑った。

 いつの間にか立ち上がっていたソフィアも、それを見て楽しそうにニコニコと笑っていた。彼女の今の笑顔は心から楽しんでいることが伝わってくるような笑みだった。

 

 ……ソフィアがそんな顔をできるのなら、無理やり助けたかいがあったというものだろう。

 彼女にとっての幸せがどんなものなのかなんて俺には決められようもないが、少なくともあそこにいるよりもマシだったと信じたい。

 

「ていうかソフィア、あんな武の極みに到達している騎士なのに石ころでコケるってどうなってるの? ちぐはぐすぎない?」

 

 どうやら、強さバカであるシュカはソフィアのちぐはぐな身体能力に興味津々のようだ。

 目がキラキラ輝いて、尻尾がブンブン横に振られている。


「ああ、あれですね。一時的に剣気を解放しただけです。今の私の素はこの程度です」


 ソフィアは小さな手のひらを出してシュカに見せた。真っ白で、傷一つなく、マメもない。


「ソフィア様の体はもともと決して強いものではありませんでした。中身の私が剣の振り方を知っていても、通常の状態でまともな一撃を繰り出すことは不可能でしょう」 

「でも、剣気を解放すれば戦えるようになるってこと?」

「そう単純なものではありません。肉体の限界と剣気の限界を考えて、全力を出せるのはせいぜい数秒。一撃放つくらいが限界でしょう」

「ええー、それじゃ僕と戦えないじゃん……」


 シュカが露骨に残念そうな声を出した。よっぽどソウルドミネーターを倒した一撃が記憶に残っているらしい。

 元Sランク冒険者のシュカから見ても、ソフィアの剣は凄まじいものだったようだ。


 

「まあでも、無理やり見せてもらえばいっか!」


 シュカが突然動く出す。あまりにも予兆のない行動に、俺は制止するのが遅れた。


「魔闘術――烈火 噴口!」


 一瞬でソフィアの目の前に立ったシュカが攻撃態勢を取った。

 体を捻じり、拳に力を溜める。

 ギリギリと引き絞られた弓の弦が解き放たれる瞬間のように、彼女は力を解放した。

 ソフィアの華奢な体に、岩をも砕く拳が目にもとまらぬ速さで迫る。


「ソフィア!?」


 しかし、ソフィアはただその場に立ちニコリと笑っただけだった。


「拙速ですよ、シュカさん」


 シン、という静かな音が響いた。ソフィアの体が動くところは、まったく見えなかった。

 

 しかし、戦闘態勢を取っていたシュカの体は糸が切れたように力を失って倒れた。血は出ていない。

 しかし、まさかシュカがその場でこけたなんてことはないだろう。

 

 ソフィアは熟練の武道家がするように、止めていた息を解放して一呼吸ついていた。

 俺は半信半疑で彼女に問いかけた。

 

「い、今の一瞬でシュカを斬ったのか?」

「斬ってはいません。軽く攻撃しただけです」

「そもそも剣があったことすら見えなかったんだけど……」


 見えなかった。彼女がどんな風にシュカを倒したのか分からない。近くで見ていたヒビキも同様だったようだ。

 

 何事もなかったかのようにその場に立っていたソフィアだったが、やがて突然力を失って倒れ込んだ。ちょうどシュカと同じような恰好だ。

 さっき転んだ時とは違い、全身に力が入っていないように見える。

 

「ソフィア!? やっぱりシュカに殴られてたのか? よし、あいつが起きたらお仕置きをしておこう」


 また耳と尻尾を弄りたおしてやろう。そもそも突然仲間に殴りかかるのは論外だ。飼い犬をしつけるように、厳しく言いつけなければ。


「いえ、攻撃を受けたわけではありません。この通り、剣を一度振るうと体が全然動かせなくなってしまうのです。お恥ずかしい限りです」


 ソフィアが顔だけ上げて恥ずかしそうに微笑む。

 彼女は今動けない。動けないお姫様……何をしても抵抗できない……ハッ! ソフィアは中身男、中身男……!


「で、キョウ。動けない人間が二人できたわけだがどうするんだ?」


 ジトっとした目で事態を眺めていたヒビキが俺に聞いてくる。


「ヒビキ、ソフィアをおぶっていけるか?」

「無理だな。今のボクにはそんな力はない」

「あー、俺がソフィアをおぶって、シュカは地面を引きずって行くか!」

「さすがにダメだろ! シュカの背中がボロボロになるわ!」


 うん、さすがに女の子の体の扱い方じゃないな。中身男だけど。

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