第36話前を向いて

 意識が醒めて、まず最初に自分の体を見下ろす。

 そこには、小さくて白い、お姫様の体があるはずだった。

 

 しかし視界に入ってきたのは男の頃の大きな体。

 それを見て私は確信する。ああ、これは夢だ、と。


「ゴルドー」


 それでも、ソフィア姫様が私の前に出てきた瞬間、私は臣下の礼を取っていた。

 私はずっと彼女の騎士だ。

 

 一年ぶりの再会。会えただけでも私の胸は高鳴っていた。たとえ夢でも、彼女と会えて嬉しかった。


「そんなにかしこまらないでください。誰も見ていないですよ」


 聞きなれた、そしてあの日からずっと私が模倣してきた声だ。

 本物のソフィア様の声。純粋で穢れない彼女の人格をうかがわせる声は、私には出せないものだ。

 

「私はあなたを敬愛しています。誰かが見ているから臣下として振る舞っていたのではなく、心から尊敬していたのです」


 彼女は最高の主君で、素晴らしい人格の持ち主だった。

 その想いは彼女が死んでしまった後でも変わらない。

 

「だから、あなたを殺し肉体をも奪ってしまった自分が許せなかった」


 声が震える。自らの罪を改めて口にすると、おぞましく、許されない罪を犯していることを実感する。

 しかし姫様は、穏やかな笑みを浮かべるばかりだった。

 

「フフ……ゴルドー。一つ勘違いしていますよ。あの時、あなたは確かに私を守って殉死しました。あなたは騎士の勤めを全うしました」


 彼女が私の働きを認めてくれた。真意を問う前に、私の体は熱くなった。姫様には責められても仕方ないと思っていた。主君を守れなかった騎士など、騎士失格だと思っていた。

 

「あの後あなたと私の魂を入れ替えることであなたの魂を救ったのは私の意思です。聖魔法の奥義、究極の救済魔法、死にゆく肉体から魂を掬い上げ、自分の体に救い出す術です」

「なっ……なぜそのようなことを!?」


 驚愕に胸が詰まる。私は、ずっと魂を扱う魔王、ソウルドミネーターの仕業だと思っていた。

 悪辣な死霊術師が最後に残した趣味の悪い遊び。

 そう推測していたが、ソウルドミネーターは最期までそんなことを言わなかった。

 

 私は、彼女の言葉の真意が分からず姫様の顔を呆然と眺めた。

 彼女自身が、私と入れ替わりを望んだ。そして私の肉体と共に死んだ。

 

「分かりませんか? 私が、あなたを好きだったからです」

「……!」


 彼女は真っ白な頬を少し赤くした。初めて見る表情だった。

 あるいは、意識的に見落としていたのだろうか。自分と彼女では身分が釣り合わない……否、自分程度では彼女のような人格者には釣り合わないと思ったのだ。


「叶わぬ恋であることは分かっていました。だってあなたは、あくまで私の臣下として私を慕ってくれていたのですから」

「……そう、ですね」


 それは、否定できない。きっと彼女の言う好きと私の敬愛は別物だ。

 私は彼女を理想の主君と見ていた。それは恋と似ているようで全く非なるものだ。

 

 でも、相手に生きて欲しかったのは私も同じだった。

 どうしてあなたが生きてくれなかったのだ。どうして私など生かしてしまったのか。


「姫様、今からでも私の魂と入れ替わることはできないのですか?」


 夢とは言え、姫様の存在には不思議なリアルさがあった。私の想像の彼女ではなく、本物の彼女と話しているような感覚。

 だからこそ、私は彼女の言葉を素直に信じられたのだ。

 

「いいえ、ここにいる私は魂の残滓。あなたの魂にこびりついた欠片です。あなたの心が晴れたことで浮上することができましたが、この後すぐにでも消えるでしょう」

「そ、んな……」


 せっかく姫様と再開できたのに。

 体が冷えていく。悲しみに胸が張り裂けそうになる。

 

「だから、最期に話したかったのです。まず、お礼を言わせてください。あの時、身を挺して私を守ってくださりありがとうございました。嬉しかったですよ」

「ッ」


 ああ、私はその言葉を聞きたかったのかもしれない。

 ずっと不安に思っていた。姫様を守れなかった自分は騎士失格だったのではないかと。姫様にふさわしい騎士ではなかったのではないかと。


「それから、どうか私の体を幸せにしてください。あなたの魂が幸せと思う方に進んでください。愛を育むのもいいことだと思いますよ? キョウさんは良い方だと思います」

「姫様!?」


 彼女のお茶目な物言いに、私は動揺した。


「し、しかし私は元は男でして」

「今は女の子でしょう?」

「いえその、精神的に問題が……」

「でも、キョウさんと話すあなたは楽しそうでしたよ」

「……」


 それは、否定できない。

 姫様は口を抑えてクスクスと笑った。

 しかし、すぐに真面目な表情に戻る。

 

「そろそろ時間ですね。ゴルドー、見守っていますからね」

「……はい、ありがとうございます」


 本当は、もっともっと言葉を交わしたかった。しかし、もう逝ってしまう彼女を引き止めることはできない。

 

 彼女の体が透明になっていく。ずっと会いたかった主が消えていく。

 

 まだまだ言いたい言葉は沢山あった。それらを飲み込んで、私は彼女に最後の言葉をかけた。


「姫様、お慕い申しておりました」


 透明な笑顔を浮かべた彼女は、やがてその体を薄くしていき完全に消え去った。





「ソフィア、おいソフィア起きろ」


 俺の肩によりかかってすやすや眠るソフィアを起こす。

 柔らかい感覚の心地よさに起こすのを躊躇ったのは秘密だ。


「あれ……私、眠っていましたか?」

「ああ、王都からだいぶ離れたから一旦休憩しようって言ったらすぐにな。……なんか随分穏やかな表情をしてるな。良い夢でも見たか?」

「ええ、私にはもったいないくらいの良い夢でした」


 彼女が薄く微笑む。何かを惜しむような懐かしむような、けれど前向きな笑顔だった。

 その顔を直視した俺は、何も言えなくなる。

 

 俺たちの様子を見たヒビキが声をかけてくる。


「ソフィアダメだぞ。キョウの前で居眠りなんてしちゃ。こいつは男なんだから、いつ気の迷いを起こすか分からん」

「キョウと同じ部屋に寝泊まりしてたヒビキの言葉とは思えないね」

「グッ……ぼ、ボクたちは幼馴染みだからセーフだ!」


 なんだその謎の理屈は。

 どうしよう、頭の良いはずのヒビキが馬鹿になってる。


「だからTSっ娘は対象外だって言ってるだろ。そういうわけで、ソフィアも安心しろ」


 俺が感じているのは友情であり愛情や劣情ではない。

 しかしソフィアは俺の言葉を聞いてなぜか複雑そうな表情だった。ちょっとジト目で俺を見つめてくる。


 

「しかし、成り行きでこんなところまで来ちゃったけどお前らは本当にこれで良かったのか? 俺についてきて良かったのか?」


 彼女たちにはみんな、それぞれに特技を持った立派な女の子だ。

 

  ヒビキなら、魔法の腕と頭の良さで一人でも生き抜けるだろう。

 しかし彼女は俺の言葉にニヤリと笑って眼鏡を触った。


「ああ、お前がハーレム作ろうと四苦八苦するところを楽しく眺めさせてもらうよ」


 シュカの方を向くと、彼女はにっこりと笑った。


「キョウ君についていくと強敵と出会えそうな予感がするからね。僕の鍛錬のためにも好都合だよ!」


 彼女の元気な笑顔に嘘はないようだった。


 最後にソフィアを見ると、彼女は控えめな笑みを見せてくれた。

 

「私は、キョウさんと一緒にいたいです。これは、他ならぬ私の意思です」

 

 ソフィアの表情は、王都にいた頃よりもずっと晴れやかだ。


「じゃあ、いくか。世界を救って俺のハーレムパーティーを作るために!」


 見た目だけはどうしようもなく美少女な三人に囲まれながら、俺は大きく宣言した。

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