第33話邪悪の顕現と悪魔の囁き

「話がそれだけならもう十分だ! 俺はここでソフィアを攫って、彼女に自分には価値があるんだと教え込んでやる。」

 

 胸のうちに溢れる様々な感情。

 既に心は決まった。俺はここでソフィアを攫って、彼女に幸せになってもらう。これが俺のやりたいことだ。

 

 今なら、抜ける。そう確信して傲慢の魔剣に手をかけた。

 する、と鞘から出る魔剣。黒く、禍々しい刀身が現れた。


「へそ曲げてたんじゃないのか、傲慢の魔剣」

『――ワシは己の傲慢さを世界に押し付ける愚か者の味方じゃ。今の貴様のようにな』


 それは心強い。やっぱりコイツは俺みたいな奴にピッタリだ。


「おお、恐ろしい! 非力な小男を切り伏せようとは、なんと恐ろしい暴漢か!」

「ひれ伏せ」


 重力魔法を行使すると、カーターはその場に跪いた。

 しかし、地面に倒れ込むことはない。

 冷や汗をダラダラと流しながらも、重力魔法に抵抗している。


「ヒッ……ヒヒヒ! まさか伝説に刻まれし七罪の魔剣に遭うとは思いませんでした! 災難災難!」

「お前……何者だ?」


 シュカですら抗えなかった傲慢の魔剣の重力魔法。

 それに抵抗する彼は、明らかに普通の人間ではなかった。


「ヒヒ……そろそろ窮屈な皮は脱ぐ時ですか」

 

 カーターが不気味に笑う。次の瞬間、彼の体に異変が起きた。

 ゴボゴボ、と皮膚の内側から何かが蠢いた。まるで風船のように内側からボコボコと何かが出てこようとする。明らかに人間がするはずがない動き。

 やがて、何かが肉体という袋を内側から突き破るようにして飛び出してきた。

 

 皮袋を突き破った黒い何かが、カーターを包み込む。

 彼の姿が豹変していく。メキメキと背が伸びていき、不気味な装飾がついていく。

 

 ひび割れた骸骨。死体の肉。むき出しの目玉。まるで死体コレクターだ。

 ひょろりと高い背に、悪趣味なコレクションがずらりと並ぶ。

 

 その顔は、醜く歪んでいた。ちょうど、人間の皮をすべて無理やり上に引っ張ればできるような顔。

 少なくとも、同じ人類には見えなかった。

 

 身に纏う雰囲気は邪悪そのもの。先ほどまで相対していたアンデッドがおもちゃのように思えるほどにおぞましい。

 

 息を吞み、俺はそれに問いかける。

 

「……お前は、誰だ」

「ヒヒ、私は七代魔王が一柱ソウルドミネーター。かつて王都を手中に収めかけた魔王だ」

「七代魔王?」

「キョウ。七代魔王の話、ボクは聞いたことことがある」


 ヒビキの声は恐怖に震えていた。

 

「一体で一国を滅ぼすと言われた、最強格の魔王の名称だ。魔王ソウルドミネーターはこの土地、最精鋭である騎士が集う王都を滅ぼしかけた魔王の名前だ」


 ヒビキの話には俺も聞き覚えがあった。王都を脅かした最悪の魔王。卑劣なアンデッドの王。

 

「で、でも! その魔王は姫聖女とその騎士が倒したはずだろ!?」

「――魂の操作は、私の最も得意とする術です」


 カーター、否、魔王ソウルドミネーターが話し始める。


「下僕の魂を爆発させることができる私は、忌々しい騎士に討たれる直前に自らの魂を爆発させました。自爆と同時に私の魂の核は大きく飛び、やがて人間への憑依に成功しました。カーターという男の魂は、その時に死に絶えました」

「なるほど、死霊術師らしい卑劣で嫌な生存戦略だ」

「ヒヒ。しかし、肉体を喪った私の力は大きく削がれました。魂の損傷も激しく、力はなかなか元には戻りませんでした。人間社会で生きる術を持たない私が利用しようと考えたのは、あの爆発によって魂の入れ替わった姫聖女でした」


 ソウルドミネーターは、剝き出しの白骨の手でソフィアを指さす。

 彼女の表情は、こちらからは良く見えなかった。


「姫聖女を脅すのは簡単でした。魂のプロフェッショナルたる私には彼女の中身があの騎士であることは一目瞭然ですからね。英雄で姫聖女の庇護があれば、王国で生きるのはたやすかった」


 カーターは楽しそうな表情で言葉の先を続けた。

 

「そして何よりも! 自分たちを殺した魔王の世話を偽物の姫聖女がしているという状況は、本当に滑稽でたまらなかったですよ! ヒヒ……ヒヒヒヒヒ!」

「……姿が変わっても性格は変わらないんだな」

「当然でしょう。そうして力を蓄えた私は、ようやく本来の姿をここに顕現させることができたというわけです。本来ならあの姫聖女様が王都から消えてから復活する予定だったのですがね。いやはや、2年間は長かったですが、姫聖女様が自分が受け取るべきではない称賛を浴びて苦しそうにする姿を見ているのが楽しくて、あっという間でしたね!」

「てめえ……」


 傲慢の魔剣を構えて、ソウルドミネーターと向き合う。既に重力魔法はかけているが、ソウルドミネーターは膝をつく様子すらなかった。

 切り込むビジョンが思い浮かばない。隙だらけの立ち姿のはずが、まったく隙が見えない。

 攻めあぐねる。どう動けば目の前の敵を倒せるのか分からず、俺は足を止めた。


「キョウ君、ヒビキ。君たちは先にここを出て、騎士と聖職者に助けを求めに行ってくれない?」

「シュカ、何を言っているんだ!?」


 見れば彼女は、静かに前に出て拳を構えているところだった。


「死霊術師、というけどあれは本体も死霊の類だね。今の僕たちじゃ相性が悪い。教会の高位の聖職者を呼んできた方がいい。僕が時間を稼ぐから」

「そんなの……いや、ソフィアがここにいるじゃないか!」


 人類最高の聖魔法の使い手が、ここにいる。しかし彼女は、先ほどからうつむいたまま一歩も動く様子がなかった。


「さすがにあんなショックな話を聞いた後じゃまともに動けないよ。魔法の行使には精神力が必要だしね。大丈夫、僕が時間を稼ぐからお姫様を搔っ攫って逃げなよ」

「シュカ……」


 拳を構える彼女は、いつものように戦いを楽しむ様子がない。

 ただ為すべきことを為すような、決意だけがその身に籠っていた。

 

「ヒヒ! 無駄ですよ。以前の私ならともかく、今の私は人間に受肉した姿。たとえ本物の姫聖女でも聖魔法だけで祓うことは不可能です。肉体と魂の両方を一瞬で破壊されない限り、何度でも蘇ってみせましょう」


 ……あいつの肉体を一瞬で破壊する? できるだろうか、今の俺に、傲慢の魔剣の力を以てしても――


『小僧、貴様の魂をよこせ』


 傲慢の魔剣の声がする。幼い女の子の声が、俺に語り掛けていた。

 それは、悪魔の囁きのように甘美な響きだった。


『魂を燃料にして、貴様にあの王を打ち倒すすべを授けてやろう。何、安心しろ。我ら七罪の魔剣とは、王たるものを斬るために生み出されたもの。この程度の力の差、武器の性能で埋められる。貴様が身の一部をワシに捧げることに同意さえすれば、な』


 ……力の差、か。たしかに今の俺ではソウルドミネーターを斬ることはできないのかもしれない。

 頼るしかないのか? 傲慢の魔剣の声には、悪魔の誘惑のような恐ろしさがあった。

 ここで頷いてしまえば、何か取り返しのつかないことが起きてしまう予感。

 

 悪魔と契約するのか、ここでシュカを見捨てるのか。……いや、考えるまでもないか。シュカを見捨てるなんて俺が俺に納得できない。であれば――


「――キョウさん」


 しかし、そんな葛藤をしていた俺の肩を、ソフィアがそっと叩いた。

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