第30話ぶん殴るべき相手
王城の自室にいるのも、今夜で最後だ。
普段から教会で寝泊まりしてみんなの治療をしていた私にとってこの部屋はあまり馴染み深いところではないけれど、僅かな感慨が胸に残る。
明日から私は、コロンブス公爵の妻として彼の家に行く。これはもう決定事項だ。
男と結婚して、所帯を築く。男と愛し合い、キスをして、子どもを作る。
私の心が、そんなのは嫌だと訴えかけてくる。
私の心はずっと男のままだ。男と恋をするなんて想像できない。
それに、この体はずっと憧れていた姫様のものだ。
尊敬し、憧れていた彼女の体が暴かれるという事実すら受け入れがたい。
それを一番近くで見つめるのは、他ならぬ私なのだ。
「ヒヒ……ひどい顔ですね、姫聖女様?」
「カーター……」
王城の自室、窓から外をぼんやりと眺めていると、背後から声をかけられた。
振り向いた私の目に映ったのは、小さな男だった。
猫背で覇気がない彼は、私の紹介で王城へと入り込み、ずる賢い頭脳とへりくだっった態度で多くの貴族の懐に入り込んだ奇人だ。
それに、彼は他人の弱みを握るのが上手かった。彼が現れて二年経った今では、王城にいる人達は彼を無下に扱うことができなくなっていた。
「あなたの言う通りに彼には別れを告げてきました。満足しましたか?」
「ヒヒ……ええ、ええ。あなたの憂い顔を見ればその言葉に嘘がないことも分かりますとも。……不安なのでしょう? 彼らが自分を助けるために無理をしないのか」
「ッ!」
図星を突かれた私は動揺する。相変わらず、カーターは他人の見せるネガティブな感情を見抜くのが上手い。
彼らなら無茶をしかねない。先ほどからずっとそう思っていた。
キョウさんはきっと怒っている。彼なら私の本心に気づいただろう。王国に喧嘩を売るような蛮行をしてもおかしくはない。
「ダメですよ。今更結婚の話をなしにしようだなんて。私の言う通りにしなければ、あなたの中身を王都の民にバラします」
「……ええ、分かっています」
カーターは、唯一私の中身が騎士ゴルドーであることを知る人物だ。
彼がどうやってそれを知ったのかは分からない。彼が人の弱みをどうやって握っているのか、私はついぞ分からなかった。
「民に愛された姫聖女の中身が彼女を守れなかった騎士だと知ったら失望するでしょうね」とは彼の言葉だ。
私はその言葉を否定できなかった。誰よりも敬愛していた姫様の名前を地に落とすことなど、私にはできない。
「あなたはあの醜くだらしないコロンブス公爵と結婚して、聖女を引退する。誰よりも愛された姫聖女が、望まない結婚生活をいやいや過ごす。それが私の描いた理想のシナリオです」
「……やはり、何がしたいのか分からないですね」
悪趣味なカーターの言葉は全く理解できない。しかし彼は、ひどく楽しそうだった。
「ヒヒ、綺麗で民衆に愛されたモノが、誰にも憎まれるモノに汚される。ヒヒヒ。これ以上の娯楽がこの世にありますか?」
「……それなのに、あなたは私の体に手を出さないんですね」
「ヒ? それは私が汚らわしいと? ――ふ、ふざけるな!」
いきり立ったカーターが拳を振りかぶる。私はそれを、避けることもなく頬で受けた。
「っ……」
殴られた衝撃にその場に倒れ込む。じん、と頬が痛む。
「そうだ……お前は黙って私の言いなりになっていればいい。そう、お前が公爵と結婚すれば、私は……」
カーターは最後まで言い切る前に部屋を出て行ってしまった。残された私は、自分に治癒魔法をかける。
「キョウさん、馬鹿なことは考えないでくださいね」
ポツリ、と呟く。
最近話してた少年。別の世界から来たという彼は、私とはまったく違った常識を持っていた。
正直なところ、彼と話すのは楽しかった。私の凝り固まった常識を崩してくれる彼は、私にとって新しい風のようだった。
だからこそ、これ以上私に関わってはダメだと思った。
◇
侵入した王城の中は警備の人員などいないようだった。ひょっとしたら、さっきヒビキが言ったように貴族の逢い引きを目撃させないために城門前にのみ警備を置いているのかもしれない。
順調に奥に進めている。しかし、そんな俺達の前に立ち塞がる影があった。
「夜の王城にネズミが三匹……なるほど、罠を張ったかいがありまいたね」
それは背の低い男だった。背丈が低いだけでなく猫背なため、一層小さく見える。意地の悪そうな笑み。ギラギラと光る目。あまり良い人間には見えない。
しかしその存在感は、不気味なほどに大きかった。
「どうも騎士って風貌じゃないけど……おい、黙って逃げてくれればお互い見なかったことにするぞ」
「ヒヒ……」
戦意のない人間を打ちのめすのは気分が悪い。そう思って声をかけたが、小男は不気味な笑いをこぼすだけだった。
「キョウ君。あいつ雰囲気が妙だよ。強いって感じはしないけど、無策に殴っても倒せるビジョンが浮かばない」
シュカの敵の強さへの嗅覚は正確だ。そして、彼女はだいたいの敵を見ても「殴れば倒せる」と言う。
そんな彼女が、油断ならないという顔で小男を見つめている。
「しかし、少々実力を見誤りましたか……そこの獣は少々厄介そうですね」
「――へえ、僕を獣と呼ぶのかい?」
犬歯を剝き出しにしたシュカが怒りを滲ませた笑顔を浮かべた。全身から怒気が湧きだしているようだ。
一般人が見れば一目散に逃げてしまいそうな迫力。しかし小男は、不気味な笑顔を浮かべるだけだった。
「ええ、犬に食わせるのはこれくらいで十分でしょう。――キメラ」
小男が上に手を突き出すと、どこからともなく腐臭がしてきた。
匂いはどんどんと近づいてきたかと思うと、やがて凄まじい気配が近づいてきてシュカの体は吹き飛ばした。
「シュカ!?」
彼女を吹き飛ばしたのは、不気味な風貌をした四足歩行の獣だった。
後方まで吹き飛んだ彼女を心配するが、しかし俺たちの目の前にはまだ小男がいる。
「召喚術師、あるいは死霊術師とかそういうやつか? キョウ、鑑定できるか?」
「ああ」
鑑定を発動すると、小男のステータスが見えてきた。
名前 カーター
職業 不明
【ユニークスキル】
不明 SS
【スキル】
死霊術 A
魂操作 S
不明……不明ってのは初めて見たな。
「ヒビキ、こいつ鑑定の一部が弾かれる。名前がカーターってことは分かった」
「なに? ……そんな奴今までいなかったな。手の内が分からないってことか」
「何、関係ない。――ぶったたけば倒れるのは一緒だろ!」
剣を手に一気に距離を詰める。ノロノロやってるとシュカのように正体不明の攻撃で吹き飛ばされかねない。
「おおおおお!」
剣を振るう。しかし刃は、地面から突然現れた白骨の腕に受け止められた。大理石の床から現れたのは、骸骨の兵士だった。カタカタと動くそれは、生命を持っているかのように立ち上がり俺の前に立ちふさがる。
その後ろで、カーターが不気味な笑みを浮かべた。
「ヒヒ。一つ、いいことを教えて差し上げましょう。姫聖女の結婚は私が立案して陛下に認めてもらったものです。国のことを想った忠臣たる私の願いを、陛下は快く引き受けてくださいました」
「お前が……そうか」
よし、一発殴る。そう決めた俺は、再び剣を構えて前へと飛び出した。
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