殿下が突然子犬になりまして。〈一話完結〉

山法師

殿下が突然子犬になりまして。〜きゅるりとした青の瞳で、真っ白ふわふわな毛並みの可愛らしい子犬〜

「で、殿下?!」


 思わず、悲鳴のような声を出してしまいました。

 でも、だって。


「きゅわん!」


 自分の婚約者がぱあっと光って真っ白な子犬に変身なんてしたら、そんな反応になっても仕方ないと思います。

 思わせて。


「きゃう、あぉん!」


 目の前には、きゅるりとした青の瞳でこちらを見つめてくる真っ白ふわふわな毛並みの子犬。

 ブルーのベルベット地の二人用肘掛け椅子に律儀にお座りし、ハッハッとピンクの舌を出していて。


「……本当に、殿下なのですか……?」


 一瞬、これは夢かと思いました。けれど、先ほどまで殿下が身に付けていた衣服はその椅子の上に落ちていますし、その中心に“ぱあっと”で現れた子犬がいますし……。


「きゅう?」

「可愛く首を傾げないで下さいな?! ……はっ! 誰か?! 誰か居ませんか?! 殿下、」


 私は混乱しながらも、なんとか執務室の外へ人を呼びに行きます。


「クリストファー殿下が……! 真っ白ふわふわな可愛らしい子犬になってしまわれました?!」


 本当に混乱していらない事まで言っている気がしますけれど。


 けれどそもそも、何がどうしてこのような場面が出来上がってしまったのでしたっけ──?




   ***




 事の始まりはそう、「話がしたい」と、珍しく殿下からの連絡を頂いたところから、でしょうか?

 それも、出来れば早いうちに、と。

 このドゥーナ国の第一王子クリストファー・ドゥーナレィ殿下は、いつもお忙しくされています。

 幼い頃から神童とされ、十二の頃から政務にも関わり、十七になった今それはもうご多忙にご多忙を極めている、そんなお方なのです。

 ちなみに私はそんなクリストファー殿下の婚約者、ラドフォード侯爵家の息女エミリアと申します。あと少しで十六になります。

 

 そんな私達、特に仲が悪い訳ではございませんでしたが、殿下が常に多忙気味なため、疎遠になりがちではありました。

 でも心配はありません。主だった行事などには二人でしっかりと出席しておりましたし、定期に手紙のやりとりもしております。

 ……なぜか侍女達からは、「そんな上司と部下みたいな」「もっときゅんきゅんさせて下さい」などと言われますが。


 えぇと、そう。それで、そんな関係の私達ですから、特に理由が思い当たらない呼び出しというのはとても珍しく。

 私は首を捻りながら王宮へと向かい、そして執務室へ通されました。


「済まない。こんな場所へ呼び出して」

「いえ、殿下のお仕事を拝見する機会を頂けて有り難く思います」


 いつになく真面目な表情で休憩用の一角までエスコートされ、対面で座ります。


「……」


 殿下が目で合図をすると、護衛も従者も皆様出て行かれてしまいました。

 二人きりにするなど、それこそ珍しい。


「……エミリア」

「はい」


 これから何かとんでもない事でも言われるのではないかと、無意識に息を詰めました。


「これから君に、とても無茶な問いかけをする」


 無茶な問いかけ?


「それを君に、言葉でなく態度で応えてもらわないといけない」


 ……? なにかの謎掛けでしょうか?


「どんな答えが正解と、この場では言えない。ヒントも出せない。……済まない」


 クリストファー殿下がとても苦しそうに眉を歪ませます。彼がここまで感情を見せるのも珍しいです。


「それが、今日呼ばれた理由でしょうか?」


 殿下が静かに頷きます。

 私はその謎めいた内容を、『第一王子の婚約者としての課題』だと推測しました。

 であれば、粛々とそれを受けるのみ。どんな課題でも良い成績を出せるよう、全力を尽くすのみ。


「かしこまりました」


 私も頷き返しました。


「……では」


 殿下はゆっくりと自らの右腕を持ち上げ、胸の前に持ってきます。


「今から」


 その手首に填められているのは華奢な作りのブレスレット。『祝福の腕輪』と呼ばれる、王家に代々伝わるものです。


「どこまでも正直に行動してくれ」


 殿下はそう言って、そのブレスレットの留め金を外し──


 ぱあっと、光り輝きました。


「?!」


 一瞬でその光は収まり、何が起きたのかと殿下へ顔を向けます。


「きゃんきゃん!」

「で、殿下?!」


 そこには、子犬が一匹おりました。




   ***




「……」


 護衛の方々が部屋に入ってくるのを眺めながら記憶を辿っていましたが、未だにさっぱりな展開です。


「きゃわん! あぉん、ぉん」


 白い子犬は護衛の方々や従者の方に嬉しそうに尻尾を振っています。じゃれています。


「あー、クリス様。よじ登ろうとしないで下さい」

「すみませんクリス様、前にも言いましたけどこの靴、中に金属板入ってるんで齧っても危ないだけですよ」


 そして彼らはあの白い子犬をクリス様、と呼んでいます。

 この状況を受け入れています。いえ、それこそ以前から当たり前にあったように振る舞っています。

 殿下が子犬になった事に、なんの疑問も抱いていないのです。


「エミリア様」


 これは、どのような課題なのか。私は何を試されているのか。

 ぐるぐると考え始めたところに、殿下(仮)を抱えた従者、シリル様が声をかけてきました。


「ここから、どのようになさいますか?」

「……!」


 やはり、これは課題であり、未だ進行中なようです。

 どこまでも正直に、と殿下は仰っていました。


「……」


 自分に、正直に。

 はたして殿下は本当にこの子犬なのか、はたまた大仕掛けなからくりでどこぞにお隠れになっているのか。

 後者ならただ殿下を見つけ出せば良いのでしょうが、この子犬と入れ替わる理由が掴めません。


「……シリル様」


 前者であるなら、本当にそのまま、目の前の事を受け止めれば良いだけなのです。従って、


「殿下のブレスレットを、お貸し頂けますか?」

「……かしこまりました」


 シリル様からブレスレットを受け取ります。


「殿下の右、手? 前足? を……」

「どうぞ」


 皆まで言う前に、差し出されました。

 ふわふわむくむくで可愛らしいです。


「きゃうん?」


 声も可愛らしいです。


「エミリア様?」

「はっ! ……いえ」


 あまりの可愛さに意識が飛びかけました。

 こんな事をしている場合ではないのです。


「……失礼いたします」


 私は一言断って、その小さく白い前足に、ブレスレットを填めました。

 途端、また先ほどのように子犬が光り出し──


「グレアム、コート」


 シリル様の声が聞こえると同時に、光は収まりました。

 そして、私の目の前には。


「──っ?!」

「……え、あ? 戻った、のか?」


 全裸のクリストファー殿下がいらっしゃいました。


「……いっ、ぃやぁああああ?!」

「エミリ、ぶっ?!」


 私が今度こそ叫んで背を向けると同時に、視界の端で護衛のグレアム様にコートを被せられている殿下が見えました。




   ***




 昔々はこの地に「魔法」というものが存在した。そしてそれは魔法使いによって世界の均衡を保つだとか、逆に生活の向上を目指すなんだとか、色々と人間に関わっている代物だったと言われている。

 ドゥーナの国にも魔法使いはいた。しかし、その魔法使いは周りとの距離をとり変人と呼ばれていた。けれどひょっこりと、人里に下りてくる事もあったという。

 そんな“ひょっこり”が、王宮で起こった。

 突如魔法使いが王宮に現れた。周りは騒然とする。衛兵や騎士達に槍や剣を向けられながら、魔法使いはあっけらかんとこう言った。


「ちょいとお祝いをしにきたよ」


 二日前、王女ばかり続いた王家に待望の王子が生まれたところであった。魔法使いはその王子誕生の祝福に来たのだという。

 本当に祝福しにきたのか? 周りは疑念の目で魔法使いを見る。

 けれど、下手に手を出して魔法使いの危険を損ねれば、国土全てを焼き尽くされる。

 追い返すことも出来ない。その上、魔法使いには物理攻撃など効かないという。

 王は警戒しつつも、その王子のもとに魔法使いを通さねばならなかった。

 生まれたばかりの王子は籠の中ですやすやと眠っており、そばに不安げな顔の王妃が座っている。


「やあ、初めまして」


 魔法使いは軽い口調と足取りで、くるくると踊るようにその近くまで寄った。


「君に、君達に、いつかの君達へ」


 王子をのぞき込むようにして跪く。長い黒髪がふわりと舞い上がり、王子と魔法使いが光り輝いた。

 王妃はとっさに王子を抱き上げる。騎士達もあまりの事に魔法使いへ手を伸ばす。


「喜んでくれるといいのだけど」


 言い終えると同時に、魔法使いは無数の光る蝶になった。

 周りは呆気にとられ、いつの間にかその蝶の群も、雪が溶けるように消えてしまう。

 そこでやっと、王妃は腕の中の違和感に気付いた。恐る恐る目をやれば、そこには──




   ***




「そこには、真っ白な毛並みの子犬が眠っていた」


 殿下がおっしゃいます。

 着替え終えた殿下に呼ばれ、また執務室に入ると、来た時のよう二人用肘掛け椅子に促され、私はそこへ座り、その話を聞いていました。


「……」


 私はおとぎ話のようなその話を、なんとか記憶するので精一杯でした。


「王妃は悲鳴を上げ、場はまた騒然とする。そこに魔法使いの声が響いたという」


『あ、人間にする時にはその腕輪を填めてね』


 王子が眠っていた籠の側、その絨毯に埋まるように落ちていたそれが、後の『祝福の腕輪』。

 騎士はその腕輪を恐る恐る持ち上げ、侍女に手渡し、侍女も震える手でそれを王妃の御前に差し出したと言います。

 周りに支えられながらなんとか意識を強く持った王妃様は、その華奢な腕輪を手に取り、子犬の前足に填めました。

 すると子犬は光り輝き、人間に──王子に戻ったというのです。


「……それは、祝福なのですか?」


 何をどうお祝いしようとしたら、人を犬にしようという思考になるのでしょう。


「今持って不明だ。しかしかの魔法使いが“祝福”と言っていたからには、そう受け止めないと何かあるかも知れないと……」

「なる、ほど」


 ドゥーナの国で一番力を持っていたのは、その魔法使いだったという事ですね。


「……ひとつ、お伺いしても?」

「ああ」

「その当時の王子様への祝福が、なぜ殿下に?」


 そこが一番の謎。昔々のお話ならば、今の王家や殿下に直接関わりはない……と、思うのですが。


「……先祖返り、らしい」

「は?」

「私は、その祝福を受けた王子の特徴を多く持つのだそうだ。そしてそれはなぜか、祝福さえも受け継いだ」


 殿下は生まれて二日目、乳母の目の前で光り輝いて子犬になった、のだそう。


「……理屈を、越えておりませんか」

「それが魔法というものだと、どの研究者も口をそろえて言う」

「はぁ……」


 私はもう、それしか言えませんでした。

 けれど、殿下の口から出た次の言葉に目を見張りました。


「婚約を解消するなら今だ。私は正直……解消を勧めるが」

「……はい?」

「勿論、君やアルベール侯爵家の名に傷が付かないよう手配はする」

「いえ、あの」

「どうだろうか」


 どうだろうか、と申されましても。


「私、不手際をしてしまったのですか?」

「え?」


 驚かないで下さいな。その顔をしたいのはこちらです。


「突然、婚約解消と仰るんですもの。今の話とどう繋がるのか、恥ずかしながら私には分かりかねるのです」

「……のろ、祝福されてるんだぞ?」


 呪いと言いかけたのでしょうか。


「気味が悪くないのか?」

「いえ特には」


 殿下は呆然とした顔になられました。


「子犬であっても殿下は殿下で御座いましょう?  祝福でもあるという事ですし。私が婚約者に相応しくないというのなら話は別ですが──」

「それはない」


 間髪入れずに否定されました。


「……ありがとうございます。ならば問題はないのでは?」


 今日の要件はこれだったのですね。やっと理解しました。


「……そうか、そう……か……」


 顔をうつむけて、細く息を吐いていらっしゃる殿下。

 それは安堵か、落胆か。私には掴めませんでした。





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