第3話 記念日

 高校に入って僕は必死で勉強した。有栖の残された時間があまりにも短くて、無力感で押しつぶされそうになる。


 高校は病院から歩いて30分程度だったので、自転車通学を申請して、有栖には出来る限り会いに行った。


 体調がすぐれず会えない日も多く、会えてもベッドで会話するだけの日も増えていった。


 診察してくれた先生とも顔見知りになっていたので、病状などを聞いてみた。


「医学部目指してるんだってね」


 医師は嬉しそうにニッコリと笑った。


「久保さんが言ってたんだけどね。治そうと必死になってくれてて、それだけで充分って」


 医師は優しい笑顔で僕にそう言った。


「治療の可能性はありませんか?」


「うん、久保さんから聞いたかね。彼女の病気は非常に珍しい病気だ。遺伝子疾患の病気でね。そもそも、患者数が少ない。しかもね」


 医師は悲しそうな表情をする。どれだけ必死になって治そうとしていたのか気づいてしまった。


「脳の一部だから、摘出手術もできない。抗がん剤も癌じゃないからね。難しいんだ。学術系論文も読み漁ったけども、これと言った治療薬もなくてさ」


「ありがとうございます。そこまでしてくれて」


「僕は何もできてないよ。発症を遅らせる薬と痛みを和らげてあげるくらいしかできてない」


 患者数が少ないと言っても全世界には、この疾患で悩む患者が数千人はいる。他の病院を見ても有栖は長生きしているくらいなのだ。


 くそっ、なまじ医学部志望で、勉強の合間に医学書を読み漁ったために、有栖の置かれてる状況がどうしようもないと分かってしまう。


 確かに夏を迎えられないかもしれない。


 何もできない自分に腹を立てながら、勉強に逃げた。自分が医学部に入って医者になるまでの時間を考えたら、間に合わないことは明白だった。


 それに……。


 医者になっても、治せないことも明白だった。


 何もしていないと押しつぶされそうになる。


 勉強をする事しかその苦痛から逃れる術がなかった。有栖を治すために医師を目指したのに、いつのまにか現実から逃げるために勉強をしていた。


 寒い冬が過ぎさり、暖かい春になっても有栖と会えない日が続いた。


 最近は会いに行くと有栖のお母さんがいて、ごめんねと謝られる。


「僕こそごめんなさい。何もできなくて……」


「有栖は感謝してるよ。最近はうわごとのように言ってる」


「ありがとう……」


「有栖のうわごとだね。ちょっと顔見てあげてくれるかな」


 病室に入ると幸せそうに寝ている有栖がいた。点滴からゆっくりと液体が注入されている。


「篤史、……友達になってくれて、ありがとう」


 有栖はゆっくりとした口調で呟いた。夢を見てるんだ。夢の中で僕にお礼をしていた。


「一緒にいてくれてありがとう」


「何を言ってるんだ。これからもずっと一緒だよ」


「篤史くん……」


 思わず声に出てしまい有栖のお母さんにやんわりと止められた。無理をさせてはいけない。


「あれ、篤史くん。もしかして、そこにいるの」


 僕の声に有栖は起きてしまったようだった。有栖のお母さんが話してあげてと微笑んだ。


「うん、今学校の帰り」


「今日って……」


「うん、今日は有栖と会った日だよ」


「そなんだ。記念日か……お祝いできなくてごめんね」


「そんな事ないよ。僕だってこのくらいしかできなかったし……」


 用意はしてたけれど、今日は渡せないと諦めていた。引かれると思ったけれども、プレゼントはこれしか思い浮かばない。


 有栖はゆっくりと起き上がると僕が出した箱をじっと見た。


「お母さん、ちょっと飲み物買ってくるね」


 気をつかってくれたのか有栖のお母さんが席を外してくれた。


「……これは?」


「開けてみて欲しい」


 小さな箱のブランド名から中身が分かったのだろう。頬を赤らめて、箱を開けた。


「ティファニーの指輪……」


「幸せにしますなんて言えないけど、将来結婚して欲しい」


「ありがとう。高かったでしょう」


 有栖は涙を浮かべて僕を見た。


「これはね。ファッションリングとして貰っておくね」


 有栖は左指に付けずに右指に付けようとした。


「婚約指輪としてもらって欲しい」


「駄目だよ」


 有栖は嗚咽混じりの声ではっきりと言う。


「わたしは、篤史の負担になりたくない」


「負担になんかならないよ」


「わたしね。もう長くないって分かってる。わたしが死んだらね。こんなもの貰っちゃったら篤史きっと、他の女の子と付き合えないよね」


「当たり前だろっ」


「駄目だよ、それは……」


「なんでだよ。僕は有栖以外の女の子を好きになることはないよ」


「なら、受け取れない」


「なんでだよ。僕の気持ちわからないの」


「分かってる。分かってるから駄目なんだよ。篤史くんはわたしに縛られるべきじゃないんだ」


 僕はもう誰も愛さない。心に決めていた。でも、ここで口論するのは良くはない。


「じゃあさ、今は僕の婚約者という事で良くないかな」


「良くはないけども……、まぁいいや」


 有栖は少し考えてから、手を伸ばしてきた。


「じゃあさ。篤史くんが好きなところにつけて」


 僕は指輪に手を伸ばすと有栖の左手薬指につけた。入らないかドキドキしたけれども、看護師さんから聞いた指のサイズは完璧だった。


「凄いピッタリだね。ありがとう」


 涙混じりの声で有栖が笑った。




―――――


婚約指輪。悲しい話ですみません。

このお話は二部構成の予定になってます。


よろしくお願いします。


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