第2話 合格とバレンタイン

 僕の退院してからの日課は、病院に通うことになった。


 毎日、病院に行ったが有栖の体調は、日によって大きく変化した。会うと我慢しそうなので、年配の看護師に今日の有栖の様子を聞いて、体調の悪い日はそのまま会わずに帰宅した。


 目標が決まったからだろうか。僕の成績は徐々に伸びていき、中学三年最後の模擬試験で学年トップを取るまでになる。


 最初、国立の医学部に入ると言った時には期待しないで応援してるよ、と笑っていた母親も成績が上がるにつれて目を丸くして驚く。祖父母からはトンビが鷹を産んだのかと大騒ぎされた。


 僕は高校入試で県下最難関の高校に合格した。喜んでその日のうちに合格証書を持って有栖に会いに行く。


「凄いよ。勉強頑張ってたと聞いてたけども、わたしにあまり言わないもん。あーあ、これでどんどん遠い人になっちゃうね」


 頬を膨らませて、不機嫌そうな表情をする。


「いや、まだまだだよ。学力なんていくらあっても、有栖を治すのに全く足りないんだ」


 僕が悔しそうに唇を噛み締めると、有栖はびっくりした表情をした。


「嘘だよね。あの時の約束実現しようと思ってるなんてことないよね」


 僕は迷うことなく首を左右に振る。


「指切りまでしたから、絶対有栖を治すよ。医者になるまで待っててくれよな」


 有栖は後ろを向いて、そのまま固まってしまった。


「どうしたの?」


 ちょっと和ませようと有栖の肩に手を置くと、肩が震えている。僕は有栖がなぜ後ろを向いたのかハッキリと分かった。


「無理しなくていいんだからね。わたし、本気で治してもらいたいと思ってないからさ」


 嗚咽混じりの声で、やっとのことでそれだけを言う。


「大丈夫だよ。有栖のためだけじゃないよ。 勉強をすればするほど楽しくなってきたんだよ。有栖のおかげだよ」


「わたしね。何にも返せてないよ。こんなに必死に頑張ってくれてるのに」


「何も返さなくていいよ。有栖が生きてさえいてくれれば、僕はそれだけで幸せなんだ」


 有栖は振り向いて、じっと僕を見た。その瞳は涙でボロボロだった。


「合格祝していいよね」


「えっ、何かしてくれるの」


「うんっ、大したことはできないけどね」


 思い返してみると、有栖と付き合って一年あまり、色んなことがあった。夏休みには、病院の隣にある海辺にふたり座って、夕陽が沈んでいくのを楽しんだ。


 クリスマスには僕が買ってきた小さなケーキでお祝いした。有栖は少ししか食べれなかったけれども、嬉しそうな表情をしてた。


 お正月には、有栖のお母さんの手作りおせちをふたりで食べた。


 健康であれば、街を歩いたり、一緒に外食したり、海水浴に行ったりもするだろうけれども、そんなことしなくても有栖と一緒なら楽しかった。


 お見舞いを続けていると有栖の両親や妹を紹介される。


 初めは緊張したけれども、みんな彼氏ができたことを自分のことのように喜んでくれた。


 僕と有栖は祝福されていた。


 合格発表から数日経ったある日、有栖がこの日に病院に来て欲しいと日にちを指定してきた。


 二月十四日だ。流石の僕でも分からないわけはないが、有栖が内緒と楽しげに話すのを見て気づかないふりをして、その日が来るのを楽しみに待った。


 二月に入って有栖の体調は安定していた。気分の悪い日も少なくなってきていたから、治ってしまうな気がしていた。


 二月十四日に病院を訪れると初めて出会った桜の木の下に連れて行かれた。


 桜はまだつぼみにすらなっていなかったけれども、去年の楽しい思い出を思い出す。


「あのね、これあげるね」


 有栖はチョコレート専門店の袋から、チョコレートを取り出して僕に嬉しそうに渡してくれた。


 高級なものを買ってくれたんだ、と喜んで中身を見て驚く。


「これ、手作り?」


「だよっ、頑張った」


「どうやって作ったんだ?」


「あのね……」


 有栖は満面の笑みを浮かべて、僕に少しはにかみながら身体を預けてくる。


「病院の厨房貸してもらったんだ。看護師さんが何人も手伝ってくれたので、わたし一人の力じゃないんだけどね」


 と笑みを浮かべた。有栖は普段立ってるのだって、大変な時がある。そんな有栖が僕のために手作りチョコを作ってくれたと聞いて、胸の辺りが温かくなった。


「あのさ、キスしていいかな」


「そゆこと、聞かない……」


 少し不満そうに僕の方を向く。唇をすぼめて僕の方に顔を近づけてきた。


「あははははっ」


「なんでよ」


「いや、やる気満々じゃないか」


「仕方ないじゃない。今しとかないと後悔してもし切れないんだから」


 その言葉がやけにリアルで残された時間が僅かなことに気づいてしまう。僕はそのまま、有栖に抱きついて唇にゆっくりと近づいた。


 初めてだからだろう。有栖は少し震えながら、僕の方に近づく。


 ゆっくりと距離をつめて、僅かに唇に触れた。


 キスの味とかしなかったが、有栖の心地よい匂いに触れたような気がした。


 目の前の有栖は頬まで真っ赤になる。


「もう、嬉しすぎて死んでもいい」


「いや、それ洒落にならないから」


「あはははっ」


 ふたりして笑いあった。


 それからふたりして、横に座り余韻に浸っていると、有栖が小さな声でささやいた。


「あのさ、一年前の約束忘れていいからね」


「えっ!」


「さすがにもう、時間もないんだ。わたしにだって分かる。お医者さんもね……」


 その後の言葉でここ最近、無理をしていたことを理解した。


「夏までは持たないんじゃないかって……」



―――――


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