第3話 いつも、心に。


 スポーツバッグを肩に掛け米袋を肩に乗せながら夕焼けの光を背に受けてのんびりと歩いていた順は、区立公園の入り口を見て、ぴたり、と足を止めた。


 緑に囲まれた、大きめの公園。順は、街で会ったかつての上司の言葉を思い出していた。


「そういえば、最近ひったくりと痴漢があったって木島さん巡査長言ってたな。まだ俺の事を部下だって思ってくれてるんだろうな……少し見ていくか。あっちの出口、マンション方面だしな」





 出入り口の配置。

 人が溜まりやすい場所。

 隠れやすい所。


 順は取り出したタブレットで、マーキングしていく。


(ひったくりのあった場所と痴漢のあった場所はここに、ここと、この地点……後でデータを木島さんに……ん?)


「ううっ……ぐす。ひっく……ひっく」


 聞こえてきた泣き声。

 目をやった順は、ベンチに座る子供を見つけた。


 順は集中して、辺りの気配を探りながら駆け寄る。

 

(怪しげな気配はない、か)


 ふう、と息を吐き、泣いている子供に近寄っていく。

 

 頬にかかる髪が、俯いた顔に垂れている。黒いランドセルが子供の横、ベンチに置いているのを見た順は、男の子だとあたりをつけて声を掛けた。


「どうしたんだい?」


 びくり!と体を震わせた子供が顔を上げた。涙に濡れるパチリとした大きな瞳と目が合った。ハーフのように整った顔立ちの少年である。


「おじさん、だあれ?」

「公園を通りかかったら泣いてる君を見つけたんだ。どうしたの?」

「……知らないおじさんに言いたくない」


 そう言っては、また瞳に涙を溜めていく姿を見た順は、怖がらせないように遠すぎず近すぎない距離で屈み込んだ。


「落ち着いたら一人で帰れるかい? うちは近いの?」


 こくり、と頷く少年。


「じゃあ、おじさんは君が落ち着くまでそこのベンチに座って仕事してていいかな。迷惑かもしれないけど、昔警察で働いててさ。君みたいな子供を放っておけないんだ」

「え! おじさんお巡りさんだったの?!」

「昔ね」

「カッコいい! 悪いやつらをいっぱい捕まえたの? 聞きたい聞きたい!」


 少年がベンチから立ち上がり、興奮した顔で見上げてくる様子を見た順は大きく頷いた。


(そこに食いついたか。ま、元気になるならいいか)


「おじさん、ここ座っていいよ!」



 再びベンチに腰を掛け、それでもしっかりと順が座れるスペースを用意した少年に微笑んだ順は、少年の横に座ったのだった。



「そうか、悠多ゆうた君は女の子みたいだってからかわれるんだ」

「僕だって男らしい顔になりたかったのにさ?」


 悠多と名乗りを上げた少年は唇を尖らせた。その表情と雰囲気から、まさに膨れっ面の女の子にも見える。

 

「言い返したりはしないの?」

「はじめは怒ったけど、あっちは人数いるし、それに段々人数が増えて……ズルいんだよっ。こっちは一人しかいないのに」

「それじゃ悔しいよなあ。味方はいないの?」

「いる。でも、こっち来ないでって言ってる」


 予想外の言葉に目を見開く順。


「どうしてだい?」

「……だって一緒にいじめられちゃうよ。あいつら、優しいけど弱っちいからさ。だから僕が……守って、あげないと……僕が、我慢すれば……」


 悠多の言葉が尻すぼみになり、その顔が不安げに地面に向いた。


 ぽつり。


 ぽつり。


 地面に、涙でできた黒い染みが増えていく。


(いじめられてもこの子がへこたれていないのは、仲間を守りたいって気持ちが支えになっているのかもしれないな。でも、いつかは心が折れてしまう。何か……)


 健気な少年に何かできる事は無いか。掛けてやれるべき言葉は無いか、と順は考える。


「……悠多君、格闘技か何かしてるの?」

「悔しいから、空手始めたんだよ! 見て! どう?」


 腕でゴシゴシと涙を拭いた悠多が腕まくりをし、白く可愛らしい二の腕を順に見せた。

 

 そのあまりの無邪気さに、順は娘のなつきを思い出して頭を撫でそうになり、危うく思いとどまった。 


「おじさん、力強そうだね! 僕よりスゴイ?」

「ん? あ、ああ。おじさんも悠多君に負けないぞ? ほら」


 順が腕まくりをし、肘を曲げた。悠多の目の前で、順の二の腕が大きく盛り上がった。


「うわー! すっごーい! カッコいい!」



 悠多が興奮して力瘤ちからこぶをペタペタと触っては叫ぶ。


「僕がこんなだったら、イジメる奴ら全部ぶっとばしてやるのに。ね、ね! どうしたらこんな風になれるの?」

「……悠多君、体の筋肉だけじゃ強くなれない。大事なのはココさ」


 力瘤を作っていない左腕で、順は左胸を押さえた。


「ハートが強くなきゃ、鍛えても駄目。ハートにこそ、筋肉さ」

「ええー。筋肉がすごかったらそれだけで十分だよ。ケンカ勝てるじゃん! ハートに筋肉って意味分かんないし!」

「じゃあ質問だ。知らない相手とさ、絶対に負けられない闘いをするとしたらどうする?」


 順の問いに、唇を尖らして、むむむーと考える悠多。


「ヒーローみたいにぶっ飛ばせばいいじゃん」

「ここで諦めたら、大切な人がひどい目にあう。悲しい思いをする。そういう時に自分を立ち上がらせるのがハートの筋肉だよ。『もうダメだぁ』って思いながら力が出せると思う? 自分が諦めた時が終わりなら、諦めないで自分の大切を守れたら……勝ちなんだ」

「んー、よくわかんない。でも、まずはハートを強く、だね!」


 首を傾げる悠多に、微笑む順。その脳裏には、今はここにいない最愛の家族、妻の綾佳と一人娘のなつきの姿を思い浮かべた順は、目尻に浮かんだ涙を悠多に見られないように慌てて振り払った。


「あはは、そうだね難しかったか。でもさ、無理せずゆっくりとでいいんだ。心も体も少しずつ強くなればいい」

「うん、わかった! ようし、ハートに筋肉つっけるぞお!」


 すっかり元気を取り戻し、顔いっぱいに笑った悠多が、順の顔をまじまじと見上げて不安げな顔をした。


「おじさん、大丈夫? イジメの話を聞いて泣きたくなったの? ごめんなさい! 僕頑張るから泣かないで!」

「そ、そうじゃない! そうじゃない!」


 順は慌てて否定し、弁解した。


「おじさんにも悠多君と同じくらいの年の子供がいてさ。思い出してたら懐かしいなあって。」

「……? おうちにはいるんでしょ?」

「……事情があってさ。今はいないんだ」

「……」

「……」


 言葉を探す二人に、沈黙が訪れる。

 

んだ。ごめんごめん」


 失敗した、と順は歯噛みする。


(愛する家族を守れなかったのは、自分が弱かったからだ。それを棚に上げて感傷に浸るなんて……最低だ。話題を変えないと)


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