第2話 この優しい世界の、歯車でありたい。

 平日の、午後五時。


(あ、そうか。米、もう無いんだったな)


 駅ビルの中の大型スーパーでヒーローショーのスーツアクターの仕事を終えたを終えた四ツ原順は、自炊用の食材を仕入れに来ていた。


 精悍で、彫りが深く整った顔立ちに、ぴしり、と伸びた背筋。Vネックのセーターから覗く、緩めの白いシャツ越しの引き締まった胸板、といった隠しようもない男の色気に、すれ違う女性達が二度見をしたり立ち止まったり頬を染めたり、と忙しい。


 ちらり、と女性達を見た順。


(……面識のある人か? 思い出せないが……俺も綾佳も交番勤務をしていたし、なつきが生まれてからは父母会絡みで、もあるか)


 順の胸がズキリ、と軋む。


 大切な家族との思い出に。

 幸せだった頃の記憶の欠片に。


(……会釈をしておくか。はは、感傷的になっちまった)


 順と目が合った後に頬を染めては立ち尽くす女性達の姿を不思議に思いながらも会釈をし微笑んだ順は、予定通りに米売り場へと歩を進める。


 その背中に、女性達の甘いため息は届いていない。自己評価が低くストイックな順は愛する家族がいる、という思いもあり、周りの異性達からどのように見られているかという事に全く無頓着なのである。



 順は10キロの米を軽々と抱え、買い物カゴいっぱいに詰め込んだ商品を片手にレジにたどり着いた。


 ピッ。

 ピッ。

 ピッ。

 もぞ、もぞ。


 ピッ。

 ピッ。 

 もぞ。


 たどたどしい手つきで商品をバーコードにスキャンする、研修生と書かれたネームプレートのレジ係に順は目を細める。


(新人さんかな? 顔、真っ赤っかだ。何回もエプロンのポケットに手を入れようとしてるし、アンチョコ見たいのかな? ……大丈夫だよ、大丈夫。急いでいないからゆっくりゆっくり、落ち着いて)


 順はのんびりとスマホを取り出して、急いでないよ、のアピールをした。


 すると。


「あ! お、重い……!」


 米袋をスキャンして会計済みのカウンターに移動させようとするレジ係が苦悶の声を上げた。


「重いよね、持つよ」


 声をかけて手を伸ばした順とレジ係の指が重なる。

 

「あっ!」

「あ、ごめん! よいしょ」

「ご、ごめんなさい!」


 米袋から手を離したレジ係が、慌てて手を引っ込めた。


「ごめんね重い物持たせちゃって」

「い、いえ! 私こそ不慣れでごめんなさい」

「これで全部かな? 支払いは……」

「は、はい!終わりまった!お、お支払いはタッチ決済でよろしいでしゅかっ!」

「?……お願いします」


(あれ?この子、俺と誰かを勘違いしてる? ……ま、いいか。落ち着いて、落ち着いて)


 カードを端末にかざして決済をした順に、またエプロンのポケットに手を入れようとするレジ係が声を掛けた。


「あ、あのっ!」

「ん?はい」

「あ……あ、の。あ、ありがとうございましたぁ!」

「君も頑張ってね」


 ニッコリと笑ってレジ係を励ました順が、買い物かごを持ってレジから離れていく。


「私の馬鹿。馬鹿馬鹿。連絡先……ヒーローさん、助けてもらったお礼……言わないとなのに」


 レジ係はエプロンのポケットに入れた紙切れを一度握りしめた後に、次にレジに買い物カゴを乗せたお客に笑顔を向けた。


「いらっしゃいませ」



(あの子、顔を真っ赤にしながら一生懸命頑張ってた。微笑ましくて、元気もらえたな。ありがとう)


 順はスポーツバッグに買った物を入れながら、思わずクスクス、と笑ってしまう。そして、その温かくなった心を噛みしめるようにして、順は思う。

 

 悪は、悪意は、消えることはない。それでも、立ち向かおうとする力や想いは決して、世界から消えない。誰にも消す事ができない。


 平穏な暮らしがあれば、生命はもっともっと頑張れる。だから、家族を守れなかった馬鹿な俺はせめて……優しく、温かいこの世界の、この愛おしい世界の歯車でありたい。


 この命、ある限り。

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