第34話 後 約束された誤解

俺は小さい世界を見てきた。

隔離された空間、人間関係、娯楽。

小さな水槽の中を泳ぎ、その世界が全てであると感じていた。


テストで1番になりました。

友達の悩みを解決しました。

自分の生き方を見つけました。


で? だから?


十蔵さんが通ってきた道と、俺の道。

もはや比べるに値しない。圧倒的な差がある。

下剋上だなんて烏滸がましい。俺には何もない。


たかがゲーム、されどゲーム。


俺の汗はポタポタと滴る。十蔵さんは滴らず。

能面を被ったみたいに笑っている。

俺はこの人に、全力を出させることなく敗北するのか?


「ほほほ。

 私にこのまま負けるなんて、悔しいですよね?」


「……すぅ、はぁー」苦しくて返答できない。


だが十蔵さんは俺の様子を見て笑う。


「だからっ、言ってんだろっっ、まだやれるって……」


プツン


音が鳴る。思考が途切れる。


あれ? 地面が近づいて……




闇夜、月がひとつ。

ペンションの手前、駐車場には車が2台。

クソ長いリムジンと、黒の普通車。

駐車場と言っても白線などないので、気持ちばかりに並んで止まっている。


ペンション内は騒がしい。

先刻までは室内に3人しかいなかった。

現在は7名、なお1名は就寝中である。


「ほほほ。

 中々楽しかったですよ」


十蔵はキッチンで、紅茶を人数分注ぐ。

テーブルには涼音、四葉、葵が座っている。

雨宮の話をしていた。


「雨宮、運動不足……」


「ツイスターゲームで気絶するするってマジ?

 負けず嫌い過ぎるよー!」涼音は楽しそうに言う。


「負けず嫌いも立派な才能ですよ」


十蔵は紅茶をテーブルに置き、自身も涼音の隣に座った。

4人分の椅子しかないテーブルなので、雫と明日香はいない。


ロフトにあるベッドで雨宮の介抱をしている。


「この子、昔っから無茶なことばっかりするから。

 目、離せないんだよね」


雫は雨宮の額に、濡れタオルをそっと置く。

その所作は慣れており、一度や二度行ったわけではなさそうだ。

瞳も柔らかく、雨宮を眺めている。


「……コイツの、雨宮の好きなものってなんですか?」


藪から棒に口が動いた。正直、私も驚いている。

どうしてコイツに執着するのか。


あの時、聞きそびれた好きなもの。

いや、雨宮は口先だけでは答えてくれた。すぐに嘘だと分かったけど。

いかんせん私は嘘を見抜けてしまう。


「優の好きなもの?」


「はい」


海野さんもピンときていない様子。

彼女の綺麗に整った顔立ちが少し曇った。


「知らないね。ずっと見てきたのに」


「そう、ですか。やっぱり、彼はそういう人なんでしょうか?」


「どういう人?」


「……好きなものがない人」


存在するのだろうか。そういう人。

少なくとも、私は会ったことがない。


「優はもしかしたら、まだ見つけてないのかもね」


「見つけてない……」


「うん。これからってこと」


しっくりきた。なるほど。


「それじゃあ、私がす──」


ごくん。言葉を飲み込む。

私が? 私が、なんで言おうとした?

私が、好き、に、なるかも?


「んー? どした?」


「あっ、いえ。なんでもないです」


顔が熱い。

心臓がうるさい。待って、違う違う違う。

あんな冴えない男、好きじゃない。


あんな、あんな……。


私をアイドルから引っ張り出した男なんか。

パパとギリギリまで戦った男なんか。


「ふーん、そっか」


雨宮を見ながら、海野さんがそう呟いた。

突然、彼女が敵に見えてしまった。

それも巨大な、頑強な。倒さないといけない敵に。


「優はやめときな。ちょー面倒くさいから」


「……別に狙ってませんよ。コイツなんか、どうでもいいです」


「ならよかった」


ふふん、と笑う海野さん。

この人の好きなものは、なんとなく分かった。

目の前にいる男を見る目が違う。


母性的ではなく、女性的。明らかに違う。

まぁ、どーでもいい。

私達はその後、ゆっくりと雨宮の元から離れた。

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