第29話 山に向かい、沈まない

7限終了のチャイムが鳴る。

すると、皆の空気が一気に緩む。

今日を乗り切った顔の者から、まだもう少し頑張ろうとする者。


悲しきかな、俺はそのどれにも該当しない。

腹がキリキリと痛み、これから向かう先への恐怖でいっぱいだった。


これから向かう先。要するに、部室でございます。

俺はアニメ部とかいう、ふざけた部活に強制参加させられている。

それだけならまだ良い。それだけなら。


問題は俺が、『アニメ部の発足以来、一度も参加していない』という件である。

今日思い出した。しかも今朝、四葉からの伝言で。


──明日香ちゃん、すごく怒ってるよ。


と、四葉からの一言。

その時の悪寒は、軽く凍死できるくらいだった。

むしろ、その時死んでいた方が楽だったかもしれない。


机に肘をついて顔を支え、窓の外を見る。

夏に差し掛かっているから、まだ明るい。

今日という日が、永遠に続く気がした。


「なーに黄昏れてんのよ?」


前の席から、カラッとした声。聞き覚えがある。


黒咲だ。


いつの間にかホームルームは終わっていたらしい。

周囲に彼女以外の気配はしない。


「シカト? 

 アンタ見ないうちに、借金のこと忘れちゃった?」


「……部活の件はすみませんでした」頭を下げる。


そんな俺を、前の席に座って見る黒咲。

黙っていたので、顔を上げて様子を見る。


「ふーん?」凛々しい瞳の奥底で、ほくそ笑んでいるようだ。


機嫌がいいのか、悪いのか……。

よくわからないところが余計に恐ろしい。


「まぁ、謝るならいいわ。

 今回は不問、次やったら……ね?」


無言の圧力によって、腹の底が冷えてしまう。

やっぱりコイツと対等になるのは無理だ。

圧倒的な権力がそこにある限りは、俺の付け入る隙などない。


「うす」今は従順にしよう。


「分かればいいの。

 でね、今日はアンタに頼みたいことがあるんだけど……」


黒咲の発言は、尻すぼみに小さくなる。

その後に少し黙り込んで、モジモジと。いじらしい一面を覗かせた。


誰? こんな可愛い子いた?

ついさっきまでの番長スタイルから、突然の女の子スタイル。

高低差激しい系女子、黒咲明日香。


「どうした黒咲?

 そんなに恥ずかしいことなんか?」


「その……」


俯いた顔を、下から覗き込む。そっぽを向かれた。


「お礼……まだだったから」


「あ? お礼?」


コイツになんか奉仕をしたっけ?

覚えが、覚えが全くない!


「うん、アニメ部のお礼……」


「マジで言ってる?

 てか、あれは借金の埋め合わせだったろ?」


「あれは半分冗談。

 断られたくなかったから、都合のいいようにね?」


以外や以外。

黒咲にも義理人情があるというのか。

人を無償で雇う鬼畜だと思っていたが、改めたほうがよろしいな?


「半分冗談? もう半分は本音ってこと、か?」


「うん、半分だけ。ふふっ」また、ほくそ笑む。


危ない。期待値の高低差で騙されるところだった。

多分こうやって闇金は負債者に漬け込むんだ。


「で、お礼にくらい付き合ってくれるわよね?」


すっかりいつもの調子で聞いてくる。

黒咲は前の机から身を乗り出して、俺の机の上に肘を置いていた。

もはや断られるなんて微塵も思っていないだろう。

実際、俺も断る気は起きないが。


俺は多分、一生黒咲に従順なのだと思う。

こういう突然のお願いですら、恐怖に支配されて否定できないのだから。


「あぁ、行く。

 別に今日、約束ごともないしな」


「ほんと?」黒咲の表情は、明るくなる。


「うん、ほんと」


「ふふっ、まぁ? 当然よね?」


おー、マジで嬉しそう。

たったこれだけで、いいことした気分。

見えないところでは、断られる可能性に怖がってたんだな。

そういうところは微笑ましい。


少し、頬が緩んだ。


まだ空は明るい。日の沈む気配もない。

夏は青春が捗るね。もういっそこのまま、白夜であってもいいくらいだ。

でも多分、白夜だったら夜が恋しくなるんだろう。

人間やっぱり強欲だ。




「なっっっが!」俺は度肝を抜かした。


校門を出て、黒咲が一時停止した。

どこかに電話をかけ、その後数分。

目の前の道路になっっっがいリムジンが止まる。


「漫画じゃねぇか、これ曲がる時どうすんだ?」


「ほら、つべこべ言ってないで乗りなさい」


そう言って、慣れた様子でリムジンに乗り込むお嬢様。

やはり庶民とは感覚が違う。そう思いつつ、乗り込んだ。


「いつもこれに乗ってんのか?」


「まさか。

 いつもはもっと小さい車よ。今日は客人いるから、コレを手配しただけ」


リムジン内は2人きり。

ふっかふかの座席に向かい合わせで座る。

びっくりするくらい外の雑音も聞こえないので、本当に2人きりだ。

少しだけ気まずい。


「どこ行くんだ? デパート的な?」


窓の外を見ると、この町でも栄えたところを走っている。

俺の想像だと、お嬢様のお礼はデパートの高い物を買う。

ここは図々しいくらいちょうどいい。


「山よ、うちが所有してる山」


「俺、もしかして埋めら──」


「埋めないわよ!

 私を何だと思ってるわけ!?」


埋められると、結構ガチで思った。

だって

『アンタがいなくなれば、

 借りを返すなんてしなくていいでしょ!?』

みたいなこと、言いそうなんだもん、この人。


さてと、鳥肌をしまいまして。


「だったら、埋める以外に何しに行くんだ?」


「ふふん、それは着いてからのお楽しみ」バチーンと下手なウインク。


これで元アイドルだなんて、さぞ人気があったに違いない。

やっぱり、やめさせてよかった。

俺はこの時、初めてそう実感した気がする。


俺達を乗せたリムジンは、郊外に差し掛かっていた。

日は少し傾いている。

……マジで埋められないよな?

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