第30話 人は案外見た目じゃない

黒咲家が所有している山に向かう道中。

しばしば無言の時間が過ぎて、それから少しした現在。

田んぼの広がる窓に、黒咲の姿も映っていた。

スクロールする景色とは対照的。静かに頬杖をついている。

退屈そうだなと思った矢先、彼女は沈黙を破った。


「アンタって、好きな物とかあるの?」


俺たちは顔を合わせない。それでも会話は続いた。


「ある……と思う」顎に手を当てて、考える。

「あるなら早く言ってよ」

「そう急かすなって、今考えてるから……」

「早くしてよね?」


黒咲は彼の実態を掴みたかった。

実態を掴んで、心のモヤモヤを払いたかった。

もしくは単純な興味だが、彼女は「興味ではない」と否定するだろう。


人間の内面って、好きな物で分かるのよね。


アイドルをやっていた時、私はその事に気付いた。

そして幸い私には、人間の好きな物を見抜く才能もあった。


あの人は優しい。

あの人は怒りっぽい。

あの人は酒癖が悪い。


半ば本能的に抱いたイメージだけど、大抵は的中する。

だから仲良くする友達も選べるし、離れるべき相手からもすぐに身を引ける。

私の気づきは完璧に、私の才能を引き立たせた。


だけどアイツは、アイツは……。


彼の方を見ると、彼は大袈裟に腕を組んで唸っている。

あーあ、だからネクラ男は嫌いなのよ。


「まぁ、強いて言うなら、ゲームとか?」

「……ゲーム?」


違うな、と一瞬で理解した。

心のモヤがまだ晴れてない。

ってことは、彼の言っていることに、私は納得していない。


「違うでしょ? もっと好きなヤツ言って」


彼は困ったように眉を寄せる。


「もっと好きなヤツ? んなもんねぇよ。

 てか、そういうお前は何が好きなんだよ?

 『ありません』なんて言わせねえぞ?」


そんな意地悪な顔して、カウンターのつもり?

甘いわねー。甘い、チョコレートみたい。


「話さなかったっけ? 私はアニメ好きよ。

 一晩中話したって話題が尽きないわ。

 いいの? 今からでも語り合う?」


「分かった黒咲さん、俺が悪かった」


「遠慮しないでいいわ。布教だってオタクの仕事なんだから」


ちょうど退屈してたし、ここからアニメ鑑賞ってのも悪くない。

私は窓の景色を見ながら、概算する。

山までに、あと三話は確実ね。


「私、DVD取ってくるから、そのモニターつけといて」


そう言って立ちあがろうとする、しかし腕を掴まれた。


「ちょいちょいお嬢さん。

 運転中は危ないから、シートベルトを着用してくださいな」


「ちょっとだから大丈夫よ」


「んなこと言って、転んでから後悔しても遅いんだよ。

 ほら、さっさと座る」


アイツはポンポンと、座席を軽く叩いた。


「アニメの話を振ったのはアンタでしょ?

 責任取りなさいよ!」


「そもそもお前がっ──」


雨宮優、ここにきて閃く。


そう、彼は話の原点まで遡り、勝利ルートを見つけたのだ。


「俺の好きな物、知りたいだろ?」


「そっ、それは……」


黒咲明日香、巨大な葛藤の渦に巻き込まれる。


アイツの好きな物!


アニメ!


待って、どっちを優先すればいいの?


ぐるぐる……。黒咲の思考は回る。


アニメはいつでも見れる。

けど、アイツに布教する機会なんて二度と訪れないかも?


でも好きな物は今聞かないと、


『俺、あの時言うつもりだったけどなぁ。

 お前は聞きたくないって言ったよなぁ……』


ぶっころ……。


想像でも腹が立ったわ。

これを現実で言われたら……山に埋めることになりそうね。


ぐぬぬ、殺人犯にはなりたくないし……。




勝った!


雨宮優、勝利を確信。

目の前で狼狽える同級生に対して、ニヤリを口角を上げた。


この飛車角両どりの一点。この終盤でよく捻り出したな、俺。

形勢は逆転したし、あとは高みの見物か。

ふっふっ。好きなものなんて、幾らでも考えつくな。


掴んでいる黒咲の腕が、震え出した。

もうそろそろ投了だな。車内が静かになった。


「……言いなさいよ」


「え? ごめん、聞こえなかった」


聞こえてるくせに。

コイツ、わざと煽ってきてる。


「だから、好きな物言いなさいよ」


「あー、そっか。おっけーおっけー。

 そんなに気になるなら、まぁしょうがない」


「……っ」


「そうだな。俺、自分の家が好きだ」


「……そう、家ね。うん、ピッタリ」


モヤは晴れない。けど、何かがピッタリはまった。

パズルのピース、歯車のひとつ、謎解きの答え。

そういう表現の何かが、ピッタリはまった。

だから、私はがっかりしなかった。


彼を見る。

意識は窓の外だった。

私を見ていないことに少しだけ、本当に少しだけ。

寂しい気持ちになった。


「アンタ、根暗そうだからピッタリね」


「うるせぃ、俺はインドア派なんだよ」


私が煽っても、彼の意識はこっちに向かない。

怒るのを期待したけど、現実は甘くないのね。

私の意識も、窓の外へ連れて行く。

こうして再び、私達は別々になった。




気がついたら山道だった。

ぼんやりと外を見てたから、寝ていたというわけではない。

ただ、黒咲は熟睡中のようだった。


まじまじ見ると後が怖いので、視界の端に映る程度に留めておく。

それでも、普段の殺気がないことは理解できる。

今は普通の少女だった。今は、ここ重要。


キッ、とリムジンは駐車場で停車する。

そのことに気がつくと同時に、俺の側のドアが開いた。

外には執事が立っている。いかにも執事な執事。初老を迎えているくらい。

すると、執事は会釈した。


「あっ、どうも」自分も反射的に返す。


外に出て、アスファルトの上に両足で立つ。

ふかふかじゃないから、少しだけ違和感を感じた。


「あの、ここは?」執事に問う。


「お嬢様の別荘でございます」


彼はそう丁寧に言って、俺の後方を指さした。

振り返ると、シンプルなペンションがどっしり構えている。

(ペンションは宿泊施設という意味だから、正しい表現ではない)


「お嬢様がここに来られた回数は、数えたことなどございません」


藪から棒に、執事は口を開く。

まだ真意は分からないので、俺が返答に困っていると、


「ですが、お客様をお呼びしたのは初めてでございます」


なるほど。ようやく理解したので、返事ができる。


「名誉あることなんですね」


「おっしゃる通りで御座います」執事は深く相槌を打つ。


「お嬢様はアイドル業に専念しておられましたので、必然的ですが」


「アイドル業?」


知らないふりをする。

それが正解だと、何となく思ったからである。


「ほほほ。

 はい、君もご存知の通り、つい先日お辞めになられましたが。

 知らない風を装った、猿芝居ですか?」


ドキリ、心臓が暴れ出した。

よく分からんが、この人はヤバい。

そう警報を鳴らしている。


まぁ、わざわざ言わんでも分かることだ。


「装ったつもりは無いんですけどね。

 まさか、執事さんも知っていたとは思わなかったので。

 彼女は秘密にしていたらしいですから」


「頭とお口がよく回るようです。

 良くも悪くも、利口な方でおられますね」


目の前に強敵現る。

いや、敵かどうかも分からない。

放っているプレッシャーがものすごいだけの老人、という可能性もある。

こう改めて彼の顔を見ると、能面みたいだった。

要するに、笑顔が張り付けられている。


「まぁまぁ、そんなに怖い顔しないでくださいよ。

 それに俺の頭が良いことなんて今に始まった事ではないでしょう?」


「ほほほ。

 お嬢様を誑かした分散で、面白いことを仰る」


「あの程度で『誑かした』なんてね。

 随分と稚拙な恋愛をなさってきたようで、何よりです」


ピクッ、ピクピクッ、眉が動いている。

執事の能面が僅かに崩れた。


どうだろうか、効いてくれると有難いんだが。

これ以上煽ると多分、殺されるかな。

これにて終戦、落ち着いてお話を──


「ふわぁ……。

 パパ、着いたなら起こしてくれても良いじゃない?」


俺の背後から、人影がニュッと出てくる。

黒咲だ。しかしながら、問題はそこにではない。


「……パ、パ?」


「ほほほ。

 どうも、黒咲 十蔵(じゅうぞう)でございます。

 娘がお世話になっております」十蔵さんは深々とお辞儀した。


なるほど、今日の教訓。


『人は見た目で決めつけない』


特に、初対面の方は要注意。


「あの、十蔵さん」


「ほほほ、何でございましょう?」


「誠に申し訳御座いませんでした」


俺は今日、人生で一番綺麗な土下座を披露した。

誠意の量も、丁寧さも。今後、こんな土下座はしないだろう。


「ほほほ、お話は別荘で、ね?」


「承知いたしました」


「アンタ、何したのよ……」


さて、俺は生きて帰れるのでしょうか。

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