第26話 ウチはやり直したい

月は静かに街を見下ろして、当然、海野と雨宮の家も視界に入れている。

現在、彼ら家に共通している点は2つ。


カタカタカタ……


まだ、パソコンゲームに耽っている人物がいること。

そして、堕天使が屋根に乗っかっている。


雨宮宅の堕天使は、体育座りでメソメソと泣いている。


海野宅の堕天使は、白衣を纏っている。

また、屋根の上に段ボールで作った簡易的な机を置いている。

彼女はその上で何やら、怪しげな薬を調合していた。


「ついに、ついにできたよ……」

そう言って、フラスコを月明かりと共に見上げる。

興奮しているのか、少々握る力が強いと思われる。

キラリと、彼女がかけている、大きな丸眼鏡は光った。


堕天使は、見るからに女児である。

着ている白衣も、半分くらいは地面に垂れている。

ただ、月明かりに照らされる幼い顔は、妙に艶やかでもある。


「ようやく、ようやく天界に帰れるんだね……」


まるで、月に恋焦がれているかの如く視線。

堕天使であることは本当のようだ。


堕天使は這うようにして屋根を下る。

そしてベランダに着地し、コンコンと葵の部屋をノックする。


「んー? どーしたの?」


薄着の葵は、にこやかに出迎える。

堕天使との身長差はやはり、姉妹であった。


「葵ちゃん、コレ! 早く飲んで!」


堕天使は斜めにフラスコを掲げる。

こうでもしないと、葵との身長差はうまらない。


葵が受け取ったフラスコ内には真っ赤な液体。

いかにも怪しい薬。その禍々しい風貌に眉を顰めた。


「これって……例の薬だよね?」

「うん! 葵ちゃんが言ってた薬だよ!」


葵は薬と睨めっこして、しばらく時間が過ぎる。

その後ようやく決心がついたのか、「ふーう」と大きく息を吐き出した。

葵は目を閉じる。出来るだけ、薬の外観を意識しないためだ。


「それじゃあ、飲むよ……」

「うんうん! ゴクゴク飲んじゃって!」


キラキラとした眼差しは、堕天使から注がれる。

葵は気づかない。いや、知らない。


ゴクゴク……


「ぷはっ」


薬を一息で飲み干して、口元を拭う。

ちょうど赤い薬だったため、葵の唇は紅を塗ったようだった。

まぁ、これが唯一の副作用。


ちなみに、堕天使は天界へ帰った。

葵の願いを叶えたからである。


では、葵の願いとは何であろうか。


それは単純だ。


今、ベランダに寝転がっている男子高校生が答え。

『海野葵』改め、『村雨』。

彼女……彼はすくっと立ち上がり、パソコンに向き合った。


──────────


少しソワソワしながら、俺はファミレスの一角でスマホを弄っていた。

現在、時刻は朝の8時。中々に早い、待ち合わせ時刻。

だが、そんなことも気にならないくらいには緊張していた。


今日、村雨さんと初めて顔を合わせる。

数年間ネット友達をしていた相手。


どんな顔? 声は? 性格は?


ここにきて、相手を全く知らないことに恐怖する。

だから、さっきから入店してくる人をチラチラ見ては、肩を窄める。


カランカラン……


また。視線を入り口へ。

入店した人は、眼鏡で小太りの若い男。

この瞬間、電流が走ったかのような衝撃。


ぜっったいアイツだ!


スマホを覗きながら、ぎこちない発声。


「連れがいるんで!」


と言って、店内を見渡す。

俺が用意した目印に視線を落として、ホッとした顔でこちらに向かってくる。

この向かってくるまでの時間、気まずい。


男は俺の前に座る。

俺も少し座り直して、「こんにちは」と会釈。


「その、こんにちは」相手も会釈。


ここから数秒、激気まずい時間が流れた後。


「あ、アマミーさん……ですよね?」

「はい、そうです。こちらこそ、……村雨さんですよね?」


相手がうなづいた所から、俺たちの会話がスタートした。




……気付かれてないよね?


アマミーとファミレスで待ち合わせて、その後映画を見に行った。

今はだいたい、3時くらい? ウチらはクレープ屋の列に並んでる。

まだバレてないっぽい。


「ウチのことバレたら、嫌われちゃうもんね。隠し通さないと」

「……なんか言いました? 隠し通すって……」


危ない、声に出ちゃってた。

もう、こういう時、思ったことを言っちゃうのはダメ。

アマミーと一緒にいられる時間が短くなっちゃう。


「えっ? あー、アレだよ。ウチ……じゃなくて、僕の趣味のこと。クラスの奴らに見つかったら、なんて言われるか分かんないし」

「隠したいのは、まぁ、そっすよねー。

 でも、村雨さんが思ってるより、皆んな優しいかもですよ?」


アマミーがウチを見上げて言う。

ウチとアマミーの身長差が逆転してるから当たり前。

けど、アマミーの言いたいことは当たり前じゃない。


「『優しいかも』なんて思って生きるの、けっこー難しくない?」

「そうですかね? 俺は自分の考え方次第だと思いますよ?」

「でも、現実って、取り返しつかないじゃん?だから、失敗したらオワリだよね。

 ボクは、打算で生きるよりも用心深く、だと思うよ」

「へぇ? どうしてですか?」


アマミーの挑発的な視線。少しだけ、少しだけ、不快。

もう、アマミーは理想的な人を思い描いてる。

ウチは違う。ウチは、もっと、現実の人間を知ってる。


「現実の人って、何するか分からないもん」

「俺は、怖がり過ぎたと思いますけどね?」

「うーん、アマミーは楽観的だね」


そういう人生、いつかぜっったい後悔するよ。

だから、だから、ウチが治してあげなくちゃ。


「アマミーはどう? これから先、後悔しない自信ある?」

「ないですよ」


すんなり、本当にすんなり。

ウチは驚いて、アマミーを2度見した。

一歩、クレープの列が進む。前に並ぶ客はだいたい、あと10人。

肝心のアマミーは、下を向いちゃってる。


「だって俺、後悔しっぱなしの人生なんですよ?

 あるわけないでしょ、後悔しない自信」


開き直って、笑ってる。

アマミーを導かなくちゃ。

ウチの中に、使命感が強く出てきた。


「だったら、ボクみたいに──」

「ですけどね。俺、後悔したから、やり直せたんです」


いや、アマミーは、開き直ってない。

噛み締めてる。深く、味わってた。


「……村雨さん、知ってました?」


アマミーの瞳に、ウチは吸い込まれてしまう。


「後悔したら、失敗をやり直せるんです」


いつの間にか、クレープの順番が回ってきていた。

「ご注文は?」と爽やかな若い女の子が聞いてくる。

ウチは何か言った。でも、何を頼んだかは覚えてない。

クレープの味も、あまり覚えてない。


「やり直せないよ。……ウチの失敗は」


ウチらは近くにあった、ベンチに座ってる。

アマミーはクレープに夢中だ。

だから、ウチの言葉なんて聞こえてない。

ウチは味のしないクレープに齧り付いて、空を見る。

さっきまで晴れてたけど、今は曇り。

雨が降るのも、時間が経てばそうなると思う。


ウチの失敗は、やり直せない。

分かってる、分かってるけど、アマミーの言葉に揺らいじゃった。

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