第1話 幼馴染の好意に気づかない
カタカタ、カチ、カチ……
「よし、今日は寝よう。ちゃんと寝よう」俺は自室で呟く。
約三日、寝ずに行ってきたこのゲームの周回もいよいよ大詰め。ボーダーまでかなり距離があるし、今日くらいは寝てもいいだろう。
春休み!!
健全な高校生なら、友達や恋人と遊びやご飯にレッツゴーな、新学期が始まるまでの天国。
……だかしかし、俺の場合はそうは言ってられない。
まぁ、仕方ないよな。
政府から俺に課せられた、『最低限の外出』という命令を守るため、俺は今日も自室でパソコンゲームをしていた。
「あははっ!ねぇ優くんこれ見てー!このコマ、作画乱れすぎじゃない!?」
四葉は春休みなのに制服姿で、ベッドの淵に座って漫画を読んでいた。たまに漫画の内容が面白いのか、ケラケラと笑っている。
俺は椅子から立ち上がると、鈴音の隣に腰掛けた。ベッドが二人分沈み込み、俺と四葉の肩が密着する。
しかし俺の視線は漫画本ではなく、ベッドのくっついて置かれている車椅子に吸い込まれた。
「買い物、行ってきたのか?」車椅子の上には、コンビニのレジ袋が置かれていた。
「あー、買い物?おばさんに頼まれたから」四葉は漫画を見ながら答える。
「あっ!そうそう、今週のジャンピも買ってきたよ! あとで一緒に見ようね!?」四葉はニコリと笑ってみせた。
あの車椅子は、下半身の動かない四葉のもの。その座席にコンビニの袋。中には食べ物と水、そして今週号のジャンピ。
「あぁ、あとでな」俺は四葉の顔を見た。「……なぁ四葉、マスクくらい付けたらどうだ?」
「え?なんで?」四葉はポカンとしている。
たしかに、たしかに言いたいことはよく分かる。あれだろ?『私はバカだから、風邪にもアレルギーにもかからないよ』って言いたんだろう?
「……優くん、今失礼なこと考えてるでしょ?」四葉はジト目で見つめてくる。
「いや、その、俺アレルギーが発動するかもなって話。もう長いこと一緒にいるし、発動したらお前、多分死ぬぞ?」
俺アレルギーは危険だ。特に、昔から仲良くしているコイツがなんらかの拍子で発症してみろ。多分死ぬ。
「私なら大丈夫だよー。もう長いこといるけど、症状なんて出てないからねー」
四葉は手をヒラヒラと振って軽く受け応える。しかも視線は漫画のまま。
なんだろう、心配するだけ損なのかもしれません。
「それに」と言って四葉は続ける。「アレルギーって、体が拒絶反応を起こしてなるやつだよね?」
「私の体が、優くんを拒絶するはずないでしょ?」
「俺の病気は、原因が分かってないんだよ。もし四葉に何かあったら──」
「はぁ」と四葉は息を吐き、俺のベッドにゴロンと仰向けに寝転んだ。彼女は読んでいた漫画を傍に置く。
「……なら証明してあげようか?」
艶やかだった。初めてかも知れなかった。世界が、スローモーションになって演出する。
「なにを──」
「ほら、おいで?」と言って両手を広げる四葉。
ベッドの上。シーツの白と制服とでコントラストが生まれている。四葉の絹のような長い髪が、俺のベッドに乱雑に広がっていた。
「証明って、そんな方法で分かるのか?」
「百聞は一見になんとやら! ほら、早くやってみる!」
強引な声に心が惹かれる。いや、嘘だ。相手は四葉、ガキの頃から一緒にいて、文字通り親の顔より知っている。
風呂にも一緒に入ったし──
「まぁ、少しくらいは付き合ってやるよ……」
俺は吸い込まれるように四葉に覆いかぶさった。案外、抗えないもんだな、こういうのって。
初めての敗北の味は、抱擁によって満たされていた。
「んっ。ほら、ぎゅーぅぅ」四葉は俺を強く抱きしめる。
「……これ、結構いいな。癒される」
言うつもりはなかったが、お口の門番がお留守。ダムの如く本音が決壊し、瓦解してゆく思考の中で堰き止めるものはいない。
「ほら優くん、四葉ちゃんの体で癒されてねー。ぎゅーぅぅ……」
なるほど、ここが天国か。女の子特有の、柔らかい腕と胸。ベッドが軋む音と、四葉の心音。
……待て、おいおい、これじゃあ、コイツを意識しちまうじゃねぇか。
落ち着け、相手は四葉だ。
たとえ俺の心が弱っていても、その事実は変わらない。0歳の時から一緒に居る。そう、妹みたいなもんだ。
落ち着け、落ち着け……。
「私、そんなに魅力ない?」ボソッと四葉は耳元で呟く。
「は?え?」
聞き間違いか?なんだか、変なことを言われたような。
「だから、優くんはどうして私を襲わないの?」
四葉は更に耳元で「私、男子から人気なんだけど……」と一言。
知ってる。俺も学生だし、『そういう話』なんてネット友達としょっちゅうしてる。
どの女優がいいとか、どの作品が良かったとかそんな話。
でもな、四葉、本当にごめん。
「……魅力がないっていうか、俺はそういう目で、お前を見れない……」
俺は四葉の胸に埋もれ、モゴモゴと言葉を選ぶ。
なんだココ、心地良すぎる。例えるなら、連日徹夜した後のベッドの上みたいな。あっ、そうだ。俺、一昨日から寝て……ない。
「えー、ちょっと傷ついちゃうなぁ?」
木之下はそう言うと、更に抱きつく力を強める。
何か、雨宮を繋ぎ止めるようにも見える抱擁であった。
雨宮の混濁する意識の中。
暖かさが浸透するベッドの上。
四葉のクローバーは何処かと聞かれたら、間違いなくここである。
「私も女の子だよー? ……って、あちゃー、寝てるわ」
「……好きだよ」四葉は小さく、小さく呟いた。
雨宮優(あまみや ゆう)に、彼女の思いは聞こえない。
「ん? あぁ、寝てたのか……」
四葉の心音を聞いて、俺はいつの間にか寝てしまったらしい。目が覚めるととっくに窓の外は暗くなっていた。
──コンコン
「ゲホッ、ゆう、ここに晩御飯おい、ゴホッ、置いとくからねー。食べ終わったら、こほっ、いつもみたいにお願いねー」
「分かった、いつもありがとう」
母の咳混じりの声が聞こえてきた。扉を挟んでもこの状態だ。両親は当然、面と向かって会話をすることができない。
「すぅ、すぅ」俺の隣で寝ている四葉。
コイツの安心しきったこの顔は、どうしても守りたくなる。
「さてと、晩飯だな……」
俺は部屋のドアを開けて、いつものようにお盆に乗ったご飯をとって素早く部屋に入る。
「ん? メモ書き?」お盆の上。メモ書きと共に、何やら小さい袋が見えた。俺はそれを手に取って確認する。
『ご利用は計画的に 母より』
「……おい」正方形で、手のひらに乗るくらいのサイズのその袋。
なるほど、ショッキングピンクのそれは、あれをあれしてアレするためのやつ。いわゆる避妊具。
「これはっ!」俺は四葉の方を見る。こんなものを持っていると、悟られてはならない。
「すぅ、すぅ」四葉は寝息を立てていた。
よかった、アイツはまだ寝ている。
「こんなもの、こんなもの……」俺はメモ書きをグシャリと握りつぶす。
「こんなもの! 子供に渡すなぁー!!」
俺は思い切り避妊具をゴミ箱へと投げ捨てた。
これにて一件落着……。
「はっ! 四葉の野郎!」突然、嫌な予感がした。
ガサササッ……
四葉の車椅子の上に置いてあるレジ袋。
その中にやはり隠されてあった。週刊ジャンピのその下、妙に空いているスペースに、手のひらサイズの箱が一つ。
またしてもショッキングピンク色。
「……なるほどね、アイツ、箱で買いやがった」
俺はそっと、ベッドの下に箱を隠す。
ごめんな、お前の買った箱は、他の人とスル時に使うからな。俺は心の中で四葉に謝る。……いや、でも。
──俺アレルギーがある以上、俺の相手は……。
「うそ…だろ?」俺は四葉の方を見る。
「すぅ、すぅ……ふふっ」
四葉はわざとらしく寝息を立てて、ニヤリと笑った。
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