第4話 断れない系ギャル

 あのクリスマスの日以降、近嵐とは口を利かなくなった。向こうはうざったく声をかけてくるし、メッセは入れてくるしで鬱陶しいことこの上なかった。だけど俺たちの付き合いは周りには隠していたから、学校で騒動になることはなく表向きは平穏な生活を送れてはいた。その仮初の平穏の中で俺は母の残した遺産の有り余るマネーパワーを使って、挿絵を描いてくれそうな絵師を探していた。だけど売れっ子のスケジュールを取るのは難しかったし、逆にひよっこのスケジュールの開いている人は、あの日近嵐の絵で見た挿絵に比べても画力に圧倒的に劣るから俺の食指が動かない。だから絵師探しは結局頓挫して、俺は進級を迎えることになったのである。二年になって嬉しかったのは、近嵐と別のクラスになれたこと。それだけでも俺の心のストレスは軽くなった。


「正直に医者として言うけど、君のやってることって病状を悪化させるような危険な行為に思えるよ。あまり自分自身を追い込むような真似はしてほしくないんだ。君の投薬量って処方限界のギリギリなんだってことをよく理解して欲しいんだよ」


「ええ、薬のお陰で頭はクリアに動いてくれる。先生には感謝してますよ」


「君には大きなトラウマがあることはわかる。それを創作活動に昇華させることは賛成だった。だけどそれが原因で恋人と別れる必要はあったとは私には思えないよ。今からでも彼女さんとやり直した方がいいと思う。実際君の病状は彼女がいた頃の方がずっと安定していた。医者だけど、心の病は薬も大事だけど、他者からの包摂も同じくらいによく効くんだよ」


「あいつとやり直すことは絶対にない。あいつは俺を嘲笑っていた。俺よりもはるかに売れていたくせに、俺に書かせて笑ってた」


「創作物と自己とを別てないという感覚があるのはわかる。けどね。相手だってそうだろう?君の創った作品が大好きで、だから君のことだって大好きになった。それで何か間違ってるのかい?」


「あいつのせいで俺は書けなくなった。ならあいつが欲しがっているものをなんで与えなきゃいけない?」


「…いまはまだ君のなかにしこりがあることはわかった。だけどそれでも君が君の幸せを得るには彼女がいた方がいいと思うよ」


 皆わかってない。俺に近嵐はいらない。いいや、あいつを超える作品を俺は作らなきゃいけないんだ。じゃなきゃじゃなきゃ、じゃなきゃ…。俺は何のために書いたのかわからなくなってしまうから。













 新しいクラスのここがいや選手権第一は、クラスの一軍どもと、自席が窓際一番後ろになってしまった時だと思う。


「でさー!それでトオルがさぁ!空き缶ダンク!っていってカンをゴミ箱に思い切り投げたのに、中で跳ね返ってきて外に飛び出てきてw」「ちょ!やめろしww」「マジでトオルってやんちゃだよなw」


 一軍のキラキラしたメンズと、可愛らしい女子たちがお喋りで盛り上がっていた。ぎゃはぎゃはうるせえことこの上ないのだが、それ以上に嫌なのは、俺の席の上にあいつらが尻を乗せることだ。俺は潔癖症的なところがあるので、他人が触ったものに極力触れたくない。


「どいてくれないか?」


 俺は席に尻を乗せていたクラスのリーダーのトオルくぅんに声をかける。


「はぁ?え?今どけっていった?ナガコレくん俺にどけって言った?まじwwうけるww」


 一軍のやつらが一人の女の子を除いてクスクスと笑いだす。こいつらは俺のことを是永ではなくひっくり返してナガコレって呼ぶ。半端なく鬱陶しいから嫌い。


「ちょっとナガコレ君ケチすぎじゃない?」


「いいからどいてくれ。予習しておきたいんだ」


 学校では創作はもうしたくない。だから代わりにできることは勉強だけ。友も恋人ももういらない。俺は俺のやることにだけ集中したい。


「予習wwうけるわー!わかったわかったいいよ!どいてやるよ」


 空き缶を持ったトオルくぅうんは俺の机の上に立った後、そこからジャンプして。


「空き缶だーんくww」


 天井にタッチしてから、俺の鞄に向かって空き缶を突っ込んだ。すごくスタイリッシュないじめ行為です。


「へへーい!俺やっぱマジでバスケ部のエースっしょ!ダンクメッチャ決まったしw」


 皆がクスクスと笑って俺の席から離れていく。流石一軍、さらりと人をいじめるその手腕は見習い…たくはないかな。俺はウェットティッシュで机をこすって遺された上履きの後を綺麗にする。


「ね、ねぇ!その!アヤトくん」


「ん?アヤト?俺ことか?」


 机を拭いているときに一人の女の子に声をかけられた。肩にかかるくらいの明るい茶髪のボブカットで芸能人でも通用しそうな綺麗な顔をした女の子だった。ついでに胸元を開けたシャツから谷間が確認できるくらいにおっぱいデカい。確かこの子は一軍メンバーである多倉兎美希。すなわちギャルである。定義が適当すぎるかもしれないけど、一軍女子ならギャルでいいや。それくらいの解像度の方が傷つかずに生きられるもの。


「さっきはそのトオルがごめんね。いつもちょっとやんちゃで、その…とにかくごめんね!」


「謝んなくていいよ。別に君がやったわけじゃないんだから」


「でも…その…あたしとトオルって同じ中学だったし、お友達だから」


「はぁ。そう。じゃあ、そのお友達さんにこの空き缶を返しておいてよ」


 俺はバックに入れられた空き缶をその女の子に渡す。


「え、ええ?でもこれ渡しても意味ないととおもうんだけど」


「じゃあこれもつけておくよ」


 俺は吹き終わって汚くなったウェットティッシュを空き缶の口に突っ込む。


「ええ?!ちょちょっと!?やばいでしょ?!これトオルに喧嘩売ってるの?!」


「あいつの汚い足で発生したゴミ難からあいつが処理するのが筋だろ?」


「あはは…アヤト君って滅茶苦茶なんだね…」


「俺の名前はアヤトキなんだけど」


「え?アヤトって読むって聞いたんだけど?」


「そう。とにかく違うから、アヤトって呼ぶのやめて」


「でもアヤトって響きかっこよくない?綽名ならありでしょ!」


 一軍ギャルはにぱぁって笑みを浮かべる。可愛らしいとは思うけど。


「綽名とかで呼ばれるほど、仲良くないでしょ」


「でもクラスメイトじゃん。あたしのこともミキって呼んでいいよ」


「遠慮しておきます。多倉たくら兎美希つみきさん。俺のことは是永と呼んでください」


「メッチャ遠慮されてる?!てかフルネームで呼ばないでよー。なんか壁すごく感じる。寂しくない?」


「お前が寂しい分には別に俺は困らないから」


「冷たい人だ?!」


「てかお前のお友達どっか行っちゃたぞ。追いかけなくていいのか?」


「別にいつも一緒じゃなきゃダメってわけじゃないし」


 そう言って、多倉は俺の前の席に座った。ちなみにこいつの席はここではない。


「そういえば昨日みんなでカラオケに行ったんだけどねー。昔の曲入れるとなんか知らない人が踊ってるPV出るじゃん?あれがなんかトオルに似ててさぁ超受けた!あはは!身近な人に似てるともう笑っちゃって歌えなくなるよね」


「お前俺に何の用なの?昼代をおごらせようとしてるの?それとも授業のノート狙い?」


「あたし下心疑われてるの?!」


 前の彼女が下心しかないオフパコストーカービッチだったんで、俺は女の子には警戒するようにしている。


「そんなんじゃないし!!もう!ただちょっと気になっただけ」


「俺が気になった?ごめんね。今彼女作る気ないんだ」


「謝んないでよ!!あたしがまるでアヤト君のこと好きみたいじゃん?!そういう気になるじゃないから!!」


「じゃあ何?」


 むしろ金でもなくノートでもなく恋愛でもなかったら、俺に声をかける理由が皆目思いつかない。


「近嵐さんのこと!仲いいんでしょ?」


「はっ?」


 自分でも不機嫌な声を出してしまったと思う。当然相手にもそれは伝わる。多倉はどこかおどおどした感じになってしまった。


「あの、その…。仲いいんじゃないの?一年の時、二人が上野の公園で一緒に歩いてたの見たことあったんだけど」


 思わず舌打ちしたくなった。当時の近嵐と過ごした記憶が嫌でもフラッシュバックする。


「べつに?たまたまその日偶然会っただけだよ」


「え?そうなの?えー?うーん?そのわりには近嵐さん楽しそうだったんだけどなぁ?」


「お前こそなんで上野にいたの?パパ活?円光?」


「どうしてその二択?!あたしそんなことしたことないんだから!でもやっぱりアヤト君近嵐さんとは知り合いなんでしょ?ちょっとお願いあるんだけど?」


「いやです。お引き取りください」


「せめて聞くくらいしてよー!あたしちょっと困ってるんだってばぁ!」


「はぁ?別に助ける気はないけど、俺に何させたいの?」


 近嵐は思い出すと吐き気がするほど憎いけど、こいつがわざわざクラス一の陰キャ相手に話しかけてきた理由は気になった。


「近嵐さんと付き合いたいっていう男の子がいるんだけど、自然に仲良くなれるようにセッティングするように頼まれちゃって…」


 ようは近嵐と知り合いかもしれない俺のつてをたどりたいと。近嵐が告白を断ることは校内では有名だしな。


「うんなの断れめんどくさい」


「断りづらいんだよぅ。私のお友達の彼氏とその男の子が仲良くってさ」


「そんな遠い関係はただの他人だろ。それに無駄と思うぞ。だってあいつは…」


 俺のこと好きだし。正確には推しとセックスしたがる変態オフパコ女である。最近は俺にエロ自撮りを郵送で送ってくるくらいキモイストーカーになった。マジで気持ちわるい。


「あー。なるほどなぁ。やっぱり好きな人がいるパターンかぁ。ちなみにだれかわかる?」


「俺の知らない人だったら良かったよ」


「そっか…あーなんかごめんね。辛いこと思い出させちゃったかな。あはは。まあほら!あたしは告白するのって男らしくてかっこいいって思うよ!たとえフラれてもきっと次は素敵な恋ができるよ!」


 なんか勝手に勘違いしてくれたようだ。お喋りはそれで終わった。近嵐もこういう普通の女の子だったなら、俺は幸せになれたのかもしれない。そう思った。













 高校は基本クラスで授業を受けるが例外がいくつかある。体育や選択の授業のことだ。俺は今年の選択を習字にした。小説家たるもの字には精通しているべきだと思ったから。人気のない授業なので人は少ない。


「へぇアヤト君って字綺麗なんだね」


 習字の授業は陰キャが多いのがうちの学校の特徴である。陽キャはみんな音楽を受ける。なのにこの授業には多倉もなぜか所属している。ギャルと習字って似合わなくない?つけ爪で字でも書くの?


「てめぇは自分の字に集中しろ」


「でももう終わったし。ひまー」


 すごく丸みのある筆跡で『恋』って書いてた。


「ねぇねぇどうかな?あたしのネイル!かわいくない?」


 字を書いている俺に向かってネイルを見せつけてくる。うぜぇ。視界に入るラメってギラギラに輝く爪に、俺の中の男心は拒絶反応しかない。


「そうっすね。可愛いんじゃない?お店の人は腕がよかったんだろうね」

 

 ネイルには全く興味はないけど、彼女のネイルの模様のセンスはすごくよかった。きっとセンスのある絵心がある人がやったんだと思う。


「え?…そんなにいい?」


 なんか酷く驚いてる。陰キャがネイルを褒めてるもんだからキモいって思ったのかな?


「センスはすごくいいと思う。ギラってるくせに実は上品に配置されたラメとか、陰影の入れ方とか。色のグラデーションもうまいね。五本の指でそれぞれ微妙に色合いを変えてきてるよね。すごく細かく心を砕いているデザインだ。すごくかっこいいよ」


 いっそのことドン引きされたいなって思って、ネイルについて気がついたことをひたすら述べていく。これで引かれてフェードアウトできればいいのだけど。


「うそ…。なんでそんなにわかるの…?…はは…え、やだ…えへへ」


 多倉は両手で顔を抑えて、にやけていた。なんかすごくうれしそうだ。


「俺が褒めたのはお前じゃなくてネイルだからな」


「え?う、うん!!そうだよね!かわいいでしょ!あはは!…えへへ…」


 やっぱりにやけてる。女心は全く分からない。わかってたまるか。


「ねぇアヤト」


「え?何呼び捨て?くんはどこ行った?戻ってこい」


「あたし、近嵐さんの話断ることにした!」


「なに?唐突だな。頼めばヤラしてくれそうなくらい断れない系女子だったのに?」


「あたしやったことないからね!!もう。ただなんかアヤトと話してたら、断る勇気出てきたっていうか」


「はあ。そうですか。まあいいんじゃない。他人に流されていいことなんてないよ」


「だよねー。うふふ」


 多倉はニコニコと笑みを浮かべていた。やっぱり女心はわからない。



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