第2話 重なる二人

 それはネット小説家をやめるときのことだった。自作の『令嬢礼賛』にはそこそこのファンがついてくれていたと思う。だから活動報告にてやめます宣言をしても、けっこうなコメントがついてくれた。やめることを惜しむ声を見てどこか自尊心を回復させる痛くて惨めで卑しい自分がいることに気がついた。ようは本当はやめたくないのである。ただかけた熱量に対して成果が割に合わなくなったのが辛かったし、なにより後発作品にさえどんどんポイントやPVで抜かされていく悔しさ。それらの作品が次々に書籍化なんかを果たしていく惨めさに耐えられなくなっただけ。それを気取って言いまわして他人のせいにするのが、今思えばわずかに残った自分のプライドなんだと思う。アカウントをやめる前にコメント欄を巡回していた時のことだ。



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ネーム:れいらん


勅使河原勅使てしがわらちょくし先生の令嬢礼賛はこのサイトで一番大好きで愛して推している作品です!

続きみたいです!

やめないでください!


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 俺はそのコメントを見てほくそ笑んだと思う。ざまぁみろと、お前らが俺のやる気のあるうちに推しまくっていたら、こうはならなかったのにと。星やブクマを出し惜しみしてやめると言ったときに慌てて大盤振る舞いしてくる読者への冷たくて醜い復習に俺は薄暗い欲望を覚えていた。


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ネーム:れいらん


レビューしました!

呟いてRTもしました!

新しい読者さんまだ来ますから!

やめないで!


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 この「れいらん」というアカウントはやめた後にやたらと目につくようになった。というか連載中はコメント欄とかでも見たことがない。もっともコメント欄にいっぱい感想がついていたわけではないのだけれども。だけど今更だよ。そんなことをいまさら言われても、心はぽっきり折れていた。









 そして俺はアカウントを削除した。作品はネットの海から永遠に消えた。まあアーカイブを見れば見れるのかもしれないけど、そんなのを利用してまで見る奴なんてそうそういるわけがない。こうして俺の創作活動は死んだのである。





















 彼女に出会うまでは…。












 本当に幸せな日々だった。彼女のためだけに作品を書いていく。彼女は俺の作品を読んで笑ったり泣いたり怒ったり悲しんだりしてくれた。普段はクールで表情をあまり変えない人なのに、俺の作品を読んでコロコロと表情を変えてくれる。だから俺は幸せだった。読書会は気がついたら休日にも行われるようになっていた。彼女は外でやろうと言い出したからだ。俺は彼女といろんなところに行った。都内の公園の芝生の上にシートを敷いて書いた日もあった。流行りのカフェでリンゴマークのPCを輝かせながら書いてみたり。いつも隣には本を読む彼女がいた。だからそれだけで楽しかった。ある日のことだ。秋葉原のメイド喫茶で読書会をしていた時に、俺はふっと彼女に言った。


「なんかリクエストとかないの?」


 彼女は目を丸くしていた。


「…リクエスト?」


「うん。いつも俺が好きなものばかり書いてるじゃん。ぶっちゃけ男性向けの学園異能物とか伝奇とかエッチなラブコメとかそんなのばかりでしょ。俺、女性向けとかも書けるよ」


 いろんなジャンルを書いてきたけど、一番得意なのは令嬢ものだったと自負している。一番ブクマとPVを稼いだ作品であり、熱狂的ともいえるファンがコメント欄にはついていたと思う。逆に言えばすごくニッチな層にしか刺さっていなかったのだろうけど、当時の俺は世界一自分の作品が面白いと思っていた。書籍化した作品にもない新規性と物語性を打ち出せたと信じている。それは今でも変わらない。


「…でも…リクエスト?…そんなの…なら…れい…」


「令嬢もの?」


 彼女は唇を引き結んで首をぶんぶんと降った。


「…そんなのいいわ。あなたの好きなものを書いて頂戴…」


 少し悲しそうに震える声で彼女はそう言った。俺は彼女のおかしな様子にとても心配してしまった。だからその日は早く切り上げることにしたのだ。秋葉原の駅まで行く途中、彼女の手が震えていることに気がついた。俺はそれを見て何も考えずに反射的に彼女の手を握ってしまった。


「え?どうして…?」


「あ、いやこれは…」


 握った後に気がついた。こういうことは付き合っている男女がやることであって俺たちがやっていいことじゃない。それにこんなことをして彼女に嫌われたくない。だけど彼女は俺の手を握り返してくれた。柔らかくて少し冷たいその手の感触に俺の心臓がとくんと跳ねたのを感じた。さんざん恋愛劇を書いてきたのに、リアルの感触はそれさえも握りつぶすくらいに圧倒的な迫力でもって記憶に刻まれた。俺たちは手を握り合って秋葉原の街を歩いていく。そして駅に着いた。ここの電光掲示板はいつも賑やかだ。手を繋いでいるせいで言葉を交わすことさえも忘れていた俺たちにはちょうどいい話題の糸口だったと俺は思った。掲示板には派手なエフェクトで金髪碧眼のお嬢様のキャラクターが写されていた。


【『愚神令嬢』シリーズ累計1000万部突破!アニメ化決定!!】


 女性たちが電光掲示板の前に立ってキャラクターと一緒に記念撮影をしていた。ネット小説発の人気シリーズだ。この作品のことはよく知っている。俺が令嬢礼賛を連載中に小説サイトに新しく現れた作品だった。掲載初日でブクマが1000を超え、一週間で100000に達し、すぐに書籍化が決定した。ぶっちゃけて言えば、俺の創作活動に止めを刺した後発作品である。まあ向こうからすればそんなのは筋違いの逆恨みだろうけど。実際この作品は俺を追い抜いていった他の作品と違ってガチで面白い作品だったので、今では目標としてリスペクトさえしている。


「ねぇ、あなたはこの愚神令嬢シリーズってどう思う?」


 彼女はどこか恨めしい視線を愚神令嬢の広告に向けている。とりあえず嫌いなんだろうなってことはわかった。だけど俺はそれに忖度はしたくない。


「ぶっちゃけ面白いと思うよ。主人公のキャラもストーリーも何もかもが面白い」


「…それはあなたが書いたものより?」

 

 彼女はどこか捨てられた幼子のような哀しい目を俺に向けている。今俺そんなに酷いこと言ったかな?


「俺は自分が書いたものが一番面白いって考えてる。じゃなきゃ君に読ませたりするもんか」


 そんな痛いくらいに自信にあふれる言葉がすっと口から出てきた。驚いた。もしかしたら書くことへの自信が戻ってきたのかもしれない。そう思えた。


「そう…。うん。そうよね!あなたの作品が一番面白いわよね!」


 彼女は俺の腕にぎゅっと抱き着いてきた。俺に寄り掛かる柔らかさと温もりに心地よいドキドキを覚えた。そしてほのかに漂う女性特有の甘い匂いにクラクラしてしまう。だからやっぱり俺は幸せだったと思う。












 それからしばらくして俺はネット小説界隈への復帰を考えていた。


「俺さ、ネットに小説をアップすることにするよ」


 彼女は俺の話を真剣なまなざしで聞いてくれた。


「やっぱり沢山の人に俺の作品を読んで欲しいんだ。君が喜んで読んでくれたからそんな気持ちになれたんだ」


「そうなのね…わかったわ。…でも一つ約束して?」


 彼女は俺に小指を突き出してきた。


「なにかな?」


「アップする前に最初に私に読ませてね。私があなたの一番の読者だから」


 その言葉がとても嬉しかった。俺も小指を出して、彼女のそれと絡ませて俺たちは約束をした。


「嘘をついたら許さないから」


「大丈夫。君が一番なんだから」


 俺たちの視線は絡み合う。そこには信頼と同時に甘い何かがあった。その直感を信じて俺は彼女に顔を寄せる。彼女はゆっくりと目を瞑って、俺たちの唇は優しく重なった。こんな気持ちは初めてだった。俺たちは恋を初めて知ったのだ。















 放課後の読書会は少し変わった。隣に座る彼女は俺に体を寄せるようになった。


「肩に頭乗っけるなって、キーボード打ちづらいよ」


「そうなの?邪魔はしたくないのだけど、でも離れたくないわ。どうすればいいのかしら?ふふふ」


「意地悪だなぁ」


 俺は彼女のほっぺにキスをして、頭を肩から離した。


「こんなので誤魔化そうとするなんてあなたの方が意地悪よね。うふふ。そのうちこんなのじゃいやって文句言ってあげるんだから」


 ほっぺにキスする以上のこと。その意味が分からないほど初心じゃない。俺も彼女もこれより先のことを考え出してる。勿論口には出さない。流石に出せない。だから小説にその気持ちを乗せてみる。今回はちょっときわどいお話になった。主人公とヒロインが優しくも激しいキスをしてお互いを求めあうシーンを描いた。いままでギャグとしてのエッチシーンは書いたけど、今回は真剣な男女の求め合いだ。彼女はそれを頬を赤く染めて読んで、いつものように面白かったと言ってくれた。


「そういえばそろそろクリスマスよね」


 そう言う彼女を抱き寄せていう。


「そうだね。今年は二人でケーキを食べよう」


「…そうね。そうしましょう。場所は私の家でいいかしら?私がケーキを作ってあげるし、その日は両親がいないから」


 彼女は頬を染めて恥ずかしそうに俯きながらそう言った。クリスマスを恋人と過ごす。世間ではありふれたはずで、自分には全く縁のないはずの出来事。


「今日の続きのシーンはその日に読ませてね…」


 そう言いながら彼女は俺の唇を奪った。深い深いキスだった。やっぱり幸せだったんだ。俺は誰よりも幸せな小説家だった。













 クリスマスの日に俺は彼女の家に上がった。タワマンの一室であり都心の眺望が美しく広がる部屋だった。もしやと思っていたけどお嬢様だったらしい。しかし家に両親が帰ってこないのは寂しいと思った。俺は思い上がってその寂しさを埋めてやるなんて考えていた。未熟で傲慢な若者らしく粋がっていたんだと思う。そしてそれ自体が楽しかった。

 彼女お手製の美味しいケーキと、デパ地下で買ったチキンを食べて俺たちはクリスマスの夜を過ごす。気がついたときには俺たちはソファーで抱き合いながら激しくキスをしていた。もうお互いに気持ちが昂っている。だけどそこから先をするならばエチケットととしてシャワーを浴びなきゃいけない。彼女はまず俺を先に行くように伝えた。そして俺がシャワーを浴びて戻ってくると、彼女のベットルームに通された。


「少しだから待ってて…絶対に待っててよ」


 そう言って彼女はシャワーを浴びに行った。俺は一人彼女の部屋のベットの上に寝転がった。だけど落ち着てい待っている事がどうしてもできなかった。彼女の裸身や行為の時にどんな声を上げるのかを想像するだけで落ち着きを無くしてしまう。俺は部屋をうろうろした。彼女の部屋は殺風景だった。勉強机にはノートPCだけが置かれている。本棚には参考書と文豪たちの作品集が並んでいる。俺は参考書を手に取った。中に書いてある真面目な方程式や自然法則に目を通して自分の心を落ち着かせていた。その時だ。ふっと参考書の列の端に背表紙に何も描いてない本が置かれているのに気がついた。それを手に取ると、表紙にもタイトルは書いていない。裏表紙にも何も書いてない。


「なんだこの本」


 俺はページをめくる。そしてそこにはタイトルが書いてあった。





















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「令嬢礼賛」



勅使河原勅使



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 俺は唖然とした。あり得ない。だってその著者名は、かつて俺がネット小説家として活動していた時に使っていたペンネームだから。そしてそのタイトルは俺が筆を折ってネットから消し去った作品の名前だったのだから。存在するはずのない本に俺は衝撃を覚えたのだった。

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