2021年

臨時営業(初出:2021/04/10)

 今日こそは晩飯を外食したかったのに。

 残業して会社を出たのは8時を過ぎてからで、緊急事態宣言のせいで飲食店はもう閉まっていた。

 ぐるぐるとハラを鳴らしながら、明かりの消えた牛丼屋の前を通過する。

 今夜も晩飯はコンビニの弁当になるのか。たまには、人が作ってくれたあったかいものを食って寝たいなあ。

 湯気が立つ牛丼の幻覚を目の前に浮かべて、肉の味を妄想しながら、駅へと向かっていく。

 「にいさん、ハラ減ってるね?」

 耳元でいきなり声がして、びくっとして立ち止まる。

 「そこの角を曲がって右側、5つめの電柱の横の階段を降りてったところのうどん屋は開いてるよ」

 早口にそう言って、ばあちゃんが通り過ぎていった。

 うどん屋?

 このへんの食い物屋の場所は頭に入れてるが、うどん屋は見た覚えがない。

 どう考えても怪しい話なんだが、いま営業している飯屋があると聞いた途端にハラがさらに盛大に鳴りだした。食わせろ食わせろとハラの虫が荒ぶる。牛丼の幻影がうどんに変わる。

 うう、うどんでもいい、食いたい。

 ダメもとで、ばあちゃんに聞いたとおりに行ってみるか。

 角を曲がって、道の右側の電柱を数えながら進む。5番目の電柱、その横に確かにビルの下り階段があった。

 こんなところに階段あったっけな…と思ったが、うまそうなだしの匂いが上がってくるのに耐えられなくて、ふらふらと階段を降りてしまう。年期の入った色をした木の格子の引き戸を開けて、黄ばんだ地に、上手いのか下手なのかよく分からない字で「うどん」と書かれたのれんをくぐって中に入った。カウンター5席だけのちっちゃな店だ。

 「らっしゃーい」

 カウンターの中から元気に声をかけてきたのは、一つ目小僧。端っこの席にいる客たちも、唐傘のお化けと鬼。

 オ、オレだまされた!? こいつらに食われちまう!?

 「安心せい。わしらは人は食わん」

 鬼にそう言われても信用できないんですが。

 「なあに、ニンゲンたちが流行病はやりやまいで飯を食うにも難儀してるから、普段はニンゲンお断りの店を解放してるだけよ。ニンゲンに食えるうどんを用意してあるし、わしらに例の病は移らぬし移さぬから、安心して食っていけ」

 一つ目小僧に優しくそう言われると、帰るわけにはいかなくなる。おそるおそる真ん中の席に座った。

 そっとカウンターの両側をうかがうと、どっちのどんぶりからもよく分からない色をしたよく分からないモノがはみ出している。ほんとに人間の食料が出てくるんですか、もしもし。

 鬼は人間と同じように箸を使って食べているが、唐傘お化けは長くてぶっとい舌にどんぶりの中身をくるくる巻き込んで綺麗に口に入れている。あの舌、意外と器用なんだなあ。

 「お待ちどうさん」

 目の前に置かれたどんぶりは、普通の天ぷらうどんだった。

 ああ、いや、普通じゃねえなこれ。

 めちゃくちゃうまそうな天ぷらうどん、だ。

 大盛りでボリュームたっぷり、だしの匂いをおかずにして白米が食えるくらいいい匂い。

 おまけに、でっかい海老天が3つ。海老の衣が薄いのにでかい。

 空きっ腹にこんなの見せられたら、食うしかない。

 食いだしたら止まらない。

 うどんはつるつるもちもち理想の歯ごたえ、海老はぷりぷり、衣さくさく、衣に染みただしがすごくカツオ。

 うますぎてうますぎてたまらなくて、一気に食いきって、だしまで全部飲みきった。

 これで、駅前の蕎麦屋と同じ値段って、絶対おかしい。

 「ごちそうさまでした」

 店で会計した時にこんなこと言ったことないのに、するっと言っていた。

 「おうよ。飯食いっぱぐれたらまた来な」

 一つ目小僧が目を細めてそう言ってくれる。

 満腹で、いい気分で階段を昇り、駅に向かう。

 緊急事態宣言も、ひとつくらいはいいことしてくれるもんだ。

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