第56話 無常は極く当たり前のことである

 正法眼蔵随聞記その三の十一

 「ただ世間の無常を思ふべきなり。このことばまたただ仮令けりょう観法かんぽうなんどにすべきことにあらず。また無き事を造つて思ふべき事にもあらず。真実に眼前の道理なり。人のをしむ聖教の文証もんしょう道理を待つべからず。」

 (仏教を学ぶ時は)ただこの世の中の無常を思うべきである。この無常という言葉は仮に観法というような方法によって行うべきものではない。また存在していないことを頭の中に造り上げて思いを巡らせることでもない。真実に眼の前の道理である。人がありがたがる聖典の文章や理屈をまつ必要もない。

 無常を思うことが重要であると説いておられる。

 無常は高邁な理論ではない。観念的抽象的なものではない。

 「無常」という言葉は徒然草とかを習った時に耳にした。この世は移ろって儚いものだという風なイメージだった。

 けれど道元禅師はそうではないと説かれる。目の前の現実そのものが無常なのだとおっしゃられる。「真実に眼前の道理」なのだ。小難しい理屈は要らない。情緒的なものではない。経典とか書籍を読むまでもない。目の前の現実そのものなのだ。その当たり前のことに気づかなければいけない。そうおっしゃられる。

 人間というのはまことしやかな小難しいことが好きで、そのために当たり前のことがわからなくなってしまう。当たり前のことを見失う。

 気をつけなければいけない。そう思う。

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