第54話 普通のこと

 これまで正法眼蔵随聞記からところどころを抜き出してみた。これからも書き続けていきたいと思っている。中々書けていないけど。

 これまで書いてきたことをみれば、ごく当たり前のことばかりだ。普通のことだ。

 仏教は当たり前に生きること、普通に生きることのための教えだと思っている。

 しかし人間というのは中々当たり前にできない、普通にできないのだ。

 嘘をつかない、自慢しない、人の悪口を言わないという当たり前のこと、普通のことをずっと毎日続けることが難しいのは簡単に想像がつくだろう。

 だから釈尊は普通の人間、当たり前の人間になるために教えを説いた。

 その方法は坐禅である。

 だから道元禅師は坐禅せよと説かれている。只管打坐しかんたざひたすら坐禅せよということだ。坐禅した身心は真実・真理と一体となるから、普通のこと、当たり前のことができるようになる。普通のこと、当たり前のことしかできなくなる。

 坐禅しましょう。

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