第53話 生きる基準

 正法眼蔵随聞記三の十「世間の人、必ずしも善とする事あたはず。人はいかにも思はば思へ、狂人とも云へ、我が心に仏道に順じたらばし、仏法にあらずは行ぜずして一期いちごをもすごさば、世間の人はいかに思ふとも、苦しかるべからず」。

 世間の人は必ずしも善いことを善いとすることができないのである。人がどう思おうと思わば思え、狂人だと言われようと、自分の心で仏道に従っているということならば行い、仏法にかなっていないならば行わずに一生を過ごすならば、世間の人がどのように思おうと、問題にすることはないのである。

 世間、世の中の人間が正しいかどうか、甚だ怪しい。新しい考え方が出る度にそれまでのものが否定される。その繰り返しだ。本当に正しい方向に行っているのかしれたものではない。

 だから、世間など気にせず自分の思ったようにすればいいというのは、あまりにも単純すぎる。道元禅師は仏道、仏法にかなっているかを基準に判断し、かなっているならば世間など気にしなくてよい、と言っておられるのだ。

 今の世の中、世間の顔色ばかり窺っている人間がいる一方で、世間などどうでもかまわんみたいな幼稚で単純な人間もたくさんいる。どちらも駄目である。

 一体、今の人類の生きる基準はどこにあるのか?無いんじゃなかろうか。それぞれが勝手なことを考え、野放図にやりたい放題に見える。こんなことでこれからどうなるんでしょうか。ろくなことはないだろう。いやはやどうにもなりませんな。

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